がじゅまるの毒親体験記

がじゅまるの毒親体験記

35歳(♂)、結婚と離婚を経験し、毒祖育ちのアダルトチルドレンが自分を見つけていくまでの過程をブログにします。

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計画通りに行動できない

朝起きてから外出準備をして実際に外出するまで

異様に時間がかかることは、

ADHDの症状の中でも私は顕著だ。


元々一昨日の月曜日に行こうと計画していた。

朝起きたら雨が降り出しそうな天気。

準備をしている間にパラパラと降り出した。

外に出るのはやめた。


昨日起きたら外の天気はいい。

市役所までは歩いて1時間ちょっと。

入念に足のストレッチをして15時過ぎに

やっと玄関の扉を開けた。


そこにはAmazonで頼んでいた本が

置き配されていた。

ちょっとだけ。

段ボールを開けるだけ。

そう思って開けたら、読み始めてしまった。

昨日も出発できなかった。


三度目の正直

今日も天気は良さそう。

入念に足のストレッチをして15時に

家を出た。

途中トイレに立ち寄った図書館で、

本を読みたくなる。


いかん、いかん。

市役所に行かないと受付時間に

間に合わなくなる。


16時半に市役所に着いた。


手帳の重み

等級は、精神障害3級だった。

精神障害の場合は2年ごとに更新が必要

とのこと。


市役所の職員の方が、

手帳の説明や制度について簡単に

説明してくれた。


施設入館料や、公共料金の割引が

受けられるようだが、

働けているうちは、特に利用予定はない。


手帳はお守りに持っておこう。

なんだかこのお守りは、

僕にとってはずっしり重かった。





睡眠を管理するようになった

休職する前、まず眠れなくなった。


休職してからは少し眠れるようになっなけど、

眠りが浅く夢をずっとみている感覚があった。

頭では寝たと思っても、

起きると体がだるくて疲れが残っていた。


Garminのスマートウォッチ機能に、

睡眠時間と、ボディバッテリの可視化がある

ので、使ってみることにした。


休職するまで、寝る時に時計をしながら寝る

なんてことはしたことなかった。


朝起きても体力50?!

事前に入力した身長体重などの情報から、

MAX体力を100として、

ボディバッテリを見ることができる。


休職したての頃は、

朝と起きた時点でも50-70の値だったが、

4月に入ってからは、

起きた時点で75以上の体力値まで

回復しているのがわかる。


詳しい仕組みはよくわからんけど、

自分のHPを見れてるみたいで面白い。


ゲームのように、

宿屋で寝たら体力満タン!

なんて簡単にはいかないんだなあ。


まずは、このボディバッテリを

安定して回復させていけるように睡眠とろう。



 

歯科検診にて歯が紫に

もう5年ほど前になると思うが、

会社で希望者に対して歯科検診をしてくれた際に、

歯垢に反応する薬で全ての歯が紫色になった。

 

なかなかのショックな光景だった。

僕の歯はこんなに汚れていたんだと。

 

その際に、毎日の歯ブラシに加えて、

歯間ブラシを使った方がいいことを教えてくれた。

 

正しい歯間ブラシの使い方を教えてもらってから、

QOLが上がった。

 

虫歯にならないし、

口が臭いと感じることも無くなった。

 

 

我が家では歯間ブラシは悪者扱いだった

歯間ブラシや糸ようじという商品があることは

もちろん知っていた。

 

しかし、私が育った家族では、

糸ようじは悪者扱いされていた。

 

これを使うと、歯の隙間が開いてしまうからよくないのだと、

祖母がよく言っていた。

 

ただ、今思えば、そんな祖母は自分の歯が

1本もなかったりするのだが笑

 

 

専門家のアドバイスに素直に

今回の場合、

自分の歯を全部紫色にされたことで、

初めて家族のルールが間違っていることに気づけた。

 

だけど、

単純に歯医者さんから糸ようじ使った方がいいよと

言われただけだったら、

使う習慣にならなかったと思う。

 

それほど、

家族の中のルールは自分の中で強固に染み付いているんだと

改めて知った。

 

 

人のアドバイスを素直に聞いてみる。

こだわりの強いASD特性も相まって、

これがまたとても難しいことだ。

 

 

ただ、そのマイルールは

ちゃんとした証拠があるんだっけ?

