ミッドライフクライシス、つまり中年期における厄介な状態を云うのですが、そんな捕らえ方があること自体あまり知られていない。


なにか捕らえきれないモヤモヤ観のある存在。その正体がわからないゆえにイラついたり、人間関係がギクシャクしたり、子どもに影響したりと、色々なことに影響を及ぼすとにかく厄介な存在X。


そいつは家族のコンステレーション(配置)だったり、自分を取り巻く全ての環境に起因したりしています。

これは病気でもなんでもないので、時をやり過ごしクライシスを自然に乗り越えることは可能です。


河合隼雄先生の著書にその状態がよく描かれています。


例えば、ロマンチック・ラブの弊害とでもいいましょうか、

「どんな偉大な人でも妻から尊敬される人はまずいないだろう。。。。相手に対して愛を感じ尊敬するという事を、夫婦であるための条件として厳しく考えるな らば、そのような関係は長続きしにくく、アメリカによく見られるように、離婚してまた新しい相手を求めて再婚する。ということになろう。。。。。アメリカ で離婚が多いのを非難がましくいい、日本の方がいいように言う人もいるが、話はそれほど単純ではない。家庭内離婚という言葉もあるように心の中では離婚し ながら、ともかく一緒に住んでいる日本人の夫婦も多いのではなかろうか。」

とおっしゃっている。


理想的に描かれた夫婦のあり方を真に受けて、現実とのギャップに苦しみ生きることが息苦しくなってくる。

人間関係全般についても言えることですがね。


この本が出版された19年前よりも、そういった人達が増えていることは間違いないでしょう。

スピリチュアル系のビジネスが激増している背景にもこういった中年特有の問題に悩む人達が激増しているという現象があります。


また、

「現在は社会の変化が激しいので、その変化についていくことができなくなるため に、中年の危機を迎える人もある。職場のみならず、家庭においても、夫婦や親子のあり方が以前とは異なってくるので、そのために適応に困難を生じることも ある。何かひとつの考えや方法を確立して、それで一生を押し通すことは出来ず、どこかでなんらかの転回を経験しなければならない。」


と19年前におっしゃっているわけです。

「トポスを見出し、そのトポスとの関連で「私」を定位できるとき、その人の独自性は強固なものとなる。そのようなことが出来てこそ、人間は一回限りの人生を安心して終えることができるのではないだろうか。老いや死を迎える前の中年の仕事として、このことがあると思われる」

実に思慮深い考察ではないか。
昨日参加した会合でこんな話を聞いた。

ブルビストールという街の入り口にあるバーの軒先に、ファランツビルビスケという老人がロッキングチェアーを揺らしている。彼は毎日そうやって過ごす。
そこへ、リロードセバスチャンという若者が通りかかる。彼は老人に尋ねた「わたしは、この町に住もうと思うのですが、ここはどんなところですか」。。。若者よあなたが今まで住んでいたところはどうじゃった?「はい、もうひどいところで、不親切で、傲慢な人達ばかりで、住んでいて息苦しかったです」。。。この街もおなじやよ。。。セバスチャンは引き返した。数日後リチャードベラスケスという若者が通りかかる。彼は老人に尋ねた。「わたしは、この町に住もうと思うのですが、ここはどんなところですか」。。。若者よあなたが今まで住んでいたところはどうじゃった?。。。「はい、もう素晴らしいところでした。皆親切で気前がよくて、毎日楽しく過ごせました」。。。この街もおなじじゃよ。。。

この話を聞いていて「一水四見」という言葉を思い出しました。水という一つの存在を見て

人は水と見る。
天人にとっては歩くことができる水晶の床
魚にとっては己の住みか
餓鬼にとっては炎の燃え上がる膿の流れ

というように、見る者によって全く違ったものとして現れるということ。

同時に五眼のことも浮かんできました。

五眼(ごげん)をご存知でしょうか?

