最近、不眠続いていたのが、今度は昼夜逆転っぽくなっている。
仕方が無いので、夜は無理やり布団に入るのだけれど、はっきり言って昼眠くない時に寝ている状態と同じ。
非常に時間を無駄にしているような気がするのだ。
…で。
昨夜もそんな感じで過ごしたため、ようやく眠れた明け方から昼過ぎまでダラダラと惰眠を貪っていたというわけです。
姉は冬コミの原稿にとりかかっていて、原稿の1部のFAXが送られてきた。
感じとして、1冊目のものはほぼ60%くらい終わっているんじゃないかと思う。
私も、時間だけは自由になるのだから、そろそろ取り掛かるべきなんですけど…
絵を描く人なら分かってくれるかもしれないけれど、普通の行動や思考をしている時と、絵を描く時に使う脳って、何となく違う場合が多いんです。
私はそれを『マンガ脳』と読んでいるわけですが。
学生の頃は、90%マンガ脳で過ごしていた。
暇があれば、すぐ絵にとりかかれた。
(つまり、勉強は殆どやってなかったんですけれどね)
仕事に就いて、さすがに日々を『普通脳』で過ごすようになると、日々の余暇に絵を描くというのは、なかなか難しくなってきた。
次の日に影響するような時間まで作業をするわけにもいかないし。
…ということで、休日に限られていたんですね。
今は…時間もできたし、仕事の事は考えずによくなった。
だけど、普通に暮らすための普通脳を維持するのも怪しい『無気力状態』になってしまっていて。
ご飯食べたり、外出したりという、生きるための行動さえ、忘れてしまうと言うより、全く意識が行かない事が多くなってしまって。
まずは「普通の暮らし」をしなければならない。
余暇はそれから。
気晴らしの作業として、好きな事をするのはいいこと。
ただ、クリエイティブな作業と言うのは、ある程度の集中力が必要なんで。
漫画を描くネタは、多少はある。
ただ、それを「マンガ」にするには、マンガ脳が働かないと難しい。
人に話すだけなら、こうして文章にすればいいのだけど、漫画は話の組み立てを考えるだけでなく、セリフなどの整理、画面構成(コマ割・コマの中の構図決めなど)、絵の制作、仕上げ(効果)など、普通の人が思っている以上に作業がある。
端的に言えば、「山に散策に行きました」ということを、文章ならこれだけですむ。
「紅葉が見事で」 とか、「燃えるような赤、抜けるような青空」 なんて、書けばすむ。(勿論その表現を吟味してればキリがないので大変ではあるが)
それを、絵にするのはかなり色々考える。
作業の手間隙もかかる。
一瞬で見逃す「ウンザリするくらいの人ごみ」みたいな1コマに、1日がかりなんていうことも当たり前。
私の漫画はそんな手間隙はかけられないし、そんな技量もないですが。
「ネタはある! だけど何故かそれを漫画にする事ができないんだ!!」
…といったようなセリフを、某漫画で主人公が言っていましたけど、まさにそれは、プロだけでなく素人もいつかは感じることなのだ。
若い頃は、何も考えず、たんたんと何でも描けた。
それが、段々とできなくなっていくのだ。
ピアノ曲「エリーゼのために」を小学校1年生が割合簡単に弾けるようになっても、大学生、プロになっていくと、色々なことに悩み始め、難しく感じるようになるようなものだろう。
「楽譜どおりの音を鳴らす」だけではない、「曲の本質」ということに悩みはじめると、キリがないから。
勿論、そこまでの芸術性も技術も私は持ち合わせていないのですけれど、「何故か形に出来ない」という葛藤はある。
そんな作業は、殆ど頭の中で行われる。
つまり、傍から見ていると、「何もせず、ぼーっとしている」という風に見えるのですね。
そんなこんなで、創作活動も、生活のための行動も起こさず、こんな時間まで漫然と過ごす…
こんなことでいいんだろうか。 よくはないか。
まあ、仕方が無いので、夕方からは少し生活のための行動を起こそうとおもっています。
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