お久しぶりでございます、久しぶりにアメブロに日記書きます。
過去二十五年間、一冊の小説も読まず、ひたすらアニメだけ見て来た僕の『小説を書く』という挑戦はまだまだ続いております。一昨年の秋に思い立ち、このアメブロで『ちょっと大人な私達の日常』というお話を書き始めて早いものであれから一年半が過ぎようとしているのですが、その試みは発表の場所を変えつつも、まだ続いていたりします。
さて、今回久しぶりにここで日記を書いたのには訳がありまして、それは、『小説を読んだ事がないアマチュア作家の苦悩』みたいな裏話を書いてみたいなぁ…と、思ったからです。師も持たず、全くの我流、沢山書いて、沢山悩んで失敗しながら見つけた自分的法則なんかのお話しを不定期でぽつぽつ書いて行けたらいいと思います。そして、その第一回目のテーマが
『ラノベって何?
一般小説との違いって何!?』
という、誰もが分かってそうで、実はなかなか分かり辛い凄く曖昧なお話しです。
実はこれ、僕自身もつい最近その違いに気が付いたのですけどね…。
まず、そもそもなんで僕がそれを気にし始めたのかと言いますと、近年、俗にいう『ラノベ』と『一般小説』の垣根が曖昧になってきてて、自分の書いているお話しが『ラノベ』なのか、『一般小説』なのかが分からなくなってしまったのが原因でした。
そこで、ネットをうろちょろ徘徊して調べたのですが、色んな意見がありすぎて『調べれば調べる程ど分からなくなってしまう…』という事態に陥ってしまいました。とにかくその意見を書いている人の『主観』ばかりで、『俺(私)はこう思う!』という意見が多いのです。
そこで、幾つか覚えている例をざっくり書くとすると、
○『主人公が二十代前半までの物が『ラノベ』、それ以降の物が『一般小説』』
○『武器、兵器が出て来るのが『ラノベ』、出てこないのが『一般小説』』
○『セリフが多いのが『ラノベ』、少ないのが『一般小説』』
○『ラノベのレーベルから出版されてるのが『ラノベ』、
一般小説のレーベルから出てるのが『一般小説』』
まあ、そんな感じでした。
最初の二つに関しては、言わんとしている事は分からなくもないけれど、かなり乱暴な意見のような気もします。実際、主人公が学生で、思春期なりの苦悩を描いた文学小説は沢山あるでしょうし、ラノベではない『SF』や『軍事物』なども世の中には沢山あるはずです。そこらへんのカテゴリー分けは実はWikipediaでもほぼ同じで、僕が子供の頃に読み漁っり、完全にラノベ作家とは違うと思っていた、田中芳樹先生や、夢枕獏先生、菊池秀行先生辺りも完全に『ラノベ枠』に入れられていて何だかとても釈然としません。というか、益々『ラノベ』と『一般小説』の垣根が何処にあるのか分からなくなってしまいます。
三つ目の、『セリフ』これについては、僕も同感ですし、四つ目に関しては完全に極論で、間違いない分け方だと思うのですが、それは外見的な分け方で、本来の『内容の違いは?』という点からしてみると、全くもって答えになっていない気がします。
さてさて、そんなこんなで、自分が書いているのが『ラノベ』か『一般小説』か? それも分からないまま、ずっと悶々としながら執筆してきたのですが、つい最近、自分なりの『明確な違い』という物が見えたので、書いてみようと思います。(これもまあ、僕の『主観』で申し訳ないのですが…)
一番簡単にその違いを説明できるのが『泣く』『事件』という二つの言葉です。
(一つ目の『涙』は、別に『笑い』でも『怒り』とかのような、他の感情を現す
単語でもいいです。)
○『読者に『事件』を観せるために、登場人物を『泣かせる』のが『ラノベ』』
○『登場人物を『泣かせる』ために、事件が起きるのが『一般小説』』
もう少しかみ砕くと
○『事件を読ますのがラノベ』
○『泣く姿を読ますのが一般小説』
という、考え方です。
