素材は悪くないし、撮り方もそんなに悪くないと思うのに、見ている最中盛り上がりにもかけ、見たあとの満足感もない。


似たような設定で当たった映画のポイントをいくつか組み合わせたような脚本が原因なのだろうか?一つのテーマに特化したようなところもなく、この作品からの強烈なメッセージが伝わらないからなのだろうか?ところでこの映画で何を訴えかけたかったのか?・・・


しいて言えば、ひとつのシーンでの言葉に今までの私の人生の中で最近あったことと共有できる点があった。

路上のチェロリスト、ナサニエルが半狂乱になって、それまで唯一語りかけられる友人だったコラムニスト、ロペスがなじられ、なぐられ、追い出された後にロペスが言った言葉、心境・・・。神様の才能を持ちながら路上で暮らすナサニエルに最初はコラムのネタということで近寄ったロペス。しだいにナサニエルの才能を生かしたいと本心から思って活動したのだろう。それが裏切られ、自らが信じることが実際には役に立っていない、寧ろ、害悪になっていると感じてしまうロペス。


引きこもりたくなっただろう、すべての活動をストップしたくなっただろう。私もそういうことがある。信念に基づいてあるべきことを行ったことが意味がなかっただけですめばいいが、それが相手に対して害悪になってしまっていること。また、その相手は閉ざされた世界の中からしかものごとを見られないことにより、その施し自体を恨んでいたり、結果としてその対象は幸せでない方向へまっしぐらに向っていること。


エンディングテロップで今でもナサニエルも音楽をベースに活動し、ロペスもコラムを書いているという。な~んだ、って感じ。個人的には、ロペスのあの絶望から復帰する様を描いてほしかった。そのままコラムを書いているなんて、結局、生活のためのネタだったのか、というがっかり感だけが残った。


他にもナサニエルサイドから深堀することもできただろう・・・この作品への不満はそんなところからなんだろう。

天使と悪魔のDVDが出ているので、ツタヤに「ロン・ハワード」コーナーみたいなものがあって、そこからとった作品。そういえば最近見たビューティフル・マインドもそうだった。


これも史実を映画にしたもので個人的に好きなジャンル。


フロストというあまり政治に関係のなかったバラエティ系のタレントがニクソンにインタビューする権利を3大ネットワークを差し置いて高値でとってそれを見事成功させるというストーリー。ファイナンス的にぎりぎりのギャンブルで権利を買ってしまう、という結構な暴挙であった。また、落ち目の自分のキャリアを認識して一発逆転的な発想で当時のもっともホットな人物へのインタビュー、しかしながら得意分野でないところでのギャンブルであった。政治に明るい人たちからはフロストがニクソンと闘って成果あるメッセージを引き出せないだろうと予想していたように描かれている。公聴会などでも真実を暴けなかったこのテーマはプロが行っても難しいと思われていたようだ。こんな中、見事にニクソンの真実の吐露と、国民への謝罪の言葉を引き出した。


なんとベンチャー的な人だろうか。高々一つのインタビューではあるが、アメリカ的な起業家精神をひしひしと感じた。自己の全財産を投じて、無謀とも思えることにチャレンジし、結果的に名声とその後のキャリア(多分莫大なリターンも)を手にするということはまさに一つの会社を興して成功するようなものだ。


また、強気な言葉と態度で引っ張ってきたニクソンが見せる人間性は際立っていた。大統領制(英語でプレジデンシティと言っていたように思う・・・)をけがしたこと、ベトナム戦争を引きずったことなど国民への裏切りは事実としてありながら、この映画での描かれ方はロン・ハワードのニクソンに対する愛情を描いているように見えてしかたがない。少なくとも個人的にはそう思えて、ほっとした感があった。

面倒な作品。スパイ同士が化かし合い、愛し合いという設定。


娯楽としてみれば良いが、その割に展開に面白みもないわりに面倒くさいひねりが多い。これ見よがしが多いちょっとした秀才を見ているよう。個人的にはそういう生き方は好きではないので、この作品もあまり好きになれなかった。