「幸福の瞬間」 | ありのままの私が輝き出す♪

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素直な自分を認めて

ありのまんまの自分を

楽しみながら生きていく

さあ、私から笑顔を始めよう♪

もしかしたら、私を写芯の道に導いたのはこの言葉だったのかもしれない。

それは

「幸福の瞬間」

という言葉。


高校時代、お世話になった方がいます。
現国の女性の先生で、お堅ーい女子高にも関わらず、めっちゃ目立つイエローのスーツで入学式に出席したり、夏場はノースリーブのワンピースで授業したり、ダイナミックに書く板書の字があまりうまくないとか、文化祭では率先してダンス踊るとか、なんかもう

突き抜けてました(素晴らしくいい意味で)。

放送部の顧問だった先生は、ある日の授業中、放送部で収録したものを聞かせてくれました。

それが「アフリカからの手紙」という作品です。

女子校なので登場人物が姉妹など多少のアレンジは加えられてましたが、先生の実体験を元に作られたものでした。(思い出しながら書いてるので多少うろ覚えです)



先生が大学生時代…今から40年くらい前、まだまだ世界は不安定でいろんなことが起こっていました。
その頃、友人(男性)から「一緒にアフリカに行かないか?」と誘われたそうです。
「なぜ、こんな時にアフリカに行くの?何をしに行くの?」と聞くと、

「井戸を掘りに行く。

 僕は「幸福の瞬間」を見たいんだ」


アフリカではまだまだ井戸も少なく、子どもたちが何十キロもの道のりを歩いて遠くの泉まで水を汲みに行っていたそうです。「だから村に井戸を作りたいんだ」と。

その頃のアフリカは情勢も不安定で各地で内紛も起こっている状態。
さすがに先生は断ったそうですが、その友人はまもなくアフリカへと旅立ちました。

それから、先生の元に友人から手紙が届くようになりました。
彼の行った先は、モザンビーク、テテ州シャンガラ村。
毎日50度近くの暑さの中、黙々と井戸を掘り続けていると言います。

毎月手紙は届きます。時間はどんどん経っていきますが、なかなか水は出てきません。
そのうち、泉の水が減ってきて、子どもたちはさらに遠くまで歩かなければならなくなりました。
水が飲めないため、病気も広まっています。
焦りの中、必死に毎日井戸を掘り続けていると手紙には書いてあります。

そのうち手紙が届かなくなりました。
どうしたんだろう、やっぱり無理だったんだろうかと思っていると、それからしばらくして手紙が届きました。


「水が出ました!」


「ようやく井戸から水が出ました。初めは本当にちょろちょろと。
 でも水が出たんです。

 そのうち人が集まってきました。村中から集まってきました。
 みんなが喜んでいます。

 誰かが歌を歌い始めました。
 するとみんなが歌い始めたんです。


 僕はこの時、幸福の瞬間を見ました



待ちに待ったいのちの水が溢れたとき、
喜びでこころが満たされたとき、
嬉しさのあまり歌い踊るとき、

幸福の瞬間が訪れるのですね。

村の人たちはどんなに嬉しかったことだろうと思います。
その友人もどんなにしあわせだったことでしょう。

そこから先はあまり覚えていません。
ただ、それから1年後、クーデターか何かに巻き込まれて、その方はお骨となって帰国されたということです。



「幸福の瞬間」とは「いのちが輝く瞬間」と思います。

「今」を生きているということ。
「自分」を生きているということ。
「しあわせである」と気づくこと。

その方の人生がしあわせな人生だったかはわかりません。
でも、その瞬間はしあわせだった。
とてもとてもしあわせだった。
思い出すだけで笑顔になるくらい、きっとしあわせ。

私はそんな瞬間をつなげて、つないで、写芯を紡ぎながら
笑顔のリレーをしていきたい。

私は世界中を笑顔で結びたいんです(✿╹◡╹)ノ



ジャワ島のプランバナン寺院で出会ったこどもたち。
とびっきりの笑顔をくれました♪
まさに幸福の瞬間!
16時間車に揺られてたどり着いた先で出会った、ステキな笑顔です。

この写芯であなたが笑顔になったら、それは国を飛び越えて笑顔のリレーができたということ♪

あなたの一日がしあわせなものでありますように(*˘︶˘*)