「吉野弘という詩人をご存知でしょうか?」

 私は知りませんでした。

 

吉野弘さん

 

吉野弘さんは1926年に山形県で生まれました。 何気ない日常の出来事をわかりやすいことばで語りかけた作品を手がけ、戦後を代表する詩人の1人とも言われています。(ネット検索より拝借)

 

「吉野を敬愛するロック・ミュージシャンの浜田省吾が『CLUB SNOWBOUND』(1985年)というアルバムに、「雪の日に」の全文を掲載すべく、浜田自身が吉野弘に承諾を得る為に手紙を書いたところ、吉野直筆の「わざわざご丁寧にありがとう」という旨の御礼の返信をもらい感激したことを、浜田がコンサートで明かしている。ちなみに、浜田の代表曲「悲しみは雪のように」は「雪の日に」にインスパイアされて出来た曲だとも言っている。


「雪の日に」

 

山田太一も吉野の作品を敬愛しており、山田の作品である「ふぞろいの林檎たち」や「キルトの家」の劇中において吉野の詩を引用している。また、山田は老年になってから影響を受けた10冊として『吉野弘詩集』(続・続続を含む)を第9位に挙げ[10]、漢字遊びの詩作も残した吉野に敬意を払い「貴にして重い」というエッセイを吉野の詩集に寄稿している。

 

是枝裕和は映画『空気人形』に「生命は」を引用した。」

 

(Wikipediaより引用させていただきました。)

 

 

 先日実家で見つけた詩集、父?母?弟?誰の?

 

吉野弘を知らなかった私は調べました。

誰の本かが上記の検索結果により判明した時には思わず苦笑い。

 

 

 これは母の本でした。

 何故かって!「浜田省吾」

 

 

 何を隠そう一時期、母は浜田省吾の大大ファンだったからです❣️

 全国のコンサートツアーにも一人で出かけていました。

 そこでは同じファン仲間もできて、

 遠くのコンサートには車で連れて行ってもらったりもしていたよう。

 今から考えると50代初めから60歳半ばくらいまでだったでしょうか?

 最後に行ったコンサートは私と一緒の横浜アリーナでした。

 

実家の母の遺品には浜田省吾グッズがいっぱいあって、

最近はほとんどメディアでは観なくなった浜田省吾ですが、

私はそのファングッズを泣く泣く少しだけメルカリに出品しています。

根強いファンが今でもいらっしゃるようです。

大事にしてくださる方に渡りますように🙏

 

実は最初に浜田省吾を知ったのは私でした。

深夜ラジオで流れてきた「片想い」

 

 

 

しばらくファンでしたよ。

LPレコード何枚分かぐらいの期間。

次に何故か私が冷めた頃に弟がファンになりました。

母はこの頃、浜田省吾に初めて目覚めたようでした。

もうその頃は私は結婚していました。

元々はお淑やか?で良妻賢母型の母だったんですが、

突然、堅物で昔気質の父に対して抑圧されていた気持ちを

爆発させたようです。

 

この吉野弘の詩集を母が全部読んだか?

わかりませんが、

浜田省吾、山田太一、是枝裕和氏にも影響を与えられた方なら

目を通す価値はあるかな??

 

「雪の日に」を読むと

「誠実が誠実を重ねるうちに

いつも誠実でいる事が重荷に感じてきた自分」と

「降り積もる雪の重さ」を重ね合わせているようですね。

 

とても優しい心の持ち主であったようです。

 

 

 

 

 

 

本日は私的、思い出ブログとなり失礼いたしました。

 

ありがとうございました。