前者だと、とにかく見せたいのは『その時起きている事件』なので、登場人物がどうして泣いているのか? なぜ笑っているのか? という部分はあまり掘り下げません。ここら辺は近年の『ラノベ原作アニメ』を見ていると如実に現れていて、『Aボタンを押すとジャンプ』くらい簡単に泣いたり、笑ったり『べ、別にあんたのためにやってるんじゃないんだからねッ!」と、ツンデレたりします。でも、それでいいんです。あまり深くキャラクターを掘り下げてばかりいると、一番読ませたいはずの、肝心な『事件』が進みませんから。
後者の場合は対極的で、『どうしてその子が泣いているのか?』という部分を書いて、『ああ、そうそう、俺も三十過ぎてから寝小便した時は悲しかったよ…』と読者に共感してもらうのが大きな目的になるので、あまり奇想天外な事件ばかり発生していたら肝心の心情を描くスペースが無くなってしまいます。
今、僕が応募しているのは大手出版社さんの新人賞です。各会社によって、『文字数×行数』の規定はまちまちですが、概ね原稿用紙500枚までの賞のに応募しています。最近の、『小説家になろう』のような『枚数』ではなく、『文字数』換算にするとどうでしょう、ざっくり10万文字~13万文字くらいなんでしょうかね?(枚数換算し始めてからあまり文字数を気にしなくなったのでよくわかりませんが、それくらいだと思います)。
そんな感じで、文字数にせよ、枚数にせよ制限があります。小説は少年漫画のように、設定が決まったらとにかく発進して、レッドリボン軍と戦ったり、ベジータや、フリーザ、セルと戦うといった具合に、『どんだけ飛べるか?』の競技ではなくて、1枚目で離陸し、500枚目で着地するまでの限られた中、『どんな演技を見せるか?』の競技です。ですから、『ラノベ』は、その限られた枚数を『物語』の方に重点を置くので、その進行の大半を『セリフ』で賄います。なので、必然的にセリフの割合が増えます。
例えば『おしっこがしたいけどトイレが空いてない』(そんな例えばかりでごめんなさい…)
という状況があるとします。セリフで言ってしまえば簡単で
「ト、トイレに行きたいのにどこも空いてないのよ…」
彼女は股間に手を当てて地団駄を踏んでいた。
と、書けば十分で、どんどん話を進める事が出来ます。逆に、一般小説的な考えだと、ソコが読んでもらいたい一番大事な場所なので、言葉で言ってしまう代わりに、この『おしっこ漏らしそうなピンチ』を文面で読んでる人にも体感してもらいます。だから、風や、湿度、天候、匂い等周りの状況や、心理描写なんかも入って細かくなります。そうすると、読んでる人も『そうそう! 俺もトイレ我慢してた時にやたら時計が気になったんだよな!』とか『個室使ってる人がえらく長くて、いったい中で何やってるんだろう? って考えた事がある!』ってなるんです。
そこらへんを踏まえて、『近年、ふたつの境界が曖昧になりつつある』という状況が生まれたのは、『そこそこ気持ちの部分を描きつつ壮大なストーリーが展開するラノベ』や、『細かく登場人物の心の移り変わりを描きつつも、そこそこ大きな物語が起きる一般小説』が増えたからだと思います。
後は、読む読者層の違いですかね?
相変わらず小説は読んでいませんが、ラノベ原作のアニメを見てると同じ物ばかりに見えるのは
『心』を描いていないからだと思います。心の中が分からないから、細かい個人の違いが分からなくて、せいぜい『ツンデレタイプ』『委員長タイプ』『どじっ子タイプ』のような違いしか出せないので、どうしても似た登場人物ばかりになってしまいます。そして、似たような登場人物達が織りなす物語なので、やっぱり似た物語になってしまいがちです。そういう、感情がテンプレートで進むアニメを見ていると、『どうしてこの子がそこまで泣くのか理由が分からない?』『どうしてこの主人公が、そこまで復讐に燃えるのか、今一つ納得行かない』と、感じてしまった途端に現実に引き戻されてしまうのは、僕が年を取ってしまったからなんですかね?
