ブロ友さんの方々も、昨日取り上げていらっしゃいましたが、

 

 詩人であり絵本作家でもあった谷川俊太郎さんが亡くなられました。

 

 わたしは主に絵本で知る方でした。

 

 

 若い頃に書き溜めた詩を三好達人に認められて詩人として出発した谷川俊太郎さん。

 「二十億光年の孤独」から始まる壮大な谷川ワールドが静かに幕を閉じたようです。

 

                      

 子供の頃は家にあった百科事典が大好きだったそうで、

「僕はストーリー的発想が苦手、図鑑的発想の人間なんです」と。

 

谷川俊太郎さんは以前に

 人間は母の胎内の闇から生まれ

 ふるさとの闇へと帰ってゆく

         ー「闇は光の母」より

 と書いておられました。

 

私が谷川俊太郎さんに強いシンパシーを感じたのは、

後にも先にもこれを読んだ時です。

 

私はこれと似た事を遠い昔に父から言われた事があったからです。

私が中学生の頃の事です。

「死」というものについて生涯で一番考え悩んだ時期でもありました。

 

「死ぬってどうゆう事、死ぬのが怖い」

 

母は私がそんな事ばかり言っているので、

無事に中学の卒業式を迎えた時には、内心ほっとした話していました。

そんなある日、父が一言。

「元々居なかったんだから、また元に戻ると思えばいいんじゃないの」と。

 

 ただそれだけのことなのか。

 

それは「死」への疑問や恐怖が吹っ切れた瞬間でもあったのです。

 谷川さん流に言い換えてみると、

  闇とは無であり、

 無から生まれた自分は無という元の闇へと帰って行く。

 のだな。

 

 

 谷川俊太郎さんはあまりにも多くの作品を残されており、

 私は特別ファンというわけでもなかったので、

 絵本でさえも読んだのは、そのほんの一部でしかありません。

 特に晩年は「死」をテーマにした作品が多くみられました。

 例えば、

「しんでくれた」

(牛や豚など僕の為に死んでくれた生き物。その分も僕は生きる、という話)

 

 

「ぼく」  

 (「じぶんでしんだ ひとりでしんだ」理由は明かされないですが、

 淡々とぼくの日常はこんなだったと話す話)

 など。

 

 

 

そしてこうも言われています。

「ビッグバンの瞬間に

エネルギーから物質が生まれたのだとしたら、

死ぬことは物質から自由になって、

エネルギーに帰ることなのかもしれない、

そこに私たちの本当のふるさとが

あるのかもしれない」と。

     ー「死」より

 

「闇」の正体はブラックホール⁉️

 

宇宙と自分の繋がりを通して、

谷川さんも実は最後まで「死」と向き合い対峙してきたのだなあと

改めて思うのでした。

 

かげながら、作品を読むことで、ご冥福をお祈りしたいと思います。

 

本日もお付き合い頂き誠にありがとうございました。