今日で3月ラストですね。
いろんな思い出を。
昨年末、演劇ゼミの卒業公演が無事に終わりました。
卒業公演って、ピッコロ演劇学校以来、久々に聞いた言葉でしたね。
私は舞台監督だったのですが、卒業公演が終わって、心底ほっとしました。
みんな青春していました。
私は小学校・中学・高校のとき演劇部でしたが、青春の真っ只中に身を置いているときは、青春を実感したことがありませんでした。
演劇学校のときは、取り組み方がそれまでと変わり、青春とはまた違った感情と環境のなかにいました。
けれども、ゼミではなぜか、公演前に円陣を組んだときに、「青春のなかにいる」感覚を強く感じました。
それは、年齢の離れた立場から周りのゼミ生たちを見たとき、彼らがとてもキラキラしていたからでした。
彼らが社会に旅立つ前の、学生として、未来ある希望の若者として、純粋に演劇と向き合っている輝きが眩しかったのです。
続いて、先月はゼミの発表がありました。
これが、最後のゼミでの活動となりました。
発表は、フラッシュモブ。
初体験でした。
しかも、曲は『前前前世』!
テンポが速い!!
高校の頃、ストリートダンスを習っていたのですが、久しぶりのダンスで身体中が筋肉痛になりました。
ピッコロ卒業してから踊ることも少なくなり、3年前の1回生のときにダンスの授業をとって以来でした。
痛かったけれど、みんなで踊れて、練習も本番もすごく楽しかったです。
卒業後バラバラになるゼミ生数人を自宅に招いて、ダンス合宿をしました。
発表は大成功でした。
こんなに踊ることも、もうないんだろうなぁ。
本当は、できることなら、もっと演技がしたかった。
みんなと芝居がしたかったなぁ。
これが、正直な気持ちのひとつ。
ゼミ生たちとは、卒業旅行にも行きました。
この歳で卒業旅行に行けるなんて思ってもみなかったので、送り出してくれた主人にも、誘ってくれたゼミ生たちにも感謝です。
この旅行も楽しすぎて、終わるのが寂しくて寂しくて、なんだかセンチメンタルな気分になりました。
本当に良い思い出になりました。
思い起こせば、2回生のとき、ゼミを選ぶ際にとても悩みました。
文芸ゼミを選ばなかったことに、ずっと後ろめたさというか、文芸の先生方に申し訳なさがありました。
文芸ゼミは、私たちの学年で最後でした。
だから悩みました。
何より、自分がなぜこの大学に入ったのか、そこの部分がぶれるのではないかとも思いました。
けれども、演劇を好きな気持ちに蓋をすることができなかった。
この大学の演劇ゼミに入らなかったら、一生後悔すると思いました。
今、演劇ゼミに入って良かったと、ゼミの先生方やゼミ生たちとも出会えて良かったと、心から思います。
ちなみに、専攻は、文芸と出版編集のダブルメジャーです。
部活は文芸部でした。
文芸や出版編集で出会った先生や友達、部の先輩とも、有り難いことに仲良くさせていただいています。
この出会いと繋がりは、私のなかでとても大きなものとなっています。
この前、文芸のお食事会がありました。
文芸の先生方、卒業生、同期生が集まりました。
文芸では元々先輩後輩集まって、先生のご自宅にお邪魔させていただくこともあったのですが、大人数で、しかも先生方が揃って集まるのは初めてのことでしたので、嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。
文芸専攻の最後に集まれて、楽しいひとときを過ごせたことは、最高の思い出です。
いろんな経験ができたことが、私には良かったのだと思います。
先日、卒業式がありました。
昨年の「送辞(送別の言葉)」に続き、今年は「答辞(感謝の言葉)」を読みました。
そして、おかげさまで理事長賞をいただきました。
4年前に30歳で社会人入学したときは、まさか首席で卒業するとは思ってもみませんでした。
毎学期毎学期、死に物狂いで勉強してきました。
入学のときに友達が祝ってくれたことを励みに頑張ってきました。
体力的には何とか耐えることができても、正直精神的に苦しい時期もありました。
大学を辞めたくて辞めたくて、でも本当は辞めたくなくて、ソファーにしがみついて泣いた日々もありました。
一緒に暮らす旦那は、たぶん相当しんどかったことでしょう。
それでも支えてくれて、見守ってくれました。
そのおかげで、好きな勉強を諦めずに済みました。
