『エンド・オブ・ライフ』読みました。

(2020/2/10発行)

 

「死ぬ前に家族と潮干狩りに行きたい・・・」

患者の最期の望みを

献身的に叶えていく医師と看護師たち。

最期を迎える人と

そこに寄り添う人たちの姿を通して

終末期のあり方を考えるノンフィクション

 

 

在宅医療について考えさせられる1冊だった。

 

今までにも何冊か、医療や介護について

書かれた本は読んだけど

一番ズシッとくる特別な本だった。

 

 

「死ぬまでに家族と潮干狩りに行きたい」

「どじょうが食べたい」

「ディズニーランドへ行きたい」

「自宅でハープコンサートを開きたい」

病院じゃなくて、家族がいる家に帰りたい。

 

そんな患者の希望を叶えるために

在宅医療チーム…看護師・理学療法士・ヘルパー達は

患者に伴走する…。

 

 

こんな診療所があるんだな、実際に。

 

私は最初、病院に勤めてから、ずっと介護の仕事をしてきた。

有料老人ホームに勤め、デイケアに勤め、

包括支援センターで、認知症初期集中支援を担当し、

ケアマネになった。

 

どの施設でも、職務以外のことはやるな!

決められたこと以外はやるな!

と、言われてきた。

 

チームワークを乱すから、と。

 

私もそれを当たり前にしてきたし

患者または要支援者と、支援者は

家族でも友達でもなく

仕事として、関わるのだから、

どこかで一線を引いておかないといけないと

思っていた。

 

 

でも、ここに書かれてある

在宅医療チームのスタッフは、

患者と家族にどこまでも寄り添う。

 

こんな看護、介護ができたら

どんなにいいだろう…。

私もずっと、こんな支援がしたかった。

 

 

 

 

この在宅医療チームの看護師さんに、

2018年、膵臓がんが見つかる。

森山文則さん、48歳。

 

作者の佐々涼子さんは、森山さんから

後々、在宅医療に関わる人達のために

在宅看護について、文章にして欲しいと託される。

 

佐々さんは、神奈川から京都へ何度も足を運び

森山さんと奥さん、娘さんたちと

同じ時を過ごす…。

 

 

在宅で200名以上の患者さんを看取ってきた森山さん。

 

「目を閉じて亡くなっていく人の顔って

 どんどん安らかになって、

 どんな人でも微笑んでいるんですよ。

 だから大丈夫なんだよ、と教えてくれる。

 それを見せられるような文化というのを

 次の世代のために作っていければいいなと思います。

 それはケアする側にとっての

 死生観に当然関わってくるでしょうしね」

 

 

「助かるための選択肢は増えたが、それゆえに

 選択をすることが過酷さを増している。

 私たちはあきらめが悪くなっている

 どこまで西洋医学にすがったらいいのか

 私たち人間にはわからない

 昔なら神や天命に委ねた領域だ」

 

 

「いい死に方をするには、きちんとした医療知識を身につけた

 いい医師に巡り合うことですね」

 

「主治医がどれだけ人間的であるかが

 患者の運命を変えてしまうんですよ」

 

「人間は、生まれた時にひとりで何もできないように

 最後もまた、誰かの手を借りる時がくる。

 みんな、誰かにお世話してもらう」

 

 

佐々さんが森山さんに頼まれて

在宅で看取った人の家族に会いに行く場面がある。

 

彼が亡くなった後

「森山さん達、在宅医療チームとのお別れが寂しくて」と

介護の資格を取り、チームのヘルパーになった女性の話は

印象的だった。

 

 

「亡くなりゆく人は、遺される人の人生に影響を与える。

 彼らは、我々の人生が有限であることを教え

 どう生きるべきなのかを考えさせてくれる。

 死は遺された者へ生きるヒントを与える。

 亡くなりゆく人がこの世に置いていくのは

 悲嘆だけではない。

 幸福もまた置いていくのだ」

 

 

診療所の院長は、こう仰る。

「僕らは、患者さんが主人公の劇の観客ではなく

 一緒に舞台に上がりたいんですわ。

 みんなでにぎやかで楽しいお芝居をするんです」

 

 

どこを読んでも、佐々さんの優しい文章で溢れていた。

病気で寝たきりになられたお母様のこと、

そのお母様を一生懸命に自宅で看ておられたお父様のこと。

ここまでのことが出来る人がいるのだな。

 

中盤からは、泣けて仕方なかった。

 

 

そして、大事なこと。

森山さんは、

浜田省吾が大好きだったということ。

「私にとっては永遠のハマショーですよ」って。

 

 

 

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佐々涼子さん、良くなられますように。