1週間の間に
石清水八幡宮(京都)
↓
葛城一言主神社(奈良)
↓
大神神社(奈良)
↓
明治神宮(東京)
↓
橿原神宮(奈良)
↓
氏神神社(京都)
へ行ったのである。
修行? いや、違うよ
思い立ったらなんちゃら、というやつ
明治神宮へ参った翌日 奈良の橿原神宮へ
またまた夕方行ったので、誰もいない
曇っていたけど、足を踏み入れてわかる落ち着く感
湿度?気温?植物の割合?
落ち着く理由を考える
言葉で表現しにくいので、
逆に何も感じない神社を説明すると
神社という建物がある、空間。
ただそれだけ。
それ以上も以外も何も感じない。無。
そういう場所は、御神木を目の前にしても無なのです。
否定しているのではありません
今後私が訪れる場所ではないというだけです
色んな人が来ますから
色んな気でしんどくなるときもあります
お札を返してなかったなと、来ました
鳥が鳴き、飛び、風が吹き、猫に会う
素敵な出会いもありました
亀さんも寄ってくる
神様を、本殿に感じることは私の場合は少ないです
引き寄せられるように足が向かう場所
大きい小さい関係なく
ゆっくりたくさんたくさん歩いて
もうすぐ咲くツツジが満開のときを見たいです
お天気が良い日にまた来ます
なぜ神社仏閣めぐりをするのかと言うと
心のよりどころを見つけたいのかも知れません。
何かあったときに
何もなくても
行けば自分でいられる場所を。
それが神様のおられるところとならば、
救われる。
昔の人もそうだったのでしょうか
神道とは。
己の心に問う 生きる在り方を