精神科の現役看護師!

 

発達障害の息子を育てる

☆3児のママ☆

 

メンタルサポートアドバイザー

櫻井ふみです♡

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わたしくしごとですが

 

わたくしごとで恐縮ですが

少しだけ

私が自己肯定感が低く色々

ダメ人間だと植え付けられるきっかけは

私の育ちにあります。

 

私は、普通の家の普通の両親の

元に長女として生まれました。

 

私は記憶にないのですが

私が生まれてすぐに

父の実家である「青森」へ行ったそうです。

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祖父にあたる方は戦死されており

祖父が長男だったため父が

後継ぎとして選ばれたらしいです。

(父の上には兄がいましたが・・・

財産を使い果たしてしまうために

避けられたようです)

 

母は、慣れない土地で

女中の様にこき使われて

私は、食べるものがなく

石鹸を食べたことがあるらしいです。

 

父の扱いと母の扱いが違う事

子どもにも食べ物をくれない事に

怒りを覚えた母は、母方の祖父に

連絡して北海道へ帰って来たらしいです。

 

祖父はその時に

「子どもを大切に出来なならこのまま

離れても良い!自分は優遇されて

相手を思いやったりできずに

嫁と子供に悲しい思いをさせるなら

帰ってこなくていい!」と

父に言って「青森」を離れたようです。

 

帰って来てから父も追いかけてきましたが

母がこの時に受けた仕打ちは

母の中の「恨み」になったのだと思います。

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そのタイミングで

弟ができ、母は出産後に

ストレスからメニエール病となります。

 

私が大きな声で笑ったりはしゃいだり

すると怒られ

弟が何をしても怒られない。

 

勉強して点数をとっても

「どうして100点じゃないんだ」

と言われ

弟が80点でも叱られない。

 

だから、私は子どもの時から

本を読み。空気を読み。

顔色を窺い。

気配を消すことをしていました。

 

弟は面白いキャラで笑いが絶えない

子どもでしたが、要領も良かったため

ほとんど怒られずに過ごしました。

 

私は、なんとも残念な子どもで

タイミングが悪くて怒られてばかり。

 

安息の場が「家」にはありませんでした。

 

母親は子どもを否定することで

相手を褒めて持ち上げる事が

交流すると信じていました。

 

弟は否定されるより、

持ち上げられることが多かったので

自己肯定感が下がったりしませんでした。

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私は、いつも

「出来ない子」「ダメな子」

「かわいくない子」「やらない子」

「やれない子」とされ

 

だから○○ちゃんがうらやましいわ~と

言っている母。

 

その裏で、○○さんちの子に負けるなんて

あんたはダメね。

 

と平気で褒めた人のことを

悪く言っていました。

 

私は、人の本音は

違うのだと思っていました。

 

母のストレスのはけ口は

いつも私でした。

 

いつも心に誓っていたこと

 

「私は、絶対に

自分の子どもと誰かを比べない」

 

「姉。弟で比べない」

「子どもに惨めな思いをさせない」

 

と誓ったのは

この頃に固く決意したことでした。

 

 

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