肉眼、天眼、慧眼(えげん)、法眼、仏眼の五つです。

それぞれ、肉身が備える眼。遠近、内外、昼夜等に関わらず見通し、未来の生死を知る眼。一切の現象を「空」であると見抜く眼。人を救うために一切を照見(しょうけん)する眼。前の4眼を全て備え、一切の真理を徹見する眼。ということになります。

人は生きていくなかで様々な困難や出来事に出くわしますが、そのときにどのように受け止め、いかに対処すかが重要ということを改めて認識しました。








FPの資格を取得したとしても、それだけでは食べてはいけない。CFPの資格に挑戦して取得できたとしても、それだけでは食べてはいけない。他の資格も同じ事。これは充分ご理解いただけてることだとおもいます。


また、いい商品をもっていること、それ自体は特長にはなりません。それは当たり前のことだからです。

また、ネット集客に力を注ぎ閲覧者の多いサイトを所有できたとしても、契約に至らなければ経済的には豊かになれません。これも当たり前のことです。


仮に契約できたとしても、顧客単価が低くければ、いたずらに顧客数を増加させなければならない事態になり、毎日業務に翻弄される日々が続くだけで実入りは乏しいでしょう。


もっと悪いことに顧客数が多くなると顧客マインドシェアが狭くなりがちで、あなたの前からその顧客がいなくなる確立はきわめて高い。


これは私も経験したことです。


FPとして活躍できることを夢見て起業してきた人達を多く知っていますが、彼らはブランディングという甘い罠にはまり、そのために金銭を投資し、長い年月をかけ、そして去っていきました。そう廃業です。


マーケティングを学んでみたり、その他の諸々のテクニックを習得したりもして果敢に挑んでいたようです。

でも結果は廃業です。


なぜ?


それはたった1つの能力が欠けていたからです。


それは、売る力です。


セールスの現場を機軸としたビジネスモデルの組み立てができてないからです。


セールスの本質を知らないから、人をひきつけるサイトも作成できません。


セミナーを開催しても成約率が悪い。


そう、どんな立派なビジネスモデルやコンテンツをつくったとしても、買ってもらえなければ売上が発生しないからです。


そして、並みのセールス力で売れるものは低単価で利益率が悪い。儲からないから未来に投資できない。投資できないからジリ貧になり、やがて廃業に追い込まれます。


セールス力を磨くコストは他のことに比して安価です。


費用対効果で云うなら超お得!


それでも、ほとんどのFPはセールスから逃げ、セールスの本質を積極的に知ろうとしません。それが廃業に追い込まれてきたもっと大きな理由にも関わらずです。


では、なぜか?


それは「FPは先生業だから」という認識が強いからです。


FPは、お客様のところに行くのではなく、お客様に来てもらう。公正中立?


これはある意味正しいと思います。所謂マスターポジション。


しかし「FPは~」は、あくまできっかけづくりの段階の話です。


実際に、このセオリーに懸命な人ほど満足な結果が得られてないはずです。


それは、先生ポジションを守る意識が強すぎてセールスの機会を逃してしまっているからです。


コンテンツ、金融商品、不動産、その他契約、つまり次のステップにクライアントに進んでもらうためには必ずクロージングが必要です。


その都度クロージングができなければ、クライアントを次のステップへ導く事ができません。

そしてセールス力が並だとクライアントを俯瞰できない。


俯瞰できないから成長に貢献できない。成長に貢献できないので信頼も得られない。信頼が得られないと短期間、低単価でクライアントとのご縁は切れてしまいます。


しっかり信頼関係ができてれば、アフターフォローさえ必要ないというのに、こんな一番肝心なことが教えられていません。


それはなぜか?


実は、教えられないからです。


~研修とかの教育者の経歴を見てもらえれば一目瞭然でしょう。


ではセールスの力とは何か?


ズバリ、セールスの力とはメタ認知力です。俯瞰する力そのものです。


またこの力はコンサルティングの過程において最も重要な能力ともいえます。


つまり、セールスの力を磨く事で、圧倒的な実績をたたき出すFPになるために必要な売る力と俯瞰する力を同時に得ることができるということになります。


では、セールスに一番必要な要素はなにか?


それについては次回投稿させていただきます。それではまた