「次の」社会を考える上で気になった記事がこの記事です。
無縁社会は惡くない――島田裕巳『人はひとりで死ぬ』
この記事を読んで、最近読んだ日経ビジネスの記事と、今まで自分の書いた記事を思い出しました。
■ 正月、実家に帰る意味が分からない(日経ビジネス:遙なるコンシェルジュ「男の悩み 女の嘆き」)
■【読書記録】 世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて/柄谷 行人
■【twitterまとめ】世界史の構造/柄谷行人
■【読書記録】 ネット社会の未来像 (神保・宮台激トーク・オン・デマンド (3))
「世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて/柄谷 行人」にも書かれていますが、資本主義はそれまでの共同体、国家からの「人」の独立(自由の獲得)を実現させた。その事自体は非常に意味があるし、社会的な進歩だとも思います。
しかし、資本主義はその拡大を前提にしているので、リソースの限りが見えてきた現状においては、その限界やひずみが見えてきている。
そしてその解決のためには、「個人の自由」が保障されていて、かつ「互酬性」がある社会に向けて進むしかないのかなと思います。今はいろいろな場所で、その手段やステップがいろいろと検討されている状態ではないかと。
twitterやブログでも書きましたが、今の状況は、資本主義の拡大をひたむきに行ってきた「つけ」がたまって、いろいろなところに(特に弱いところに)ひずみが出ている状態だと思います。だから、「ここまで来た(来ることができた)という面もあるわけで、昔に戻るというのはおかしい。でも、このままだとまずいので、そろそろ次を考えたり、作ったりしないといけないね、という事だと思います。
これはまだ誰も解決できていない大きな課題だと思います。
私としては、自分の周りの現実的な事に対しての実行と、この大きな流れの中で自分が何ができるのかについて考えていきたいと思います。
この課題の解決は、世界で誰も実現できていないという点では非常にやりがいのある事だとも思います。