皆様 こんにちわ
昨日から風が強くてちょっと寒いですね~
春はいろんなものが芽吹くとき
いらないものも出てきます
体調管理に注意が必要ですね。
この時期 意外と体が冷えるので、油断せずに
足元、首元をしっかりガードしたほうがいいです
続きです。
よかったらお付き合いください。
プロフィールのテーマでも綴ったように
私はずとっと体を壊してきました。
小さい頃は虚弱体質だったようで
細くて小さくて、いつも風邪をひいいてたようです。
慢性鼻炎もあり小学生のころはずっと耳鼻科に通ってました。
なので、スイミングに通い始めました
ここからはまさに水を得た魚のように
すごく元気になりめちゃめちゃ元気に健康になったのです。
でもね~思えば小さい頃からよく怪我をしてました。
特に足の怪我はたえませんでした。
釘を踏んだことも2回
捻挫や、炎症は5~6回はあったかな
松葉杖で学校行ってましたし
しかし、今度は泳ぎすぎで首を痛め入院。。。
ここでの検査がまた辛かった
特に髄液の検査は地獄でしたね。。。もう30年近く前になりますね。。
そして社会人になり水泳をやめたら
すべり症という腰の激痛に襲われ
ここから慢性腰痛の始まり、これがの後に椎間板ヘルニアになる
結婚したら流産の連続・・・ここは高齢出産のテーマで綴っています。
子宮内膜症での生理の激痛(出産後治る)
今は、子宮筋腫持ち
胆石発作で病院へ搬送、次の日そく手術
突然の盲腸
開腹手術は4回
その間、精神を病み、過換気症候群に悩まされ
心療内科に通う
甲状腺機能低下症になる
疲れると白血球が2000を切る
筋力低下
などなど
こんな状態で43歳の高齢妊娠、出産でした。
確かに幸い命に関わる病ではありません
難病でもありません。
でも私はこの体にずっと疑問を感じてきました。
一体なんなん????
なんでこんな病気ばっかりすんの?
痛い思いばっかり、辛い思いばっかり・・・
年を重ねるごとに身体のあちこちの痛みが出てくるし
年に数回は腰のヘルニアが出て歩けなし。。(もう慣れました)
スピ好きの私は
これも何かのメッセージなの??とよく思ったものです
だから、マッサージという職種は初め、天職だと思ったのです。
誰よりも痛い思いを知ってるから嫌でもわかるんでよね
今でもそう思っていますが
天職。。。とはどうも違ってましたね
限界を超えて仕事をした自分が悪いのです。
でも。。。切っても切れない
何年仕事から離れていても、
手の感覚は揺るがない、ブレない、何も変わらない
強いて言えば、体力だけ足りない。。。だけ
だから
適職。。なのです。
でもこれって 自信 ですよね
自分の技を揺るがなく信じてることですよね
理由もない、自慢でもない 好きも嫌いもないんです。
なんなとこなしてしまうこと。。。
私。。。ここに目を向けることがとても嫌だったんです。
正直。。。マッサージする事 ずっとやめたかった
もう限界だと思ってた
あんなしんどいこともう卒業!!
みんな綺麗事言い過ぎ!!
人様の体をマッサージして元気をもらってます!!
なんて あるわけないだろ!!って
そんなにきれいにこなせる仕事ではないのですよ
だけど私はこの仕事を選んだのは自分なのです。
本心から 人様の役にたちたいと思ったことなのです。
楽にしてあげたい。
痛みをとってあげたい
元気になってもらいたい
本当にこれは本心なのです。
いいかっこも、上から目線でも、なく
楽にしてあげたい
自分の体ってこんなに快適なものだったんだと知ってもらいたい
で、・・・
喜んでもらえて
ありがとう
この言葉がききたかった
ただそれだけだったのです。
そしてこの言葉は
自分に向けたかったのです
怒りの感情はいとも簡単に出てきます
人をと通して 投影されて
人に対する怒りは 自分の中の怒りでしかない
人はそれを知らせてくれてるだけ
そう言う人を引き寄せてる
自分が気づくまで。。。腹の立つ人はずっと現れ続けます。
自分の中の叫びなのです。
人に何かをしてもらいたい
わかってもらいたい
いいえ
自分が自分にしてあげないといけないのです。
だからずっと同じ繰り返しが起こるのです
私の身体の叫び
何十年の叫びだったのだろう
どんだけ無視しとんねん
どんだけ外に投げかけてるねん
わかりやすいように体がちゃんとヒントを毎回くれてたやんか
なんで気づいたられへんかってん
体にこれだけ現れるのは
なんだろう
何かをせき止めてくれてたのか
これ以上無理をすると本当に取り返しのつかない状況になってたからだろうか
私は自分の弱さを理解してなかった
もともと体が弱かったのだ
そのために水泳にいったのだ
ここが曖昧だったのかもしれない
生半可水泳が上達し選手までいったもんだから
強くなった と錯覚したんだろう
確かに表面は強くなった
元気にもなった
でも、、本当に好きで強くなってたのなら
大会や競技に、もっと積極的だっただろう
私はずっと、現役時代も
競技が大嫌いで、大会に出たくなくて嫌でたまらなかった。
それを認めることも、言い出す事もできなかった
何のために水泳をしてるのかわからなかったのです。
スポーツって
練習。。。すんごい過酷なんですよ
これ以上やったら死ぬ~~ほどつらいとこまでやらされる
私は高校3年の時、とうとう逃げ出しました
そしたら部員から非難轟々、すごい罵声を受けました。
何も言えませんでした
もう気づいて上げないといけませんね
もう十分
私の身体
この年齢で
命を授けてもらい無事に生めたのです。
こんな体で。。。。
感謝しろよ!!私!!
おい 私!!
聴いてるのか!??
あんたやで
自分自身やで
そんな言葉がようやく聞こえるようになりました。
とさ
今日も最後まで読んでいただき
ありがとうございました。