ふと最近、


寝ていると夢に母がでてくる照れ


私は、両親が44歳すぎた時にできた子供だったので色んな人に


『遅くにできた子供だから可愛いがられたのじゃない?』とよく言われていたけど


可愛いがられていたのかは、、


私にはわからないあせる


父は建設の仕事と🧑‍🌾農家🧑‍🌾。母は🧑‍🌾農家🧑‍🌾


主に、米🌾を作っていた。


昔、母が手作業で稲を植えていた。そのせいか、母の腰は曲がったまま。(極度の猫背だった)


ほとんど休みなく働いていたのでお出かけはほとんど姉に連れて行ってもらった記憶しかない。


実家は、コスモス田舎コスモス

バスが来るまで一時間に一本あるかないかくらい。


山、川、竹やぶが沢山あって車もほとんど通らない。


夜帰宅する時、竹やぶに覆われていた道を通らないと家につかないので、夕方の5時になると


      ♪夕焼けこやけ♪の曲が


防災無線チャイムから流れる。


これが鳴ると帰宅していた星空

これが唯一の時間を知るチャイムだった。


実家は、すごく古い家でいつ建てたの?というくらい瓦の古い家だった。


雨が降れば部屋は水びたしになるから桶やタライ、バケツ🪣を水漏れしているところに何箇所も置いていた。


バケツなどに落ちる水の音。。


楽器で奏でてるみたいに。。。


昭和初期のような家で。。



なぜか、玄関から部屋に上がる場所も高くて、小さい私は必死に登っていた。あせる

テレビもブラウン管で。白黒。




使用していたのかわからないがこんな釜もあって。。ほかの🏠にはない家だった。


トイレは、家の外。知らない人もいるが

ぼっとんトイレ。夜中トイレいくのはかなり怖かった記憶がある。


風呂は五右衛門風呂というのか木の風呂で


薪で焚いたお風呂だった。

お湯に浮く板を足で下に下ろす。小さな私にはそれができないから父が抑えて入った。


お風呂のお湯が熱いため湯冷めしにくいのが良いし、そんなお風呂に入れることが凄いことだと私は知らなかった。


今となれば暖かく贅沢なお風呂だったと。


🪵薪を母も父も斬って

手間がかかる分やはりお風呂に毎日入れるのは難しかった。


毎日お風呂に入れなかったこと。


清潔じゃないとよくいじめられていました。


それが普通だと思ってた私。