さくらの「死ぬまでにしてみたい1000の事をしよう!」

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あれもこれも…やってみたい事を端からやってみましょ~ってコンセプトのブログですo(^▽^)o

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木原浩勝さんをご存知だろうか。

一番有名なのゎ実話怪談集「新耳袋」の著者と言う事。(中山市朗さんとの共著である)

そして私も最近知ったのだが若い頃スタジオジブリで宮崎駿さんとラピュタやトトロや魔女宅を作った立役者の一人でもあったのだ!


そんな木原さんとの出会いはもう10年くらい前である。
元々新耳の大ファンだった私ゎ新宿ロフトで定期的に行われていた新耳トークライブに行こうと友人に誘われてワクワクしていた。
このライブゎ日付が変わる前から始まり明け方に終了すると言う所謂夜を徹して木原さんと中山さんが怪談を語ってくれる貴重なトークショーだ。
大好きなあの話この話が聴けるばかりか蔵出しのまだ誰も聴いた事のない怪談が聴ける事もある。
実際この日に初披露された「記憶」と言う話ゎ今でこそ木原さんの著書である「隣の怪 木守り」に収録されているがもの凄い話であった。
どの様に凄いかゎ是非本を購入して読んで頂きたいのだが、とにかく圧倒されてしまった。
終了間際に観客である私達の所までわざわざご挨拶に来て下さった木原さんに少し興奮気味に「大ファンです!会えて嬉しいです!」と握手を求めた所快くそれに応えて下さり気さくに「こちらのメールアドレスを教えましょうか?」などとありがたーいお言葉を頂いてしまった。
そんな事急に言われてもこちらにとってゎ憧れの雲の上の御方である。恥ずかしくなりおどおどと「いぇ。。あの。。大丈夫です」なんて言って逃げてしまった。そして私ゎその後長いこと「あーどうしてあの時木原さんと繋がっておかなかったんだろう!」とその事を後悔し続けたのである。
しかし裏を返せば木原さんゎ怪談集めて何十年の取材の人である。
メアドをばら撒くのは仕事上当たり前の行為であり、私の対応ゎ何だか勘違い野郎に過ぎなかったのだ。
実ゎ私にゎ木原さんにどうしても聞いて頂きたい「怪異」があった。しかし後の祭りと言うやつである。
そんな思いを抱えながら何年も過ごしたある日、私ゎとうとう見つけてしまうのだ!木原さんがTwitterをやっている事を!しかもどんな短いつぶやきに対しても必ずと言っていい程丁寧にリプライしている。
私が当時の思い出と長年の後悔の気持ちをツイートするとお優しい木原さんゎ「フォローしてあげるからそんな後悔は無かった事にしてしまいなさい」と言って下さった。
こうしてとうとう私ゎ木原さんと繋がる事が出来た。このチャンスを物にしなくてゎと畳みかける様に私の長年温めていた怪異「超能力者の話」を木原さんに伝えたいのだとアプローチする。
折りしもコロナが少し落ち着いてきた2022年6月の某日に私の夢ゎ叶う事となる。

さて、当日ゎ渋谷で13時に待ち合わせの約束でしたが木原さんは30分も前に到着していました。
その連絡をメールで頂いた時私も既に渋谷に居ましたのでさほどお待たせする事も無く対面する事が出来ました。
「初めまして。さくらです」「すぐ分かった?」「はい!かなり離れた場所からでも分かりました」金髪ロン毛にゴジラのTシャツはかなり目立ちます。
すぐにファミレスに入るのかと思いきや!立ち話のまま盛り上がる事30分!「そろそろどこかに座って話しませんか?」私が言わなければそのままずっとその場で話し続けていたかもしれません。
ロイヤルホストの窓際の良席に案内されまずは私が持ってきたお宝本にサインをして頂ける事に!事前にサインならいくらでも!とおっしゃって頂いていたので4冊+色紙まで持ってきて木原さんを呆れさせました。持参したサインペンは使われる事なく木原さん持参のサインセット(筆ペンと角印)によってサラサラと事が為されていきました
「取材させてくれるお礼にプレゼントがあるよ」それはかなり大きめのトートバッグ。黒地にフェニックスが描かれちゃんと木原さんの名前もプリントされている非売品のそれに木原さんの優しさを感じとても嬉しくなったさくらでした。
ランチは少し話を進めてからにしましょうとこちらから提案していよいよ私の怪異を木原さんに話し出しました。
ここで木原さんの素晴らしい聞き上手と言うか取材力?が爆発します。
私が淡々と出来事を話すとかなり細切れで木原さんが「ちょっと待って!こう言う事?」と言って具体的にその出来事の一人芝居を始めるんです。私がそれを笑いながら眺めてそうですそうです!なんて言うと満足したような顔をしてから「それで?」と先を促す。そんな繰り返しでした。
私はてっきり録音とかするのかな?そうでなければメモをとるのかな?と思っていたのですが、木原さんの取材方法はそんなものでは無く、話の内容を具体的に繰り返したり想像して一人芝居してイメージを膨らませる事によって「他人の話を自分のものにする」作業なんだと思いました。
そしてそれに促されて私はこの怪異をとても生き生きと木原さんに伝える事が出来たと思っています。

その後はちょこちょことした私の子供時代の怪異を聞いて頂きました。
そこで木原さんは怪異探偵となりその話が怪異なのかそうでない何かなのかを数学の証明のごとくいくつか解明してくれました。例えば。。。
私が小学生の頃こっくりさんが大流行しました。しかし学校ですると怒られるので仲良しの友人の家でする事に。
2階の彼女のお兄ちゃんの部屋のテーブルに用意した紙を広げ10円玉を置きました。

