悼むって難しい

言葉にすればするほど
自分の中にある本質と離れていく

それが人の事となると尚更

仲のいい友達や近しい関係の人の大切な人が魂に還った時
なにか言葉をかけるのは本当に難しい

そうなると
ありふれた言葉をただ音や文字にするのにみなるんだけど
それしかできない

でも
何か言ってあげたいとか励ましてあげたいとか
その"あげたい"を限界まで突き詰めて考えた時
私が私に思うのは
これは私自身のエゴだなと

でも
そのエゴはある意味わかりやすい優しさとして
人と人とを繋ぐものにもなっているんだなとも思う

でも
1つ、絶対的に己の中で真実だなと思うのは

故人を悼む気持ちと

もしそれが人様の話だったとしたら
その人自身が納得いく物理的なお別れと
時間はいくらかかってもいいから
なんなら終わらなくてもいいから
故人と向き合いたいだけ向き合って欲しいなという気持ちは
別にカッコつけとか嘘じゃないなと思う。

私は
人は死んだら光に還って、全て完全な状態の一部になると思ってる

それでもまだ学びたければ
その完全な光からポコンと離れて(知らんけど)また人として生まれるんだと思う

全部自分の選択だから(個の概念ないけど)
好きに出来てる空間だと思うので
故人に関してはお疲れ様でしたの感覚が強い。
※悲しくないわけじゃないよ!

平たくいうと、死んだ後の世界は知らないから想像でしかないし
救われたいために我々が願ったファンタジーを当てはめているだけにすぎなくて。

今地球で見つめるのは
遺された人たちが故人になにをのこしてもらったのか
だなと私は思っていて

亡くなる人って、それによって色んな大きな感情や思い出や決意をのこしてくれるから
それを手渡された時、自分はどう生きていくのか
だなあって。

おもう。

のです。

な。



あとはもう気持ちって全てその人だけのものだから
こっちからは本当に何も言えない。

ただ祈ることや寄り添う(いる)こと
助けてって言われたら自分に出来ることだけをすること
それしか出来ない


なーー

など

お布団の中で考えています。