関東地方は毎日のように夕方~夜半からかなり激しい雷雨が降ったりしています。

昨夜、郷里の両親と電話をしていたら、広島ではここ1ヶ月くらい、まとまった雨が降っていないのだとか。
このままでは水不足も心配しなければならないかもしれません。

広島(特に南部沿岸地域)は元々そんなに沢山の降雨はない地域ですが、特に8月は、雨が降らないイメージがあります。

あの日、8月の朝』と歌われるその日も、本当にうだるような暑さだったと聞いています。
確かに『8月6日』は、私の中の記憶で、雨だったとかいうことが殆どありません。
今日も天気予報では晴れ。
式典に参加する皆さんも、年々高齢化することを考えると、やはり厳しい気候だと思います。
式典を主催する側も、参加者の健康配慮にはかなりの苦労をしているようです。
せめて、涼やかな風が吹くといいのに。

当時、あんなに暑く晴れていて、被曝したみなさんが水を求めていた頃…雨が降ったそうです。
黒い雨』です。
この雨には多量の放射能が含まれていて、爆風や火事によるヤケド以上の苦しみを、その後の被爆者達に与えるのですが、その頃にそんな事を知っている人は皆無でした。
『水を与えると死んでしまう(やけどが酷すぎるため)』と言われても、内蔵から燃えるような苦しみを味わっている人たちには、それは「恵みの雨」のように思えたかもしれません。
「広島」の名の通り、広島市には多くの川が流れていて、広島の中心はその中州を繋いでできています。
その自慢の美しい川。 
それを目指し、川に浸かり、水を飲み、力尽きた方も数多くいたそうです。

小学生の頃、何度か聞かされた話。
若い人も年よりも、女も男も、みな被害に遭いました。
中には、臨月を迎えた妊婦さんもいました。
そんな、全身にやけどを負い、苦しみの中、陣痛を迎えた方の話。 

「赤ん坊が生まれそうです。 誰か産婆さんを呼んでください」
苦しい息の中、必死に叫びます。
(その頃には、産院で産婦人科医による分娩よりも、まだまだ産婆さんと呼ばれる助産師さんによる出産が一般的でした)
そうは言われても、周囲には、息も絶え絶えの人ばかりです。
そんな中、虫の息だった一人の女性が言いました。

「私は産婆です。 お産をしましょう」

そうして、彼女のおかげで妊婦さんは無事出産し、その手にわが子を抱きました。
その様子を見守りきって、産婆さんは息絶えたそうです。

地獄のような中でも、人は生きようとし、新しい命を産もうとし、人としての誇りや使命感を失わない人たちがいた。
そんな、苛烈で切ない話を、子供心のどこかに留めて、今も時折思い出す。

今、私がそのような技術や知識を持ちあわせていたとしても、同じような状況の中、同じ行動を取れるだろうか。
否…たぶん、助けを求める女性の声も耳に入らないのではないかと。
その度に、私は弱い人間なのだ…と自省する。

この夏も、更に熱くなりそうです。
当時、同じように暑かった日本の、あちこちで起こった悲劇の場所で、きっと同じように沢山の人間模様があったのでしょう。
誇り高く、強く生きようとした、生きてきた人たち。
現代を託されている私たちも、もっともっと学ぶ所があると思う。

今もなお、色々な主張や欲望の為に、世界のあちこちで悲しい紛争やテロが絶えません。
人間は強い、そしてなんと弱い存在なのだろうか。
私にとっての夏は、そんな事を考える季節でもあります。