誰かが亡くなると悲しくて辛くて寂しくて

家族は勿論、好きな人や推しなど

私もそういう人を亡くした経験があるのでそういう気持ちは察する事が出来ます。


若くして、幼くして亡くなる方

突然亡くなる方

不本意な形で亡くなる方

大往生の方


生き方が様々ならば死に方も様々で。


私は子どもの頃から死ぬことが怖く

1番古い記憶は死ぬのが怖くて保育園で泣いたところから始まります。(別に何かあったわけではなく、死ぬことを考えて怖くなって泣きました。)

泣いている理由を問われて何となく

卒園することを考えて悲しくなった

と嘘をついたことを覚えています。


それからも意味のわからない恐怖というか

死ぬ事=寂しい永遠の別れ、怖い

みたいな

本能に刷り込まれたそれはそれは大きな恐怖がありました。



私がワークをしている目的のひとつに

恐れずに死ねるように

というのがあります。


これを掲げている時点でビビりまくりなのがわかるのですが

例え何かに挟まっても、意識はっきりであぎゃーん!てなってても

その場所、空間、次元、瞬間に

恐怖の楔を打ち込む事なく逝けたらいいなあと割と常日頃思っております。


出来るかどうかはわかりませんが

今のところはそう思っています。



逝った人(存在)の外側に取り残された存在達は

大抵はその悲しみに暮れたり、救いを求めて祈ったりしますが

死それ自体は全く忌むべき事ではなく、まして穢れでもなく

人間としての部分ではなくて

魂が立てた計画をオールコンプリートしたグランドフィナーレの様に感じます。


故人を悼むその気持ちを否定したいわけではなく

そこで起きた死という現実と、自分はこれからどう生きていくのかっていう

めちゃくちゃ得難い置き土産をして

存在達は逝くんだなあと。


心の澱が舞い上がった瞬間こそが

成長と学びのチャンスで

それは大きなものから小さなものまで自分に必要な時に必要なだけ必要なものが用意されていて


成功が善で失敗が悪とか

健康に生きることが正解で

不健康に死ぬことが不正解とか

そういうジャッジも外せた時に

また己の世界は変わる気がします。


きっとみんな

苦しいのは嫌だし健康がいいんだけど

それを選んでない魂もあるんだなって。



私は思うわけでして。



人として生まれた以上

人として生きていくんですけど

そのルートを外れるのもまた生き方の選択で。


感性も常識も倫理も

時の経過とともに変わるものなんだなぁ。