『中年どころか、初老の男が『少年○○○○』読んでモンク言ってんじゃねーよ?』
的な事を言われそうなので、細かい部分は割愛させてもらいますw
ちなみに、今現在執筆しているのは
『それなりに心を描きつつも、それなりに奇想天外な事件が起きる』
という、とっても中途半端な素人作品です。
もしよろしければ、お目汚し、時間つぶしにどうぞ。
The wind like a knife of a double edge
【佐々木、お前うんこ漏らしただろ?】
http://ncode.syosetu.com/n2434dc/
にしやま
過去二十五年間、一冊の小説も読まず、ひたすらアニメだけ見て来た僕の『小説を書く』という挑戦はまだまだ続いております。一昨年の秋に思い立ち、このアメブロで『ちょっと大人な私達の日常』というお話を書き始めて早いものであれから一年半が過ぎようとしているのですが、その試みは発表の場所を変えつつも、まだ続いていたりします。
さて、今回久しぶりにここで日記を書いたのには訳がありまして、それは、『小説を読んだ事がないアマチュア作家の苦悩』みたいな裏話を書いてみたいなぁ…と、思ったからです。師も持たず、全くの我流、沢山書いて、沢山悩んで失敗しながら見つけた自分的法則なんかのお話しを不定期でぽつぽつ書いて行けたらいいと思います。そして、その第一回目のテーマが
『ラノベって何?
一般小説との違いって何!?』
という、誰もが分かってそうで、実はなかなか分かり辛い凄く曖昧なお話しです。
実はこれ、僕自身もつい最近その違いに気が付いたのですけどね…。
まず、そもそもなんで僕がそれを気にし始めたのかと言いますと、近年、俗にいう『ラノベ』と『一般小説』の垣根が曖昧になってきてて、自分の書いているお話しが『ラノベ』なのか、『一般小説』なのかが分からなくなってしまったのが原因でした。
そこで、ネットをうろちょろ徘徊して調べたのですが、色んな意見がありすぎて『調べれば調べる程ど分からなくなってしまう…』という事態に陥ってしまいました。とにかくその意見を書いている人の『主観』ばかりで、『俺(私)はこう思う!』という意見が多いのです。
そこで、幾つか覚えている例をざっくり書くとすると、
○『主人公が二十代前半までの物が『ラノベ』、それ以降の物が『一般小説』』
○『武器、兵器が出て来るのが『ラノベ』、出てこないのが『一般小説』』
○『セリフが多いのが『ラノベ』、少ないのが『一般小説』』
○『ラノベのレーベルから出版されてるのが『ラノベ』、
一般小説のレーベルから出てるのが『一般小説』』
まあ、そんな感じでした。
最初の二つに関しては、言わんとしている事は分からなくもないけれど、かなり乱暴な意見のような気もします。実際、主人公が学生で、思春期なりの苦悩を描いた文学小説は沢山あるでしょうし、ラノベではない『SF』や『軍事物』なども世の中には沢山あるはずです。そこらへんのカテゴリー分けは実はWikipediaでもほぼ同じで、僕が子供の頃に読み漁っり、完全にラノベ作家とは違うと思っていた、田中芳樹先生や、夢枕獏先生、菊池秀行先生辺りも完全に『ラノベ枠』に入れられていて何だかとても釈然としません。というか、益々『ラノベ』と『一般小説』の垣根が何処にあるのか分からなくなってしまいます。
三つ目の、『セリフ』これについては、僕も同感ですし、四つ目に関しては完全に極論で、間違いない分け方だと思うのですが、それは外見的な分け方で、本来の『内容の違いは?』という点からしてみると、全くもって答えになっていない気がします。
さてさて、そんなこんなで、自分が書いているのが『ラノベ』か『一般小説』か? それも分からないまま、ずっと悶々としながら執筆してきたのですが、つい最近、自分なりの『明確な違い』という物が見えたので、書いてみようと思います。(これもまあ、僕の『主観』で申し訳ないのですが…)
一番簡単にその違いを説明できるのが『泣く』『事件』という二つの言葉です。
(一つ目の『涙』は、別に『笑い』でも『怒り』とかのような、他の感情を現す
単語でもいいです。)
○『読者に『事件』を観せるために、登場人物を『泣かせる』のが『ラノベ』』
○『登場人物を『泣かせる』ために、事件が起きるのが『一般小説』』
もう少しかみ砕くと
○『事件を読ますのがラノベ』
○『泣く姿を読ますのが一般小説』
という、考え方です。
