『サクラサク』 -10ページ目

しょっちゅう旅行していた友人がいました

毎月のように日帰り旅行

休みのたびに2泊くらいの旅行

ご主人と一緒が多くて、「ラブラブじゃ~ん💛」と冷やかし気味に言ったこともありました

 

コロナが流行りだしてから月一で行っていたランチもなかなかしづらくなったけれど、落ち着いたときに「短時間ならいいよね?』と会ったこともありました

さいごに会ったのは冬でした

感染が少し少なくなっていたものの、職業柄人と会うのはどうかな?と迷っていたわたしでしたが、「わたしは行くわよ」とはぎれのいい返事が返ってきたので「それならせっかく予定していたのだし、行こう!」ということになりました

 

クリスマスシーズンだったので、ちょっとお高めのランチと、いつもと変わらないおしゃべりで楽しい時間を過ごしました

若い子と違って、お料理を写真に撮る習慣がなかったのですが、クリスマスっぽい雰囲気を残そうと思って何枚か撮った写真に少しだけ写りこんでいたのが思い出になってしまいました

 

半年くらい経って、その人が亡くなったと連絡がありました

理由はなかなかわからなかったのですが、だんだん情報が入ってきて、驚きしかありませんでした

何年も闘病していたとのことでした

年が明けてから緩和ケア病棟に入ったそうです

クリスマスに会ったときはいつもと変わらなくて、普通にしていたのに、どうして、としか思えなくて、信じることがなかなかできませんでした

 

旅行もたくさんしていたし、スポーツクラブにも行っていたし、仕事もバリバリしていたのに

たくさんのことに貪欲だったのは、いつか来るこの日がわかっていたからなのかもしれない、と日が経つにつれてわかってきたので、「そういうことだったんだなぁ」と納得がいきました

いろいろ思うところはありましたが、悔いのない日々を過ごしていたのだろうと信じています

 

 

 

 

母が亡くなった翌年でした

いや、もうね、高齢の母だったので、わたしの病気のことで心配かけることがなくてよかったと、亡くなった後の告知でよかったとその時は思いました


わたしも、子どもたちも成人していたのでいいタイミングで病気がわかったなと思いました


だけどやはり自分が病気になるとは思わなかったし

手術となるとそのあとが不安でした

でも、手術も前に同じ病気の友人から「明日の今頃は悪いところがなくなっているから大丈夫よ」と元気づけられ、力をもらいました


それから3年経ちまして、わたしは生きています

病気の先輩の友人も、元気です


日常生活は普通に送れているので病気のことは忘れがちですが、年に一度の検査では転移がなければいいなと思います

いろいろ思い出すので、あまり手をつけたくないのですがやらなければならず、ぼちぼちと片付けています


今日は、解約するのに必要なものを探していました

亡母のものなので、「どこにあるの?」って聞くわけにはいかず思い当たるところを探しました

そしたら、母の毎日を書き留めていたノートが出てきました

亡くなる間際のものは見たことがありましたがそれよりも少し前のものでした

母は家計簿もきっちりつける人だったので、ちょっとした日記があってもおかしくないと思ってさらっと読んでしまって、また涙🥲

一番辛い出来事があった日のことも書いてあって、思い出してまたまた涙🥲


もう、肝心なものを探す気分ではなくなったので、今日はやめました


いちいち見ないで処分できたらどんなに楽か、と思いました