昭和時代(1969年)~平成初期(1990年)まで
放送されていた、日本のテレビで放送された
音楽番組の「御三家」と言えば…、
T B S系 「ザ・ベストテン」
日本テレビ系 「トップテンシリーズ」
フジテレビ系 「夜のヒットスタジオ」
TBS「ザ・ベストテン」
①司会者が、「ザ・ベストテン」と一緒にコール
してスタート!
②司会者が登場!バックにオーケストラピット
がありました!
③司会は黒柳徹子さんと男性司会者
(初代は久米 宏さん)。
④オーケストラのドラムンベースの演奏に合わ
せて「パタパタ動く」ランキングボードで、今
週のランキングが順位ごとに発表!
⑤ファンファーレと共に、回転扉(ミラーゲート)
から、歌手(グループ)が登場してきました!
⑥初めて出演の歌手は「サイン記帳」の儀式。
⑦ランクイン以外の歌手は、「今週のスポット
ライト」で不定期に紹介する事がありました。
⑨最後に登場する「1位の人」!1位専用の
ファンファーレで祝福され、スタジオでも
「くす玉など」の演出で迎えられました。
⑩最後は全員で記念撮影してフィニッシュ!
⑪放送時間が「21時以降」であった事から、
中学生の出演が「NG」でした。
日テレ「ザ・トップテン」
①日テレ音楽学院のレッスン生「ザ・バーズ」が
ポンポンを振って踊った後、ポンポンを手に
集まって数字の「10」を作っていました!
(トップテンの「10」)。ザ・バーズは渡辺プロ
グループの東京音楽学院のスクールメイツに
相当しました。
②「10」の人文字の後ろから、司会の堺 正章さ
ん・榊原郁恵さんが登場します(マチャアキ・
トントンのコンビで有名でした)。
③御三家の音楽番組では唯一の「公開生放送」
でした(ベストテンと夜ヒットは非公開の生放
送)。最も多く使われた会場は東京の渋谷公
会堂でした。修学旅行生が観覧している場合
は、カメラを向けて紹介されていました!生で
観覧できた思い出は、生涯の宝物でした!
④ランキングは「レコードの売り上げ・有線放送
リクエスト回数・各地の日テレ系列局からの
情報提供・視聴者リクエスト」の4つのデータ
をコンピューターに入力し算出していました。
⑤ランキングは司会席にあるモニターに表示さ
れていました。
⑥発表の演出が凝っていて、「猿の顔」が使わ
れていました!これはマチャアキさんが昔…
日テレ系で放送されたドラマの 「西遊記」で
主役の「孫悟空」を演じていた事が由来です。
猿の顔のパターン
(A)初めてのランクイン・ランクアップ・
2週連続以上で、1位をキープした時
「ニコニコ」(歯を見せ満面の笑み)
(B)2位以下で、「先週と同じ順位」だった時
「無表情」(目をつむり「シーン」と)
(C)ランクダウンの時
「涙目」(下向きで「エーン」と泣く)
⑦ランクインした歌手はエレベーターに乗り
ステージの位置まで降りてからドアが開き
インしました!但し、エレベーターに乗れる
のは「3人まで」だったとの事で、4人以上
が登場する場合は「グループの誰かが乗
る」場合が多かったです。
※放送末期の頃には「バンドブーム」や、多
人数のグループアイドルの出演が増えて
きた事から、ランキングボードを登場口に
変更して、ボードを扉にして左右に開く、
自動ドアからの登場に変更されました!
⑧初めて出演の歌手は「記念撮影」。写る際
の決めセリフ。マチャアキさんが「親子で」
郁恵さんが「ブッ!」でした!
⑨スタジオにアナウンサーが待機して、11位
~20位のランキングを伝えました!
※日テレ「トップテン」と、後述するフジの「夜
ヒット」が月曜日に放送されていた事から
夜ヒットへの出演を優先する歌手が多く
「トップテンへの出演拒否」する場合が見
られました。
⑩放送時間が「21時より前」であった事から
中学生以下の出演が「御三家番組」の中
で、「唯一」可能な番組でした!
フジ系「夜のヒットスタジオ」
1968年の11月~1990年の9月まで、「22年
間も」放送された音楽番組の金字塔です!
ベストテン・トップテンはランキング通りに歌
手を出演させる方式でしたが、夜ヒットは歌
手の個性に合わせ司会者が進める番組で
「トークを重視」していました!司会者は、
全期に亘って務めた、芳村真理さんをメイン
に前田武彦(故人)さん・三波伸介さん(故人)
井上 順さん・古舘伊知郎さんの「歴代」の男
性司会者が支えました!
※放送時間が「22時台」を越えていた事から
中学生以下どころか、「17歳未満」の歌手
でも出演不能でした!
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