前者だと、とにかく見せたいのは『その時起きている事件』なので、登場人物がどうして泣いているのか? なぜ笑っているのか? という部分はあまり掘り下げません。ここら辺は近年の『ラノベ原作アニメ』を見ていると如実に現れていて、『Aボタンを押すとジャンプ』くらい簡単に泣いたり、笑ったり『べ、別にあんたのためにやってるんじゃないんだからねッ!」と、ツンデレたりします。でも、それでいいんです。あまり深くキャラクターを掘り下げてばかりいると、一番読ませたいはずの、肝心な『事件』が進みませんから。
後者の場合は対極的で、『どうしてその子が泣いているのか?』という部分を書いて、『ああ、そうそう、俺も三十過ぎてから寝小便した時は悲しかったよ…』と読者に共感してもらうのが大きな目的になるので、あまり奇想天外な事件ばかり発生していたら肝心の心情を描くスペースが無くなってしまいます。
今、僕が応募しているのは大手出版社さんの新人賞です。各会社によって、『文字数×行数』の規定はまちまちですが、概ね原稿用紙500枚までの賞のに応募しています。最近の、『小説家になろう』のような『枚数』ではなく、『文字数』換算にするとどうでしょう、ざっくり10万文字~13万文字くらいなんでしょうかね?(枚数換算し始めてからあまり文字数を気にしなくなったのでよくわかりませんが、それくらいだと思います)。
そんな感じで、文字数にせよ、枚数にせよ制限があります。小説は少年漫画のように、設定が決まったらとにかく発進して、レッドリボン軍と戦ったり、ベジータや、フリーザ、セルと戦うといった具合に、『どんだけ飛べるか?』の競技ではなくて、1枚目で離陸し、500枚目で着地するまでの限られた中、『どんな演技を見せるか?』の競技です。ですから、『ラノベ』は、その限られた枚数を『物語』の方に重点を置くので、その進行の大半を『セリフ』で賄います。なので、必然的にセリフの割合が増えます。
例えば『おしっこがしたいけどトイレが空いてない』(そんな例えばかりでごめんなさい…)
という状況があるとします。セリフで言ってしまえば簡単で
「ト、トイレに行きたいのにどこも空いてないのよ…」
彼女は股間に手を当てて地団駄を踏んでいた。
と、書けば十分で、どんどん話を進める事が出来ます。逆に、一般小説的な考えだと、ソコが読んでもらいたい一番大事な場所なので、言葉で言ってしまう代わりに、この『おしっこ漏らしそうなピンチ』を文面で読んでる人にも体感してもらいます。だから、風や、湿度、天候、匂い等周りの状況や、心理描写なんかも入って細かくなります。そうすると、読んでる人も『そうそう! 俺もトイレ我慢してた時にやたら時計が気になったんだよな!』とか『個室使ってる人がえらく長くて、いったい中で何やってるんだろう? って考えた事がある!』ってなるんです。
そこらへんを踏まえて、『近年、ふたつの境界が曖昧になりつつある』という状況が生まれたのは、『そこそこ気持ちの部分を描きつつ壮大なストーリーが展開するラノベ』や、『細かく登場人物の心の移り変わりを描きつつも、そこそこ大きな物語が起きる一般小説』が増えたからだと思います。
後は、読む読者層の違いですかね?
相変わらず小説は読んでいませんが、ラノベ原作のアニメを見てると同じ物ばかりに見えるのは
『心』を描いていないからだと思います。心の中が分からないから、細かい個人の違いが分からなくて、せいぜい『ツンデレタイプ』『委員長タイプ』『どじっ子タイプ』のような違いしか出せないので、どうしても似た登場人物ばかりになってしまいます。そして、似たような登場人物達が織りなす物語なので、やっぱり似た物語になってしまいがちです。そういう、感情がテンプレートで進むアニメを見ていると、『どうしてこの子がそこまで泣くのか理由が分からない?』『どうしてこの主人公が、そこまで復讐に燃えるのか、今一つ納得行かない』と、感じてしまった途端に現実に引き戻されてしまうのは、僕が年を取ってしまったからなんですかね?
『中年どころか、初老の男が『少年○○○○』読んでモンク言ってんじゃねーよ?』
的な事を言われそうなので、細かい部分は割愛させてもらいますw
ちなみに、今現在執筆しているのは
『それなりに心を描きつつも、それなりに奇想天外な事件が起きる』
という、とっても中途半端な素人作品です。
もしよろしければ、お目汚し、時間つぶしにどうぞ。
The wind like a knife of a double edge
【佐々木、お前うんこ漏らしただろ?】
http://ncode.syosetu.com/n2434dc/
にしやま