地下鉄の東新宿駅から鬼王神社の方に向かって歩いて行くと、路傍に島崎藤村の旧居を示す石碑と新宿区教育委員会による解説板がある。解説板によると所在地は「新宿区歌舞伎町2丁目4番」だそうだ。
「居」の文字が切れてしまった。
鍋がなぜ置いてあったのかは不明。
解説は藤村についての簡単な紹介の後に
明治38年(1905)4月29日、小諸義塾を退職した藤村は家族とともに上京し、良く39年10月2日に浅草区新片町に転居するまでここに住んだ。ここは当時、東京府南豊島郡西大久保405番地にあたり、植木職坂本定吉の貸家に入居したのであった(実際の場所はこの説明板の西側に建つ「ノア新宿ビル」のところ)。
この頃から小説に転向した藤村は、ここで長篇社会小説『破戒』を完成し、作家としての名声を不動のものとした。
しかし一方で、転居早々三女を亡くし、続いて次女・長女も病死するなど、藤村にとっては辛い日々をおくった場所でもあった。
と記す。*数字は元漢数字。横書きに合わせて変えた。
私には「ああ、ここで…。」となるのだが、若い人たちはこれを見て何か感じることがあるのだろうか。おそらくは何が建っているかも知らぬまま通り過ぎているのだろう。碑の存在自体目に入っていないかもしれない。たとえ誰かに注意を促されても、そもそも島崎藤村をどれくらいの人が知っているだろう。高校の多くの教科書に「小諸なる古城のほとり」の詩は載せられているが、国語の時間数がほとんど半減した今、詩歌は授業で扱われないことも多いから読まずに終わっている人も多いだろう。
こうした旧跡もいつか取り壊されなくなっていくのかもしれない。

