母の膵がんの告知を受けたのが、2月18日。

発覚した時には、腫瘍が十二指腸と胆管を圧迫しており、どちらも早急に処置をしないと危険な状態でした。

 


塞がっている十二指腸と胆管を広げるため、ステントという金具を挿入する処置が必要になり、急遽、地元の病院から札幌の大学病院に転院することになりました。



地元の病院では、1日2人まで面会することが出来たのですが、大学病院では残念ながら(というかこのご時世なら当然ですが)一切の面会が禁止でした。


重病の母が遠くの病院に行ってしまい、一切会えないというのは本当に辛かったです。

 

急変して、このまま会えなかったら・・

最後看取ることができなかったら・・どうしよう。

と不安でしょうがなかったです。

 


大学病院に入院していた2月28日から、3月7日までの1週間は、気が気でなく、生きた心地がしませんでした。

 

 

幸い、私達家族の願いが届き、無事にステント処置は成功し、3月7日、再び地元の病院に戻ってきました。

 


そして、その時点で母の膵がんは、ステージⅣ。

腹膜への転移がありました。


全身の衰弱も激しく、抗がん剤による治療は耐えられないだろうと、主治医も家族も判断しました。

 


母の膵がんが出来た部分は、大きな血管を巻き込んでいるため、そもそも手術は不可。


そして、膵がんに放射線治療はできない。


衰弱が激しいため抗がん剤も無理。

 

となったら、これ以上治療する術がありません。

「手の施しようがない」というやつです。

 


母は入院当初から「早く自宅に帰りたい」と強く訴えていたため、在宅医療に切り替えることにして、3月22日退院しました。

母が明らかな体調不良を訴え出したのは、昨年12月でした。

そこから検査や入退院を繰り返し、日に日に衰弱していきました。

 


私が、元気な母の姿を最後に見たのは、110日でした。

この日は、私のブライダル撮影と両家顔合わせがあったのです。


あとで分かったことですが、この日、母は体調がかなり悪いなか、無理をして来てくれたみたいです。


少なくとも私には元気な様に見えたので、心配させないために気丈に振る舞っていたようです。

今思い出しても泣けてきます泣

 

そして、次に、私が母に会ったのは、救急搬送された後の2月22日。

1か月会っていない間に、母の体重は7キロ近く減っており、一瞬誰なのか分からない程に衰弱していました。

 

 

主治医への怒りは前回ブログに記載したとおりですが、実は同時に母と同居している家族(父と姉)にも怒りがわいてしまいました‥。

自分のことは棚に上げて‥。

 

なぜこんなに衰弱するまで母を放っておいたのかと。

 

通院している病院で異常がないと言われて帰されたなら、もっと色々、別の病院に連れて行くべきではなかったのか。

 

特に姉は医療従事者なので、もっと早く母の異常に気付いて欲しかった、という気持ちがどうしても拭えませんでした。

 

 

でも、当たり前ですが、家族への私の怒りは口に出していません。

そんなことを言っても誰も救われないですし、何より家族みんなが、それぞれ自分のことを責めているのが分かっていたからです。

 

そして、私も自分自身のことを責めました

 

母が体調不良を訴えているのは知っていたので、素人的な観点から調べようと思えばいくらでも出来ました。

 

姉に任せきりにせず、設備の整った施設(PET検査など)を調べて、連れて行くことを、なぜ出来たのにしなかったのか。

 

 

何度も後悔して、自分を責めました


私だけでなく、家族全員が同じ様に、それぞれの行動を振り返って、後悔して、それぞれが自分を責めていました。

 

正直とても辛い時期でした泣

 

2022年2月22日。

私、父、姉、姉の夫の4人で主治医からICを受けました。


私は、

「母は、あれほど体調不良を訴えて、入退院を繰り返していたのに、なぜ、ここまで、がんの発見が遅れたのですか」

と単刀直入に主治医に聞きました。

※角が立たないように穏便に言ったつもりです。

 


主治医の説明は、

通常、膵臓にがんが出来た場合、まず膵臓の機能が低下する。

膵臓の機能は、インシュリンの分泌。

インシュリンが分泌されなければ、高血糖になり血液検査ですぐに分かる。

 

しかし、母の場合、膵臓の下の部分(ちょうど十二指腸と接している部分)に、がんが出来たため膵臓の機能に異常はなく高血糖ではなかった。そのため、がん腫瘍マーカーにも反応しなかった。




