成田に着いてまず驚いた事は、当たり前ながらそのスケールだった。


広い、とにかく広い!

福岡がアレで国際空港を名乗るなら、成田は最早宇宙ステーションだと本気で感動した。



(あ、いかん……)



田舎モン丸出しがバレない様にと、あんぐり開いた口を慌てて閉じる。

何せここは東京国際空港だ。田舎モンだとバレたらスリに遭うと、会社の部長から散々脅されていたのである。だから自分なりに旅慣れたフリをしていたのだ。



(え~っと、取り敢えずトイレはどこだ?)



福岡からの狭い機内をチョコ臭で充満させた元凶であるジーパン。

それを履き替えようにも衣類は全て預け荷物のスーツケースに入れたままで、次に開けるのはニューヨークに着いてからというメガトン級の大失態を早くも引き起こしているオレ。


ここは何とか部分的にでも水洗いしておかないと、チョコ臭はともかく見た目が困る。

薄暗い場所ならまだマシだが、明るい場所だと誰がどう見てもガマン出来なかった可哀想な人にしか見えない状態になっているのだ。



(あっ、あったあった!くっそ~っ、パンツにまで染み込んどうやんかー)



替えのジーパンは勿論、替えの下着もスーツケースの中だ。

何であの時キットカットをポケットから出さなかったのかと自分を責めたが、何より悲しかったのは、何でオレは空港の洗面台にパンイチ姿でジーパンを洗っているのかという事である。


空港等の大型施設にあるトイレというのは、上から手洗い用の水が出るタイプの便器は設置されていない。


したがって、ジーパンを洗うには共用の洗面台を使う他に方法が無く、オレはケツの後ろを茶色に染めたパンイチ姿で手洗いするハメになってしまったのである。



それからだ、成田が嫌いになったのは(←自業自得)。







成田と聞いて思い出すのはやはりコレ。
聖子派?明菜派?いや、オレは太田裕美派。




後ろの右ポケット周辺が濡れたままの状態でゲートへと急ぐが、流石にノーパンに濡れジーンズは死ぬほど気持ち悪かった(←パンツ捨てた)。



(あ、北ウイングって書いてある!ベストテンの世界やなあ…)



などと、三馬鹿兄弟の末っ子みたいに感心している場合じゃない。
取り敢えず初めてのアメリカだ。少しくらいはドルに替えとかないと、向こうに着いてあたふたするのは目に見えている。



「あ、す…すみません、ド、ドルお願いします」



入国審査でブザーが鳴らなかったから良かったものの、あそこで念入りにチェックされてたらノーパンがバレるところだったとホッとしたのも束の間。
搭乗口近くの両替所には大勢の外国人が列をなしており、ここはもう普通の日本ではない事が、オレみたいなアホにもビンビン伝わってくる。



「はい。あの~……」

「え?」

「いえ、アメリカドルに両替されるんですね?」

「そ、そうですね。アメリカに行くんで……………アメリカドルで合ってますよね?」

「……はい?」

「い、いや、アメリカのドルをお願いします!」

「はい。それでお客様、おいくら両替されるんですか?」

「あ……まあ、あの~、向こうの空港に着いたら送迎の車が待ってるという話なんで……取り敢えず一日分くらいでお願いします」

「あ……いえ、それで、おいくら両替されますか?」

「……え?」

「お客様がお持ちの紙幣を両替致しますので、まずお客様から両替される分の金額をお預かりしてからになるんですが……」








…………( ゚д゚)ハッ!









恥ずかし過ぎて陰毛に火がつきそうだった。

ジーパンにシャツinで素足編み皮シューズの玉置浩二が、よりにもよって両替所を角打ち呑み屋か何かと同じ様な感じで使おうとしていたのである。
一仕事終えた大工のバカ棟梁でもこんなマヌケな事は言わないだろう。



(アホかオレはっ、何が『取り敢えず一日分で』じゃボケ!!穴は無いんか!?無かったら掘るし誰かドリル貸してくれ頼むからっっ!!!!)




客あしらいと営業日報と畑泥棒は出来ても外貨両替が出来ないとは情けない。
つーか、アメリカで営業日報と客あしらいは必用ねーぞ、畑泥棒したら撃たれるだろうし……
とすると、必要なのは外貨両替だけって事になるんですけど…………本当にこのまま乗っていいのかオレ?飛行機に。






懐かしのノースウエスト航空。今は経営統合でデルタ航空になった。





「Hi! Nice shoes!」



正に今機内に乗り込もうという所で、航空会社の制服を着たオッサンがニコニコしながら、そしてオレの編み皮靴を指差しながら話しかけて来た。


「オマエの靴、イカしてるぜ!」


今になってみりゃそういう意味だと分かるが、生憎この頃のオレはメキシカン乳児くらい英語が話せなかった。
というか、英語なんか話せなくてもタイマン張れば大丈夫だと思っていたのだ。








「え?何て言いようと?」


ガキと老人というのは人類最強だ。
咄嗟に出た聞き返しが博多弁になっても関係ない。
要するに、オレはまだ赤ん坊同然の二十歳だったのである。


「Nice shoes!」


「は?来週?ノーノー!ナウナウ!アメリカね、アイ・ゴー・アメリカ。OK?」

「Sure! welcome! have a good fright! enjoy!」


「え~っと……ウェルカム?あ~、サンキューサンキュー。マイネーム・イズ・ジュン。え~っと……アイアム・ハタチ。ユア・ネーム・プリーズ?」


















……こうしてオレは、初の海外一人旅をノーパンでスタートしたのである。









髪は、ケープで固めていた。