私は言葉の力を信じてるんだけど。
私の恩師の芳士戸先生は、東京大空襲のあの日、東京下町の、被害が大きかった地域で生き残られた方で。
小学4、5年生のときの、担任の先生で、厳しくて宿題を沢山出すけど、心はとても温かくて、子ども思いの尊敬できるカッコいい女性だった。
先生が教えてくれたこと、本当に沢山あって、私の人格形成にも多大な影響を及ぼしているんだけど。
でも、一番心に残ってるのは、「言葉の力を信じる」こと。
戦争中、戦後を生きてきた先生は、戦争は対話することで絶対に防げる、と信じていた。
だから、私は先生の想いを受け取って、このことを私より若い世代に伝えていきたい、と切望してる。
Xを通じて、何度も何度も、言葉の持つ力を伝えている。
そんな私のポストに、「平和ボケした、頭がお花畑の奴らは、皆、対話で何とかなると思ってる」と批判してくる。
でも、ホントにそうなのかな?
私は幼い頃から、毎年、東京都慰霊堂に家族でお参りに行っていたし、小学校のブラスバンド部では、色んなところに慰霊の演奏をしに行ったし、できる限り戦争の勉強はしてきた。
悪いけど、平和ボケなんかしてる自覚はない。
ヒトが生き残る手段として、脳にコミュニケーション能力を身につけて、それを使うために言葉(=記号)を作り出した、と考えてる。
対話をせずに戦争繰り返したら、やがて抑止力だった核を各国が使って、ヒトは間違いなく絶滅する。
分かってないのは、軍拡すれば自分の命が守られると信じ込んでる奴らのほうだ!!
ヒトが、繁栄するために手に入れたコミュニケーション能力をフルに使わないから戦争をして、絶滅へのカウントダウンが始まるんだよ。
「何も言わずに突然攻めてきたらどうするんだ」とか「米国が戦争始めたら日本はそれに従わざるを得ないんだ」とか「日本のために国民は血を流さなければならない」とか言うけど、そもそも充分な外交努力をしてないし、対話だって足りないじゃないか。
そりゃ、人類みな仲良くなれるなんて言わないよ。
いじめだって無くならないしさ。
そんなことわかってる。
でもさ、他人の命をなんだと思ってるんだ、という話だよ。自分の命を守るために、他人を殺すんじゃない!!
私のことを、平和ボケ、とか、頭がお花畑、とか言ってる人はさ、自分が安全なところにいると思ってるから言える。
残念だけど、私を批判してる人たちも、戦争が始まったら殺されるんだよ。
このことを本当に理解できてるの??
ーー取り乱して、失礼しました