「生まれた時、人は白い画用紙と、色とりどりのクレヨンを渡されて、なんでも描いていいよと言われる。


さて何を描こうか考えているうち・・・


たっぷりあったはずの時間は過ぎてゆく。


ようやく描きたいものが決まった時にはもう帰る時間さ・・・。

描きかけの紙とクレヨンは取り上げられてしまうんだ・・・。

私はねずっと紙の端を黒く塗っていたよ。

ウサギを描きたかったんだけど気付いた時には・・・もう、白いところは全て塗り潰して・・・

あんたは私には、なるんじゃないよ・・・

ちゃんと良い絵を・・・

クレヨンをしっかりにぎって真っ直ぐに紙を見て・・・・

迷わず・・・お描き・・・ 自分の・・・絵を・・・。」



「大切な人を守って・・・守り抜いて、ずっとその人を愛するがいい。 

自分の持ち時間は決して、憎むことに使ってはいけないよ。 

愛することに使うんだ。

そうすれば、出発する時が来ても・・・きっと後悔はしない。」


by ルシール・ベルヌイユ


今日も、

「周りに迷惑さえかけなければ、あとは自分が楽しければ、楽しく生きれたらそれでいい。」

という考え方の人に出会った。

・・うん。
一つの真理だよね。

俺も17歳くらいの時に同じ考えに至った。
人生、楽しんだ者勝ちやん。って。
若かったからね。

でも、それは違うんだって思った。

そういう考え方の人を否定する意味ではなくて、自分は、それは違うって思った。

もちろん楽しいことは大切。

でも、本当にそれだけでいい?

今はそう言えるだろうけど、死ぬ間際になって本当に後悔しない?

ああ、楽しかった。ってきれいさっぱり死んでしまって、自分さえ良かったらそれでいいのかな?

楽しければいいなんてことは本当の愛情や、人の歴史、罪、そして世界のことや人生の艱難辛苦を知らない人が言うことだと思う。


自分は苦しくって辛い人生でもいいかな。
大切な人に尽くせるなら。
なにかを遺せるなら。


人はどれだけ滑稽で、罪深い生き物で、エゴイストで醜い生き物か。

それでも、優しくあろうとする姿がどれだけ美しいか。

本当に知ってる?
食べるってことだけでも植物、動物の命を奪わないといけない。それがどれほどの罪か。

テレビを見て笑ってる世界の裏側で、理不尽に死んでいる子どもがどれだけいるか。

部屋を暖かくするだけでそれがどれだけ地球の負担になっているか。

今着ている服は誰が一生懸命作ってくれたのかな?
歩きやすい道路も、綺麗な水が水道から出てくるのも、暖かい布団にくるまって休めるのも、世界のどこかのだれかの一生懸命のおかげ。

他にもいっぱいあるけど、そんなことばっかり考えていたら人は生きていけない。

ただ。
それでも言える?
その口で、「自分さえ楽しければいい。」って。
一生懸命にだれかの為にって汗水流してる横で、笑いながら言えますか?
「私は、私が楽しく生きれたらそれでいい。」って。
目を背けてるだけで、理不尽に殺されていく子どもがいる。もっと生きたいよう、もっと生きたいようって。
言えますか?「知らないよ。そんなの。私は私が楽しく生きれたらそれでいいの。」って。

その人を見て、36にもなって、よくそんなことを口にして、よく笑えるなって思った。

人は一人じゃ生きれない。
迷惑をかけないなんてできない。
かけてないなんて思ってる時点でただの傲慢だと思う。

俺は人のそういう闇の部分も、太陽のような部分も、すべてを知って、受け入れて、大きく包み込めるような人で、人に優しくありたい。

だれかの役に立ちたいし、だれかのために生きたい。


・・・
そんな考えなのに、口下手だから、その人にはなにも言えなかった。

自分はそうは思わないです。って、それだけでした。

世の中から・・

自分さえ良かったらいい。
人に迷惑さえかけなければ、人生は楽しければいい。

そんな考え方の人がもっと世の中から減ってくれたら、楽しんだ者勝ちと似ている勝った者勝ちの戦争も、差別も、もっと減って、良い世の中になっていくだろうに・・。