『「遅読」のすすめ』
斎藤孝先生の「遅読」のすすめを読んだ。ふふ、おすすめされなくてもわたしは元々読むの遅いよーんと思ってページをめくるとはじめに、で冒頭から勘違いを指摘された。「ただ読むスピードが遅い ということではありません」あはは・・・*情報が自分の外側を流れる渦だとすれば読書は自分の内側に注ぎ込む清流です。現代は心が不安定になりやすい時代でもあります。だからこそ、一冊一冊の本を丁寧に読み、自分の心を豊かに育てることが必要です。昔の人は本を丁寧に読むことを表すとき「味読」という言葉を使っていました。江戸時代の寺子屋では「素読」といって、一冊の本を何度も繰り返し暗唱する読み方をしていました。慌ただしい日常の中でこそ、ゆっくり本を読む時間をつくってみましょう。*速さや効率だけを追い求めるとそこからこぼれ落ちてしまうものがある。時間や手間を省こうと思わずに、時間をふんだんにかけて、深く体験する。それこそが、人生にとって最大のコスパであり、タイパなのではないでしょうか。あることに没入していた時間、それが生きたということなのです。没入、沈潜する豊饒の時。それが「遅読」の目指すところです。*読書をする人は、年齢に応じた教養を身につけています。教養とは、人間としての美しい振る舞いや深い思考ができ、周囲の人と共感し連帯できる心の余裕です。教養がある人は、自分や周囲を多角的に見ることができ、状況や自分の気持ちを相手や周囲にしなやかに伝えることができます。名だたる経営者には、大変は読書家が多くいます。彼らは読書によって頭を柔軟に保ち、知識を吸収して、それを経営判断に生かしています。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの本のなかで先生が勧められていることでわたしが日頃何気なくやっていたことそれは「自分がよいと思った文章を3つ選ぶこと」私の場合は3つでは済まないことが多いですが本を読んだ記録としてあらすじや感想を書くかわりに引用することにしています。「引用力イコール教養力」なのだそうです。読書を「自分をととのえるための装置」と捉えるこれはもう正にそう。「仕事で嫌なことがあったり、 人間関係で疲れたりしたとき、 その本を読むことで心をニュートラルに 戻すことができます」「時間をたっぷり使って本を読む。 これは、60代、70代でこそ 楽しめる贅沢だと思います」これを読んでこの先もたのしみになった。人生の最後まで本をたのしめるこころとからだの状態でいたい。 ***今日は娘は遠足。遠足と言っても高校の遠足は昔からバスに乗って行く日帰り旅行みたいなもの。友達と好きなものを選んで買って食べたりおしゃべりしながら一日過ごせるのは楽しかっただろう。わたしもたまたま今週末に同じ場所に行くことになっている。今週末はイベントが複数重なってかなり贅沢な大人の遠足。いくつになっても一緒に旅する友達がいてくれるのは幸せなことだと思う。今日も一日、お疲れさまでした