そして、十二指腸と接している分かりにくい部分に腫瘍が出来ていたため、CT画像検査で発見することができなかった。


通常は血液検査に異常が出て、その異常が出た臓器のCT画像を丹念に見るというのが、一般的な流れ。

「CT画像をもっとよく見てくれていれば!」

と言われれば、その通りだが、血液検査に異常がない以上、膵臓だけに焦点を絞って、丹念に見るというのは事実上不可能でした。

 

というのが主治医の説明でした。


言い訳のようにも聞こえますが、主治医の態度や話し方に、誠意が見られたため、私の怒りは一旦おさまりました。

 

医療関係者の知人に聞いても、主治医の説明に不自然なところはないとのこと。

 

確かに、まだ原因が分かっていない段階で、全ての臓器のCT画像を隅から隅まで見てくださいと医師に求めるのは酷なような気もします。

 

真実はどうであれ(真実は主治医が適当にCT画像を見ていたとしても)、もうそれは仕方のないこと。

「医者選びも寿命のうち」という言葉を聞いたことがあります。

 

母がその病院を選んで受診し、その医師にあたってしまった以上、そこを嘆いても仕方がないと、納得しました。

 

しかし、私の怒りは今度、主治医から家族(姉と父)に向かいました・・。

妊活をはじめて約3か月。

残念ながら未だ妊娠できていない今日この頃ですが、妊活どころではない事態が発生しました。

 

2月18日に、母の膵臓がんが発覚しました。

そこから怒涛の日々を過ごしております。

告知から約1か月たち、ようやく冷静になりつつありますが、しばらくは戸惑い、怒り、絶望・・

言葉では言い表せない気持ちで過ごしてきました

 


膵臓は「沈黙の臓器」と言われており、がんが出来ても自覚症状がほとんどないため、自覚症状が出て病院を受診した時には、手遅れ・・

というパターンが多いそうです。

 

しかし、母の場合は、3か月ほど前から、食欲低下、吐き気、体重の減少などの自覚症状が出ており、昨年12月から病院で色々検査をしておりました。

 

しかし、検査結果に異常はなく、いつも点滴だけして帰されておりました。


そんなことを3か月ほど続けているうちに、がんが進行して、腫瘍が十二指腸を圧迫。

腸閉塞に伴う激痛と意識障害で救急搬送されたのが、2月18日の朝。


そこで、再検査をしたところ、膵臓がんが発覚したという流れでした。

 


私の両親は姉夫婦と同居しており、私は実家から車で1時間のところに住んでいるため、上記経緯は姉から電話で説明を受けていました。

 

そして、膵臓がんが分かった時、私の行き場のない思いは、まず主治医に向かいました。


なぜ、もっと親身に診察してくれなかったのか。


もっと丁寧に診察してくれていれば、12月の時点で、がんが分かったのではないか。


明らかな見落としがあったのではないか。


もっと早く分かっていれば、母が不要に苦しむことも、手遅れになることもなかったのではないか

 

主治医への不信、怒りは最高潮に達し、裁判も覚悟の上で、2月22日に主治医と面談(インフォームド・コンセント通称IC)を受けました。




やってしまった・・。

妊活中に一番やってはいけないこと。

 

それは・・・

パートナーにプレッシャーをかけること物申す

 

プレッシャーをかけたくなくて、

不妊治療を受けていること、

排卵日が214日、15日であること

を秘密にしていたのですが、それが裏目に出てしまいました。

 

2日連チャンで出来るだけ多く夫婦生活を持とうと1人で頑張ったところ、パートナーに

「疲れているからびっくりマーク

と、拒絶されてしまいましたガーン

 


こちらとしては、きたる排卵日に備えて、

通院して

薬飲んで

注射も打って

超音波の痛いグリグリにも耐えて

この日を迎えたのに、酷い泣と思って

泣きながら罵倒しました。

(けっこう酷いことを言いました)

 


パートナーからしてみれば、私の↑想いは全く知らないので、そんなの知らんがな~という感じです。


プレッシャーをかけまいと、不妊治療については情報を共有していませんでしたが、それが裏目に出てしまいました。

 

秘密主義を貫くとこのようなトラブルが発生するし、、、

かと言って全てあけすけに話してしまうのも気が進まないなあと思うのです。

どうするのが正解なんだろうと悩んでいる今日このごろです。

 

妊活をスタートして、まだ2か月なのに先が思いやられる無気力