この部屋には西向きの大きな窓がありこっくりさんは西の窓から入ってくると聞いていたからです。


入ってきたら分かる様に薄いカーテンも引きました(カーテンが動けば入ってきたって分かる)


2人で10円玉を人差し指で押さえ「こっくりさんこっくりさん、西の窓からお入り下さい」と唱えるとカーテンがまるで誰かが入ってきたかの様にぶわぁっと膨らみ私達は金縛りにあった様に動けなくなってしまいました。
その刹那、今度は部屋のドアがギィィィとゆっくり開いたので私達は更にびっくりして泣きそうになりました。そこにはこの部屋の持ち主であるお兄ちゃんが立っていました。
そして開口一番「もうそれ、やめろ」と。友人がどうして?と聞くと階下でお父さんがレコードを聴いているのだがそれが先程からブチブチと切れる。台所でお母さんがご飯を炊いているのだが炊飯器の電源が何度も止まる。霊を召喚するには電波が生じる。それが別の電気の妨害になる。と言った様な事を話して片付けて下に降りてこいと。
私達は怖くなり慌てて片付けて下に行くと待ち構えていたお父さんに怒られた。と言う話だ。
霊が現れると良く電波障害が起きてカメラや照明が故障する。私の子供時代のこの経験がいつもそれを裏付けてきた。
しかしこれを聞いた木原さんは「それは怪異じゃないね!」と宣った。
2階で何やら不穏な遊びをしている我が娘とその友達をお父さんとお兄ちゃんで結託して懲らしめた。カーテンが大きく膨らんだのはお兄ちゃんがドアを開けた事によって「風が通り抜けた」のだと。もちろん怖くなった私達は二度とこっくりさんをしなかった。お父さんしてやったりである。これが木原探偵の見解であった。
私もずっと怪異だと思っていたが目から鱗!残念に思うよりもスッキリした!と言う気分でした。

その後もちょこまかとした私の怪異をお話したり木原さんの裏話(具体的にゎ言えませんが怪談業界のすごい話の数々)を聞いたりであっと言う間に時ゎ過ぎて行き。。。気がつけばもう18時近くになっていた。
待ち合わせが13時前だからもう延々5時間くらい話続けていた事になる。しかしそんなに経ったか?と思うくらい楽しく興味深く密度の濃い時間であった(途中食事なんかもしてるんだけどね!食事しながらも話してるから)
それでも私もまだまだ話し足りなかったし木原さん語るにいくらでも話ゎあるし時間も大丈夫だがやはり話しに疲れると人ゎ知らずに語りの鮮度が落ちていくのだそうだ。だからこの辺りで一旦止めておいて続きはまた次回に持ち越そうと仰ってくれた。ありがたい事にこれで終わりでゎなくまた次回を設けてくれるらしい。

渋谷駅まで歩きながらも取材内容の確認を怠らない木原さんと侃侃諤諤で信号待ちをしていたら突然若い男性から声をかけられる木原さん。
「あっあの!木原浩勝さんではないですか?」「ん?(不審げな目つきで)君は誰だね?」「ぼく!ぼく!木原さんの大ファンです!握手して下さい!」かなりテンパっている「僕の何のファンかね?」「もちろん新耳袋です!中学生の頃から大好きなんです!」
やはり木原さんゎキラキラの著名人である。渋谷の様な若者ひしめく場所でゎすぐに誰かに見つかってしまう。待ち合わせ場所をハチ公にしなかったのも当然だ。
彼ゎ随分前から木原さんと私を遠目に見ていてプライベートデートとかだったら声かけちゃまずいかなぁ。と悩みながらもやはり我慢が出来なかったらしい。私からしたらそんな勘違い有り難き幸せである。
そこでも木原さんゎ彼に職業(非常に珍しい仕事であった)などを聞き怪異に纏わる話があれば是非取材させてくれと名刺を渡していた。流石である。

さて、楽しみにしていた取材ゎ終了したが、木原さんが私の話したとっておきの怪異をどう世間に披露してくれるのかが気になる所。
本当なら新耳袋や九十九怪談の様な書籍に掲載して頂けたら夢の様であったが今ゎ本もなかなか売れないご時世で暫く書いていないと言う。コロナの影響でライブなどでの発表も出来ない。
しかし私ゎ知らなかったのだが木原さんゎその打開策としてニコ生放送と言うネットの動画配信で「件ちゃん暗殺計画(仮)」と言う番組をツキイチで放送していた。取材の翌々日がその放送日。あまりにも急でゎあったが何とそこでこの話をしてくれると言う。
当日ゎ旦那のサンタ君と二人でワクワクしながら放送を見守った。
この話を実際に体験者から聞いた父も既に他界しているし関係者とゎ全て縁が切れているので私の中だけでずっと留まっていた怪異。それが今木原さんを通して不特定多数の怪異好きの方々に広まっている。この歴史的瞬間(私の中だけだけど)を私ゎ忘れる事ゎ無いであろう。

え?その怪異ゎどんな内容なのかって?貴方あの番組を観ていないのですか?仕方ないですねぇ。いつか直接私が話してあげましょう。久しぶりに会いたいと思っていたしね!こんなチャンスでもないとなかなか会えないし。やはり木原さんが口癖の様に仰るあの言葉ゎ本当ですねぇ。

「怪談はコミュニケーションツールである」