そうやって立ち止まって、

周りのアドバイスも少しだけ聞くってことも

してみてもいいのかな。

 

やっと届いた通知書

ADHD、ASDの診断を受けてから約1年。

その後、上司へのカミングアウトや、

投薬治療なども続けてきた。

 

ただ、ずっと拭えなかった生きづらさ、働きづらさ。

ついにオーバーワークが故に、

休職をすることになった。

 

そんな中以前申請していた、

本日、障がい者手帳の結果が市役所から届いた。

 

等級は書かれていないものの、

手帳交付を知らせるものだった。

 

 

申請までの葛藤

当時、手帳を申請することには抵抗があった。

病院ではADHDとASDと診断されたものの、

公的に自分が障がい者だと認めたくないという

思いがあったから。

 

普通の人のように働きたい。

普通の人のように人の役に立ちたい。

その思いで必死にやってきた自分を否定することに

なるような気がしたから。

 

まだ、手帳の具体的な使い方については決めていない。

すぐに障がい者雇用として働くことを決めているわけではない。

 

だけど、

現実を見つめた時に、

自分が一番社会に役立つには、

自分が一番自分でいられるにはと考えた時に、

現実を受け止めたいと思った。

 

自分を認めることの助けになれば

通知が届いた時、

行政からも自分が福祉を受けるに値すると

認めてもらえたことは正直に嬉しかった。

 

うまく表現できないけれど、

ほっとしたというか、

自分頑張ったんだって。

 

必死にくらいついて、

休職するまでよく頑張ったんだって。

 

今は、そんな自分をただただ褒めてあげたい。

 

 

 

 

 

 

歩いていてイラッとした

歩道を歩いていると、

ポケットに手を突っ込んだ自転車が

私の横を抜かしていった。

そのとき、私は無意識に、何も考えずともイラッとした。

 

でも、あれ?なんで今イラッとしたんだろうと思う自分がいた。

自転車はスレスレを抜かしていって

怖い思いをした訳でもないし、

何も私に嫌なことをしてきた訳じゃなかったから。

 

ただ、自転車に乗る時に、片手をポケットに突っ込んだまま

乗っていることに対してイラっとしたのだった。

 

 

不倫の芸能人を叩く気持ちと同じだ

自分に危害を加えてきた訳じゃないのに、

 許せなくなったりイラッとすることの例として

不倫した有名人を叩くあれと同じだと思った。

 

私は芸能ニュースはほんとんど見ないから、

人の不倫に対していちいちイライラしたり

叩いたりしないけど、

同じことを、すぐ横を通った人に対してしているんだと気づいた。

 

 

感情の裏には必ずマイルールがある

自分の感情の裏には必ずマイルールがあるという

ことに気づいた。

 

今回であれば、

ポケットに手を入れて自転車を漕ぐことはいけないこと。

もしくは、危険なことでよくないこと。

 

こういった、マイルールがあったのだ。

どこでこのルールを身につけたんだろうと考える。

 

おそらく、小さい頃に、

親から自転車を乗る時のマナーやルールを教えられたのだと思う。

 

 

 

怖いことは無自覚にマイルールを人に押し付けること

ポケットに手をいれた人が通っただけで、

反射的に僕はイラッとしていた。

 

もし、その人が知っている人だったら注意していたかもしれない。

 

でも、そもそもその気持ちって

どんなルールから生まれたんだろう。

 

こんなことを一呼吸置いて、考えてみる

ことが大切になりそうだと思えた一日だった。

 

 

 

 

 

 

「かわいそうだね」

小学校三年生の頃、

慢性鼻炎と診断された時のことである。

 

当時は年中花粉症のような感じで、

常に鼻は詰まっており、鼻水もよく噛んでいた。

 

母親は、そんな僕をみて、

「かわいそうだね。」

 

そう言った。

 

子供ながら、この言葉が、

とても冷たく、胸をザワザワさせて、

母親からの同情がとても気持ち悪かった。

 

「お母さんは僕に代わって僕の人生を歩めるわけないのに、

なんで、そんな無責任なことを言うんだ。」

 

そんなようなことを思ったことを、

なぜだか、鮮明に覚えている。

 

 

同情と共感は違う

大人になった今は、その理由がわかる。

 

「かわいそう」という言葉は同情であって、

上からの一方通行だから。

一種の見下しだから。

突き放す言葉だから。

 

子供の私はただ共感して欲しかった。

「毎日辛いけど頑張ってるね。

治療法を探してみるから、

一緒に治療頑張っていこうね。」

 

そうやって言って欲しかった。

小学校の自分でさえも、

自分の人生は自分でしか着きれないことを知っているのだから。

 

 

自分も同じことをしてないだろうか

自分もおそらく同じようなことをしていると思う。

 

一般的に辛いとされる出来事を経験している人に対して、

辛いだろうからかわいそうだと思う。

 

一般的に嬉しい出来事を経験している人に対して、

嬉しいだろうから羨ましく思う。

 

ごくごく自然に他人の感情を決めつけて、

それに対して、自分も反応していることに気づく。

 

特にメッセージでのやり取りの際には

顕著に決めつけをしていることに気付いた。

 

感じ方はその人の捉え方次第。

 

相手の感情を想像して、

顔色を窺うことばかりを練習してきたけど、

出来事を通して、どのように感じたのか聞いてみる

そう言ったことが、コミュニケーションの

第一歩なんだと気付かされた。

 

