今でこそ、都内のNクリニックで安定した治療を受けておりますが、その道のりは平坦ではありませんでした。
実は、Nクリニックは2件目に扉を叩いたところで、1件目のMクリニックではかなり痛い目をみました。
当時は、インターネットが普及し始めた頃で私は治療を受けられる病院を探しにネットカフェに入り浸りました。
そして意を決して、性同一性障害に理解があるという当時のクリニック情報には必ず名を連ねていた県内のMクリニックに通う事にしました。
対応してくれた医師はそのメンタルクリニックの院長である女医でした。
「頑張って行こうね」とカウンセリングははじまりました。
それから1ヶ月に1~2回のペースで1年ほど通いました。
私は初めて真剣にこの話を聞いてくれる存在に出会えた事で有頂天でした。
しかも、この先にはホルモン治療や改名などが待っているのです!
一生懸命、カウンセリングに答えました!
しかし、話は一向に進まず、抗うつ剤ばかりを勧めてきます。
そう言うのならと…軽めの抗うつ剤を処方してもらったりもしました。
でも、肝心の性同一性障害の治療に関しては話をチラつかせるばかりで、のらりくらりとかわされている感じでした。
ある時、また抗うつ剤を勧めて来たので思いきって言いました。
「もう抗うつ剤は結構です。正直、あまり身体にもあっていないみたいです。…それより今後の治療について先生はどうお考えなのですか?」
すると、女院長は「あぁ、その事?」と言う感じで信じられない事を言いました。
「あなたはうつ病です。」
はぁ??
私は耳を疑いました。
この人、何言ってるの…?
女医は続けます。
「性同一性障害なんて皆うつ!!関わる先生方もみんなうつ!!!」
そして
「ここであなたにする治療はうつ病の治療だけです!」
まるで、私の発言に怒ったような強い威圧的な口調でした。
なんだ、それ??
私の中で怒りと悔しさがこみ上げてきました。
やっと未来に繋げられると信じていたのに…。
こぼれそうになる涙を必死に堪えていました。
すると、その様子を見ていた女医は鼻で笑うように
「憐れな」
と言い放ちました。
体が震えるのがわかりました。
私は必死にその言葉に耐え、震える声で言いました。
「うつ病の治療ならやりません!ここでの治療はこれで終わりにします。でも、これでは納得が出来ないので、可能であればどこか他の病院を紹介して下さい」
「…埼玉医科大学だけです。」
女医はこちらも見ずに短く言いました。
「お願いします!」
家からは埼玉医科大学は通える距離ではないし、当時予約も取れない事は百も承知していました。
しかし、このままでは帰れませんでした。
「お世話になりました。」と、クリニックを後にして、私は書いてもらった紹介状の封を切りました。
どういう風に書いたのか…。
紹介状を見て私は驚愕しました。
そこには
『重度のうつ病。
オチンチンが生えてくる等の妄想ばかり発言する。』
と、書いてあったのです。
…言ってない。
…こんなこと言ってない!!
むしろ否定した!
そんな事はあり得ないとハッキリ否定した!
だって、幼心に男と女の体の違いは認識していたのだから!
だから、自分に違和感を感じていたのだから!
もう限界でした。
怒りや悔しさ、失望、絶望…ありとあらゆる感情が涙となって溢れてきました。
私はあわてて駅のトイレに駆け込み泣きました。
やっぱり、自分はおかしいんじゃないか?
感情のまま、この先どうしていいかわからず声を上げて泣きました。
…助けて!!
誰か助けて!!
神様、助けて!!!
………神様…?
ハッとしました。
その時、頭に浮かんだ神様がいました。
「関帝」でした。
ここから関帝を祀ってある「関帝廟」まではすぐでした。
関帝廟は三国志で有名な武将・関羽を祀ってあるところです。
三国志が大好きな私は何かにつけて御参りに行っていました。
毎年の初詣もここでした。
行こう!
私は涙を堪えて顔を洗い、関帝廟に向かうのでした。
→たくさん泣いた日・2 ~関帝廟~に続く。
…未だに、あの女医の目的がわかりません。
性同一性障害に理解があると掲げておきながら、私がうつ病を否定した瞬間に豹変したあのつっけんどんな態度。
売名行為でもしたかったのか…。
そういえば、待合室には自分がメディアに取り上げられた記事がところ狭しと貼ってあったっけ…。
とにかく、痛い目をみましたが、今にして思うと良い勉強になったのも確かです。