先月読んだ『エンド・オブ・ライフ』の佐々涼子さん

2冊目に選んだのは、

『ミケと寝損とスパゲティ童貞~ サクラの国の日本語学校~』

 

佐々涼子さんが、ノンフィクション作家になる前、

転勤族のご主人に合わせて、

各地で日本語教師をされていた時のお話。

 

 


本の中には、日本語学校で外国人たちが勉強する

日本語の問題が載っているのですが

日本語ってほんとに複雑怪奇。

 

たとえば接続詞。

次の二つの文を、ひとつの文にしなさい。

「一生懸命勉強します」

「なかなか日本語が上手になりません」

 

日本人なら、いくつか例を上げられるけど

これ、外国人なら難しいですよね。

 

これが初級の問題。

 

 

助数詞に至っては

羊が1ぴき、2ひき、3びき…

「羊が3匹に家が4軒、木は1本生えていて、雲はみっつ浮いています」

日にちも難題。

「ついたち、ふつか、みっか、よっか、むいか、ようか、はつか」

 

私はどうやって覚えたのかな?

幼い頃、お昼寝のときに、母に本を読んでもらったのを

覚えてる。

幼い頃から、聞いてるから覚えられたのね。

 

大人になってから、日本語を勉強しようと思うと

頭ん中、こんがらがるわ絶望

 

 

 

私が日本人じゃなくて、他の国の人ならば

日本語なんか勉強しないで、他の言語を勉強するわ。

日本語って、小さな島国である日本でしか

通用しないじゃん!ねぇ…。

 

 

生徒さんたちも、十人十色。

露出度の高いアメリカ人がいると思ったら

ミケなんてタトゥーを掘ってる人もいる。

難題をぶつけてくる生徒さんも…。

 

そんな中、中国出身のヨウさんのお話は切なかった。

来日して3年が経つというのに、ほとんど日本語を話せないヨウさん。

中国料理のコックをしていて、年齢は40代後半だが

見た目は、60代。彼の生きて来た人生の険しさが見える…。

日本語はおろか、中国語もままならないようで、無口なヨウさん。

 

涼子さんが「まるで」という言葉を教えていたとき

最後に答えたヨウさんは

「やまのてせんのります。まるでちゅうごくかえる」

彼は「山手線に乗ると、まるで故郷の中国に帰れるような気がする」

と言いたかったのだ、と。

 

 

 

色んな国の人たちがいて、

色んな価値観があって、

色んな事情で日本へやってくる人たち。

 

 

 

日本国内にいる外国人の不就学児童についても。

一説によると「いっぱい」いるそうだ。

いつの間にかこの国は、子どもの数を「いっぱい」

としか表現できない国になってしまったらしい。

 

中島京子さんの「やさしい猫」で知った

入管施設に収容された外国人のことを思う…。

 

 

 

 

「いつかサリバン先生だった日」の章には、

こんな風に書かれていた。

人から初めて言葉が出るところを見たことがあるだろうか。

・・・・・

初めて彼らから言葉が生み出されるとき

私は人間の能力の不思議を思う。

言葉でいっぱいになると、あふれるようにして口から言葉が出るのだ。

言葉を話すことは、たいていの人に備わっている能力であるが

その能力の扉を開ける鍵は、必ずほかの人間の言葉なのである。

たとえば孤独を嘆く人がいたとしても、その嘆きの言葉は

いつか誰かに手渡されたものである。

そのことを考えたとき、誰もほんとうに孤独な人間なんて

いないのではないかと思う。

どこかで出会った誰かがたしかにその人を支えているのだ。

 

 

佐々涼子さんの人間性がうかがえる

面白くも、温かな人間が描かれているお話でした。