翌朝5時。

廃墟宿の女将さんが言ってた教会のドラに起こされる前から、オレは既に出発する準備が整っていた。




(ダニは………うん、大丈夫そうやな、良かった。あ~あ、それにしても昨日は色んな事あったなぁ…………もう既に、今まで旅して来た中でダントツの1位やな、こんな中身の濃い旅は………)




大阪を出てから、気が付けば10日が過ぎていた。

もう10日と言うべきか、それともまだ10日と言うべきかは分からない。

ただ、この旅に出た最初の頃の軽~い気持ちが懐かしいとでも言おうか、こっちに来てからというもの、ちょっとしたタイムトラベルでもしているかの様な、そんな不思議な感覚に陥っていた。




(5時半か………よし、ほなそろそろ出発するか)




二月の早朝5時半。

しかも、ここは海に囲まれた長崎県平戸市である。
九州と言えば年がら年中暖かいと思ってる人も少なくないかもしれないが、ついこの間は鹿児島市内で積雪による足止めを喰らったくらいだ(←あれは極端な例だけど)。

ハッキリ言って、九州の冬も寒い。
というか、長崎の冬はめちゃくちゃ寒い。
さらに、長崎県北部は凍てつくほど寒い。

そんな中、まだ陽も昇らないうちから海岸線を原付で走るなんてバカな事をするのは、それが日常の朝刊オジサンか、または少し頭のゆるいこのオレみたいなヤツくらいである。



その昔、まだオレが東京のショーパブで働いている時に(←いつか記事にする予定)、


「え~?九州に住んでる人って、冬でもランニングに半ズボンで麦わら帽子ってイメージあるぅ♪」


という摩訶不思議なセリフを吐いた女が同僚にいたが、例えそれが九州の夏だったとしても、ランニングに半ズボンで、しかも麦わら帽子を被って歩いている大人はいない。
これに虫採り網を持った子供ならまだ生息しているだろうが、仮に見付けたとしても熊本県の五木村くらいなもんだろう。

その後、その同僚がどうしているかは知らないし興味も無いが、出来れば来世はイボイノシシか便所コオロギとして生まれて来てほしいと心から願っている。






金魚スーパーで購入した刺身で晩酌。
が、小皿が無いので湯呑みに醤油を入れるという暴挙に出るオレ。
一応他にも代わりになる物を探しては見たが、皿と呼べる物は飾り棚の伊万里焼風大皿しか無かった上、永年のヤニで変色していたので断念。





話を昨夜に戻そう。


廃病院宿に戻ったオレは、スーパーで買っておいた刺身のパックをアテに晩酌していた。

種子島で買った芋焼酎と平戸の刺身で(金魚じゃないよ)、親父の代わりにチビチビやるつもりだったのだが、流石に色んな事がドミノ倒しの如く起きたせいか、身体は泥の様に疲れていたにも関わらず、とにかく頭が落ち着かなかった。


『今日は工事関係者の団体予約が入ってるんで、よろしかったらお先にどうぞ』


という女将の勧めで、チェックイン後すぐに入った大浴場の残念さも理由の一つかもしれない。






大浴場という名の大型浴槽。
とりあえず一番風呂だっただけでも有難かったが………





発泡スチロール系の蓋の上に、ロール式のプラ蓋が二重に置いてある大型浴槽。

それを50過ぎのオッサンが、当たり前ながら素っ裸で捲り上げている姿はなるべく想像しないでほしいところだが、いかんせんこの二重になった蓋が予想以上に重く、出る時の事を考えると戻す作業が面倒臭くて仕方がない。

よし、ここは手前の蓋だけを外して、開けたスペースだけで浸かればいいかと思ったが、実際に手前だけ外してみると、思ったよりも狭く感じる。

ならば仕方がない。

面倒だが、やっぱり奥の蓋も外してゆったり浸かるかと浴槽に片足を突っ込んだ瞬間…………








「ぅぁぁ熱っちいいいーーーっっっ!!!!!
何やコレ!?熱湯やないかいっ!!」






静岡の巨匠なら、この温度じゃお茶には向かぬとヘソを曲げる熱さ。
そんな分福茶釜をオレに勧めたあの女将は一体何者なのか?
もしかしたら山姥か?
じゃなかったらモニタリングか?この嫌がらせは。






断っておくが、一番風呂のオレはまだ何も触れてない状態でコレ。
しかも中央に写るビオレは空だった。





(まあ………別にええけどさぁ…)




シャンプーの底に付着した赤カビを見なかった事にしながら、熱過ぎる風呂に浸かるのを諦め、先に髪と身体を洗う。

いや、別にオレ自身は潔癖性でもないし、それどころか、一時期のバラエティ番組とかで、やたらと潔癖性をアピールする芸人にはウンザリしていた人間だ。

ロンブーのアツシだったっけ?
女性タレントの部屋に行って、部屋の隅々まで粗捜しして、ここが汚いだのアソコが不揃いだのと、まるで己れの潔癖さが当然という顔で、


ここまで綺麗好きなオレ、格好良すぎでしょ?


みたいな番組構成に、マジで反吐が出そうだった。

それを真に受けてやり過ぎる女も女だ。
『便器は素手で磨く』とか、そんな頭のおかしい女とは絶対付き合いたくねーわ。
その後に米でも研がれた日にゃ、飛んでイスタンブールに海外出張するっつーの。

結局アレだな。
ああいう番組を観たアホな男が変な風に感化されて、翌日から急に【突発性潔癖症候群】に変身するだけの話なんだろう。

家事なんて毎日の事なんだから、何でもある程度じゃないと続かないもんだって。
逆に、ある程度の事を続けるってのが、どれだけ大変なもんか分かってないヤツがあんな風になっちゃうんだろうな。
洗濯物が綺麗に畳んであるくらいが丁度良いって思うよ?
ガタガタ言うなら毎日自分でやってみろって。





(さてと……もうそろそろ浸かりやすい温度になったやろ。風呂は熱めがいいけど、精々44度くらいまでやな~オレは♪)











と、次の瞬間




ズルッ、ゴン!
バキッ!!




右足を浴槽の中に着地させた瞬間、底にこびりついたヌメリで思いっ切り足を滑らせ、その勢いでしたたかに左の内股を打ちつけ、更にまだ外してなかった奥のプラ蓋を、右手で支えようとした勢いで破壊してしまう始末。

なあ女将さん……やっぱり悪質なモニタリングなんか?コレ。




「……っつつつッ!……いっ…痛った~っ…………」




捻った腰に痺れが来てないのは不幸中の幸いだったが、足と尻にまとわりついている浴槽のヌメリだけは我慢ならん!





つーか風呂掃除くらいちゃんとしとけよ宿泊業ならあああああーーーっ!!













この後



悲劇はまだ続く