65年経った今日も、暑い一日になりそうです。
毎年この日に私が書く記事は決まっているので、「ああもうそんな季節かー」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。
8月6日。
広島に生まれ育った私にとっては、どうしても素通りする事ができない日です。
私の親族の中で、直接に被曝体験をした人はいないのですが、祖母の兄弟一家が被曝したのだそうです。
(詳細な話は、姉の昨日のmixiブログにありますので、ご存知の方はご覧下さい)
また、夫の遠縁の方が、まさに当時爆心地の町に住んでいた…という事を、先日お会いして聞きました。
(当時小学生だったので、宇品に移動させられていたため、一命をとりとめたのだそうです。 その後、佐賀に避難したのだとか)
65年。
随分長い時間です。
当時生まれた赤ん坊が、もう初老になっている歳月が経過した今、当時の惨状を記憶している方も少なくなってきました。
広島に育った子どもたちは、毎年身近な人々から話を聞いてきたのですが、最近では直接聞く機会も減っている事でしょう。
○十年前に小学生だった私でさえ、2歳年上の姉に比べればあまり沢山は聞けていないでしょうし、小さい頃に聞いていた話の中には記憶があいまいなものも少なくありません。
それでも、聞いた当時の衝撃や感想は、決して無駄ではなかったと思います。
いま…被曝者の多くは、怒りよりも祈りの気持ちが強いように思います。
自分達が体験した、今も引き続き体験し続けている苦しみは、2度とあってはならない。
どうかどうか、世界のどこからも戦火が消える日が一日も早くやってきますように。
3日後、同様に原爆が投下された長崎の人々も、きっと同じ願いを抱いていらっしゃる事でしょう。
今年は、戦後初めて、原爆投下当事者の国、アメリカの大使が式典に参加するという、記念すべき年です。
「原爆投下は正しかった」 と、いまだに大半の米国人が考えているような状況では、国家元首出席という訳にはいかないのでしょう。
他の紛争ニュースも鑑みても、民間人を無差別に殺戮する事に、かの国はかなり鈍感なように感じます。
まだまだ、地球そのものさえ破壊されるかもしれない核兵器に対する認識も甘いのが現状なのですが、それでも、大切な一歩だと信じたいです。
どうかどうか、本当の平和がこの星に訪れる日が近づきますように。
毎年この日に私が書く記事は決まっているので、「ああもうそんな季節かー」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。
8月6日。
広島に生まれ育った私にとっては、どうしても素通りする事ができない日です。
私の親族の中で、直接に被曝体験をした人はいないのですが、祖母の兄弟一家が被曝したのだそうです。
(詳細な話は、姉の昨日のmixiブログにありますので、ご存知の方はご覧下さい)
また、夫の遠縁の方が、まさに当時爆心地の町に住んでいた…という事を、先日お会いして聞きました。
(当時小学生だったので、宇品に移動させられていたため、一命をとりとめたのだそうです。 その後、佐賀に避難したのだとか)
65年。
随分長い時間です。
当時生まれた赤ん坊が、もう初老になっている歳月が経過した今、当時の惨状を記憶している方も少なくなってきました。
広島に育った子どもたちは、毎年身近な人々から話を聞いてきたのですが、最近では直接聞く機会も減っている事でしょう。
○十年前に小学生だった私でさえ、2歳年上の姉に比べればあまり沢山は聞けていないでしょうし、小さい頃に聞いていた話の中には記憶があいまいなものも少なくありません。
それでも、聞いた当時の衝撃や感想は、決して無駄ではなかったと思います。
いま…被曝者の多くは、怒りよりも祈りの気持ちが強いように思います。
自分達が体験した、今も引き続き体験し続けている苦しみは、2度とあってはならない。
どうかどうか、世界のどこからも戦火が消える日が一日も早くやってきますように。
3日後、同様に原爆が投下された長崎の人々も、きっと同じ願いを抱いていらっしゃる事でしょう。
今年は、戦後初めて、原爆投下当事者の国、アメリカの大使が式典に参加するという、記念すべき年です。
「原爆投下は正しかった」 と、いまだに大半の米国人が考えているような状況では、国家元首出席という訳にはいかないのでしょう。
他の紛争ニュースも鑑みても、民間人を無差別に殺戮する事に、かの国はかなり鈍感なように感じます。
まだまだ、地球そのものさえ破壊されるかもしれない核兵器に対する認識も甘いのが現状なのですが、それでも、大切な一歩だと信じたいです。
どうかどうか、本当の平和がこの星に訪れる日が近づきますように。