ブロ友さんが紹介されていた映画

『連鎖』観ました。

 

 

30代で知能が8歳ほどの青年・ソック(キム・デミョン)

両親は亡くなっているが、精米所で働き、

村の人たちとも仲良く、穏やかに暮らしている。

 

父を探し、母の元から家出して青少年シェルターに

保護を求めた少女、ウンジ(チョン・チェウン)

 

仲良くなった2人は、ソックの自転車で

ウンジの父親を探そうとするが…

 

ある出来事によって彼を取り巻く状況が一変していく…。

 

 

 

 

 

事件(事故)の一部分だけを発見しただけで

シェルターの所長は、性犯罪だと決めつける。

 

拘留され、被告人にされ

今まで”友達”だと思っていた人たちから

酷い扱いを受けるようになる。

 

信用していた教会の神父さんも

ソックが犯人とした上で

優しげに、アドバイスがされる。

 

被害者とされたウンジは、

事件(事故)の後、精神科に入院。

 

 

事実を伝えることができないソック。

 

 

 

「ソックが可哀想じゃないか!」

「お前ら皆、友達だったんだろ!」

 

って、周りの人たちに腹が立ったけど

 

 

それは、これが映画で、私は、観客に過ぎないから。

 

もしも、その場で、周りの人たち皆が、

ソックが犯人だ!って、言いまくってたら

 

私は、どうするんだろう…。

同じように差別的に見たんだろうか。

 

 

てか、やっぱり、

いつも、いつだって、私は

”ほんとうのこと”が知りたいヤツだから

 

やっぱり、気長にソックの話を聞くかな。

 

相手の話を聞くということは

何か問題が起こったときに

一番大切なことだと思うから。

 

 

 

 

それと、

人に対して「可哀想」って思うことは

差別的なのかな、って

面と向かっては、あまり使わないけど

 

「可哀想」って思うときに

浮かんでくるのは

 

坂本龍馬の話で、

薩長同盟のときに、長州が危険を侵して、

薩摩藩の屋敷に来ているにも関わらず

薩摩からは、同盟の話が出ず…

坂本龍馬が、西郷に

「長州が可哀想ではないか!」と言ったというお話。

 

この「可哀想」が、腑に落ちたんで

同情とか、差別的でなく

 

この映画のソックに対して

素直に「可哀想」と思ってしまいました。

 

 

一人でも、ちゃんとソックの話を

気長に聴いてくれる人がいて欲しかった。

 

結末があまりにも悲しすぎました。

 

 

 

原題は「石ころ」だそうです。

「連鎖」よりも、「石ころ」の方が

私には、すんなり入ってきました。