こんなコミュニケーションを心がけたいな。

できるだろうか。

少しずつやってみたいな。

今までの未完了を終わらせに

休職期間、休むことを第一にしつつ、

今までの人生で、未完了な思いのまま放置

してしまったものを一つ一つ

もう一度味うことを始めた。


ADHDの私にとって、

物事を最後まで味わうことが苦手だった。


そのなかでも、RPGゲームは決まって

最終ダンジョン手前で挫折することが多かった。


完璧主義が発動して、

最強の武器や魔法が揃えようと躍起になって

途中で飽きてしまうパターンだ。


心から楽しむための準備を

FF4は最後まで何度もプレイしていたが、

FF5には苦手意識があり、最後まで

プレイした記憶がない。


小学校のころのトラウマとして、

レベル上げがほんとに大変だったのと、

フィールド音楽の悲壮感がトラウマ

として少し苦手意識があった。


FF5のアプリをダウンロードする前に、

ワクワク感やドキドキ感を最高に高められる

ように気持ちを高める必要があった。


攻略説明をしている動画をみて実際に

楽しくプレイしている自分をイメージしていく。

様々な人がカバーしているフィールド音楽を

YouTubeで繰り返し聴くことで、

音楽の深みの部分を感じられるようにしていく。


準備は整った。



ゲーム後の罪悪感が無くなった

実際のゲームのプレイがとても楽しく感じた。

しかも、集中力が切れて飽きてきる前に、

自分でゲームを終えることができた。


すると、ゲーム後には

充実した楽しさと爽快感の余韻が残った。



小中学校のころはゲームをし終えた後に、

言葉にし難い罪悪感を感じたのとは

全然違う感覚だった。

ゲーム中は楽しかったはずなのに、

その後が最悪だった。



ゲームにかけられた呪い

今思うと、小学校の頃に、

ゲームをしてると、

「いつまでやってるの」

「ゲームばかりしてるとバカになる」

「その時間勉強してれば今頃は…」


そんな言葉を母親にかけられながら

ゲームをしていたからだと思い出した。


あの頃は確かに母親に言われないと、

やめることができなかったんだと思う。


でも今は自分でコントロールできる。



ゲームにかけられた呪いが解けた瞬間だった。








いかに集中力を上げるか

僕はADHDとASDの診断を受けていて、

一つのことに集中し続けることが難しい。


これは完全を私の中の仮説ではあるが、

障害特性(うまくアドレナリンが出せない)

による集中力低下が、

要因の約半分は占めていると思うが、

もう半分は、毒親育ちによる不安障害と

物理的な鼻詰まりによるではと思っている。


現に、集中しようとすればするほど、

鼻の詰まりが気になって酸欠になる感じがする。



​鼻中隔湾曲と副鼻腔炎

休職して平日の時間ができたため、

病院で鼻の状態を診てもらうことにした。


CT画像によると、

鼻中隔湾曲症と副鼻腔炎だそうだ。

しかもこれらは手術で鼻詰まりを良くできる

とのことだった。


本当に驚いた。

小学校の頃に慢性鼻炎と診断されて、

これは一生治らないのだと諦めていたから。


1週間ほど入院しての入院になるそうだ。

万年酸欠のようなこの状況がどれだけ

ようなるのだろう。


5月の手術に向けてドキドキしている。




やっときた疲れの雪崩


これまでの2週間は、

疲れて入るはずが、全然体のだるさが出ずに

深い眠りにはいることができてなかった。


休職に入って2週間が経って、

ようやく、体が休んでいいと気づいたようだ


夜10時間以上寝ていても、

日中も眠気というか、体のだるさが出てきて

昼寝をすることができる。


昼寝ができることがなんとも幸せなことか。


昼寝をしても、夜もまた眠くなる。

ゆっくり休もう。


思いっきり自分の体を甘やかせて

寝かせてあげよう。


おやすみなさい。



4ヶ月前に出会ったつながり

地元静岡のカレー屋さんでの出会いだった。

たまたま立ち寄ったそのお店で、

私の旅の話を自補佐元の同人誌に

寄稿しないかと言ってくれたのだ。


僕は昨年の夏、パリで開かれた自転車大会に

出場した。

大会自体はそれはそれは大変だったのだけど、

どのようにその時の気持ちをまとめようか、

模索している時だった。


400字原稿用紙で10枚分。

初めての長編執筆だった。



さらさらさら

写真を見返しながら、5日間の出来事を

PCで打ち込んでいった。


執筆の手が止まらなかった。

まるで、今まで抱えていて記憶の吐き出し先を

探していたかのように。


このブログを書くようになったことも、

文章を書くことに対してのハードルを

低くしてくれたと思う。


小中学校の時の読書感想文で

文章を書くことに抵抗があった私に、

新しい趣味(特技)を教えてくた体験だっだ。


自分の感じたことを表現する愉しさ

このブログもそうだったが、

自分の日々の考えを書き出すことに

初め抵抗があっけど、

愉しさを同時に感じられるようになった。


大切な人ができた時のコミュニケーション

のために始めたブログ。


もうちょっと続けてみすことにしよう。