今年ほど、「卒業」を意識した年はなかったかもしれません。
中学のときは、父が亡くなった8ヶ月後で不安が大きく、ただ漠然と友達と離れる淋しさを感じていました。
高校のときは、卒業式のあとに演劇学校の入学試験があったので、準備や練習でそれどころではありませんでした。
演劇学校のときは、迷いのなかにいました。情けなさとふがいなさとで、ただただ迷っていました。
けれども15年後の昨年の夏、ピッコロシアターという大事な場所に、戻ってくることができました。
役者としてではなく、演劇ゼミ内の劇団で、脚本として。
稽古のときは意識していませんでしたが、公演当日、ピッコロの同期生と再会して、他にも奇跡的なことが起こり、自分の人生にとってピッコロシアターに戻ってきたということの重要さを実感せずにらいられず、胸にこみあげてくるものをおさえることができませんでした。
この度の卒業は、私にとって大きなものとなりました。
明日からは、大学院生になります。
この春休みは、調査の仕方を学ぶための課題に取り組んでいました。
とても難しくて、まだまだ終わりそうにありません。
こんなに大変なことを世の中の研究者の方々はしていらっしゃるのかと尊敬するとともに、あまりの難しさに頭を抱えています。
それでも、大学院で学ぶのは、一生書き続ける作家になるためです。
一生書き続ける作家になるには、文章の専門家として、うまくならないといけません。
そのためには、私の場合、自分が好きなように想像で書き続けていても、うまくなりません。
私は大学で自分に合った執筆方法を見出だしました。
これなら、一生をかけて、私が本当に書きたいことをテーマにして、説得力を持って書き続けられるかもしれないと、希望を見つけました。
それには、勉強しないといけないこと、身に付けなければいけない調査の方法などがあることを痛感しました。
それを研究を通して学ぶために、大学院進学を決めました。
もうすぐ、入学式です。
この前卒業して、4年前に出席した同じ入学式にまた参加するのも不思議な感じですが、気持ちを新たに頑張りたいと思います。
ってことで、「大学卒業」ー!
4年前の入学にお祝いしてくれた友人たち、この4年間応援してくれた方、支えてくれた方、本当に本当にありがとうございました!
大学の4年間は、年柄にもなく、青春を感じました。
たしかに青春のなかにいました。
一大決心をして選んだ進学の道でしたが、大学に行って、学んで良かったです。
卒業式で答辞を読むのが、社会人学生の私で本当に良いのかと自信がありませんでした。
表彰も、答辞も、緊張感と感無量の思いで胸がいっぱいでした。
いざ壇上で勲章をいただいて、先生方を前に感謝の言葉を読み上げたとき、何度も涙が出そうになりました。
本当に、感謝しかありませんでした。
その気持ちをとても良い形で伝えることができて、心から嬉しかったです。
卒業式には、主人も時間を作って、母と駆けつけて、見届けてくれました。
34歳にして、袴が着られるとは。
感無量です。
ちなみに、袴は着物の袖の長さが決まっているので、振り袖と違って、既婚者でも着られるそうです。
なので、社会人学生がもっと増えるといいなと思います。
社会に出てからも、人間は一生勉強です。
仕事でも家庭でも、あらゆる場面で。
本当に本当に必要な勉強があるとき、ちゃんと学べる世の中が良いなと思います。
現役が良いのかもしれませんが、人生は一通りじゃありません。
私はたまたま、勉強する時期やできる時期が今でした。30歳からでした。
他にも、そういった人がいらっしゃると思います。
実際、うちの大学だけでなく、他大学でも、社会人入試を受ける人、社会人学生として勉学に励む方は多いです。
高校三年生のとき、事情があって大学進学を諦めたとき、強がって、きっといつか通える日が来ると、自分を奮い立たせました。
担任の先生もそう励ましてくださりました。
12年待って、ようやくその日が来ました。
そして、おかげさまで無事に卒業を迎えることができました。
そして、その先の道も見えてきました。
またいつか必ず演劇の世界に戻ってこられる日を目指して、良い作品が発表できるよう、今後も頑張っていきます。
一日も早く作家として胸を張れるように。
明日から大学院生になりますが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
桜澤 美雅