懐かしい。
この機会に戻って来ることにした。
ここ数年目覚ましい心の成長をし、ブログを書かなくてもやって行けるのではないかと思っていた節があったのだが、どうやら違ったようだ。負要素の強い何かに触れると、書き残したくなる。
これは自分の中で存在する、習慣のようなものだな。
実際、手元のノートやメモ帳に記して書き溜めていたのだけれど、率直に本心を書き綴っていた頃の自分やブログが恋しくなることがしばしばあった。
だったならば単純に戻ってくればよいと、そう思った。
ここには、まだ自我そのものの人間性を確立出来ていない自分が書き残した 〈 純粋な嘆き 〉 が残っている。それを消そうとは思えなかった。寧ろ、少し大人になって成長した自分もここへ舞い戻りその嘆きに寄り添いたいと思ったのだ。
今の己でも、昔と変わらず主に血縁関係者に心無い言葉や態度を投げつけられ、困り傷付き憎しみを覚えるのは変わりない。
大変残念なことに。
だが、血縁関係者が本人等の人間性に固執するが故に、他者を不幸に貶める言動については各々自覚が無いらしい。
自身が伸び代を大切にし、【 自己肯定感 】 を一人地道に養い成長したが故に、群れへの見え方が変わって来たという事実は、この身をもって証明されている。
例を挙げるとするならば。
昔の自分なら、周りの大人達の言うがままの言葉で傷付けられた挙句に、唆されて自己をも同じような言動で痛め付けていた。
大人が提示して来た 『 出来損ないの子供は、子供自らも自分のことを罵って自我を殺すことが当たり前の世界だ 』 という概念を本気で信じていたし、群れから非を訴えられる出来損ないの自分こそが、そうすることで他者から認められると思っていた。
【 無条件に愛される日が来ること 】 を夢見て、心も身体もズタズタに引き裂かれるような思いを、幾度でもした。
だが、それでも大人達は納得しない。今度はそれもそれで、逆に批判の対象になったのだ。耐えられなくて自暴自棄に陥っても、血縁等の心配する先は自暴自棄になった際に、犠牲になってしまった生活消耗品類達だけだ。誰も自分のことなど、微塵も心配してはくれなかった。胡乱な目付きで、一瞥を投げて来ただけ。一人の人間( 此方の存在 ) の価値より、生活に寄り添う消耗品の方が奴等にとってはよっぽど価値が高いのだと知った時、呆然とした。
『 勿体無い 』 『 物を粗末にするな 』 等と矛先も全て自分に向いた。それも一人だけではなく、数人集まってこうなのだから笑止千万。 『 三人寄れば文殊の知恵 』 なんて奴等には通用しない。
より残酷な方向へ話が纏まるだけなのだ。
こんな血縁関係者を持って、もう 〈 井の中の蛙 〉 でなくなった我は情けないし、惨めそのものである。
甚だしい 【 劣等感 】 の塊である。
血縁等は此方に対して 『 足を引っ張ってくれるな 』 と言葉と態度で示すのが通常運転なのだが、世間的に見て人間性に問題があり異質な存在なのはお前達の方なんだぞ、と訴えてやりたい。
だが、弱みを握られている為それも儘ならない。
というか、そもそもそれが弱みとして存在する理由を作ったのは、他でも無い血縁関係者等なのだがな。
ここ最近で何処までも犠牲者であるし、精神的奴隷から昇格出来ないことを悟ったのだ。
年数が経ったとしても、本質が変わらなければ同じことを繰り返すだけなのだ。
今振り返ると、( 『 井の中の蛙大海を知らず 』 って怖いな...... ) と只管感じるね。これこそが毒親から植え付けられる 【 洗脳 】 の形なのだよ。 狭い檻の中でとことん自己肯定感が削ぎ落され、やがて自死にまで追い込まれる。
その上新興宗教の一族なので、二重苦三重苦を味わわされる。
この 【 負のスパイラル 】 へ気が付いた時、この世の終わりかのように笑ったよね。
こんなものに振り回されていたんだな、と可笑しかったよ。
これだから、誰も幸せになれる筈が無いのだよ。
何れ書くつもり――。
それはそうとて、その理由で自死の一辺倒を辿ろうと投げ掛けられるのは上滑りする新興宗教で培った言葉や問題に立ち向かう姿勢の話だけで、本当の意味で真心を持ってして誰も引き留めてはくれないし、何故此方が闇の深淵を覘いているのか等知りもしない。
ただ他人事のように、「 あの子の言っていることが理解出来ない 」 「 あの子にも、思う所があったのではないの 」 で終了だ。
未だに 【 無条件に愛される日が来ること 】 は無い。
ただ直向きに追い掛けて来たが、もう潰えた叶わぬ夢だ。
この数年自我を洗脳下から取り戻そうと試行錯誤をしたお陰で、思考が洗脳から解き放たれ、一自我を持つ人間になれた今。
望むのは他者の〈 幸い 〉 と、自身の社会的な〈 浮かぶ瀬 〉。
初っ端から語り過ぎた感は否めないが、結局の所切っても切り離せない因縁もあるということだな。
これぞ【 腐れ縁 】 というやつなのだろう。
それが自分の場合、世間一般には 【 家族 】 と呼ばれ、温もりや慈しみによって育まれるであろう居場所が、毒に染まり適用されていた訳だ。
兄弟贔屓も実は甚だしいし、扱いは雲泥の差だし、今尚同じだけの価値を持つ人間として扱われないことが、ただただ悲しい。
毒親の元に生まれ、毒親族に囲まれて育った生粋の毒育ち。
とても他人に褒められる出身でないことは火を見るよりも明らかだけれども、それでも自分はこの歪な過去や因縁を背負って生きて行くしかない。そして生きている中で、いつかこの悪縁を鄭重に断ち切るのだ。
自死も一時考えた時期があったが、思う壺に嵌るようで悔しくて虚しくて止めたのだ。
今はそれで正解だったなと思っている。
生きていれば、自分の手で他者へ幸せを施してあげられる可能性が保たれる。勿論、自分を愛する為にも。
【 満身創痍 】 もいいところだ。
何か「 傷付いた分だけ他人に優しくなれるだろ 」 とか、血縁等がそれを言うかって感じなのだけど、だからって虐待して良い訳にはならんよな? 単に正当化したいだけなのだろうね。
とまあ、今回はこれくらいにして。
次回以降は丁寧に紐解いてみるか。
本心を文章にして書き綴るのは、証明をしているようで楽しい。
身の上話を語るのは、「 こういう人間もいるよ 」 っていう存在証明を兼ねた記録であり、自分が何をどう思っているのか今を生きる為に把握しておく作業でもある。
この淡々とした作業が、いつの間にか好きになっていたな。
まあ、切っ掛けは [ 最悪 ] だったが故に、奴等への復讐も兼ねて晒している訳だな。
そうした生き方を選んだのは自分であるから、つべこべ言うつもりは無いけれど、強いて言うのなら昔と変わらず、【虐待による犠牲者が減って欲しい】。
本当に経験者から言わせて貰って、それだけは言いたい。
虐待から生まれるものは、不幸しかない。
我が子であったとしても親の所有物ではないのだから、好き勝手していいことにはならない。
人間である以上、一人一人尊ぶべき命と人格と人間性を持っている。
それを尊重出来ずに蔑ろにする人間は、害悪にしかならない。
伸び代のある子どもの未来すら掌握して潰すとは、なんて非道な輩なのだろう。
自分の生き様は、慨世と共に在る。
この身が滅ぶ、その先まで――。