意識について思いを馳せていたら、
ふと昔のことを思い出した。


昔、夢の中で
自分の過去生らしきものを
モニターのようなもので
見せてもらったことがあって、

その人(過去の自分)を観察するのに
集中していたら
意識がポーンと
その人物に入ってしまったことが
あった。

過去の自分に
現在の自分が入るという
なんとも妙な出来事。

過去生を観察するというだけでも
かなり妙なことかもしれないけど…。


そのとき、
紛れもなく自分の意識で
その人物の肉体に収まっていて
自分の目でその世界を見ていたし、
その空気感も感じられた。


ただ、その人物と
完全に同一化しているというより
俯瞰しながら
その人物を体感しているっていう
ちょっとへんな感じだった。


意識のわたしは客観的に見ていて
「うーわ、こんなんめっちゃ
緊張するよな」
「こんな大事なお務め責任重大やぁ…」
とか思っていた。

その人物は巫女で
たくさんの神官の前で
神を降ろす儀式の真最中だった


でも、その人物の体感にフォーカス
しすぎると、
心臓がバクバクしてきて
気絶しそうになり、
そしたら意識がその人物から抜けて
寝ている自分に戻ってきて
ばっと目が覚めた。

すごくおもしろい体験ができた。






意識ってのは、
ほんとに自由なんだなって
いつも夢が教えてくれる。


空が飛べたり
壁をすり抜けたり
瞬間移動もできたりするから。
普段読めないフランス語を
夢の中では読むこともできた。
どこの国かわからない外国人の
話す言葉を理解することもできた。


だけど、
肉体が主体になっている世界では
物理的法則?が幅を利かせて
重力やら何やらの制限を
超えられないというマジックがある。
脳がストッパーになっているのかな。


わたしは昔から妙な夢を
見ることが多かったせいで、
制限なく自由な感覚の
意識世界が馴染んでしまって
肉体主体の世界が
逆におとぎ話のように感じてしまう。


この肉体を持つ世界で
意識をもっと使えるようになって
物理的制限のストッパーを
外せるようになったら
どんな世界になるんだろう?
いろんな可能性が広がりそうで
考えると楽しくて仕方ない。


人間があらゆる限界を
超えていくための鍵は【意識】
なのではないのかな。









 

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