なおみのブログ

なおみのブログ

ブログの説明を入力します。

Amebaでブログを始めよう!

からだのなかにできた、おっきな塊、腫瘍さん。

私たちの血液は循環と言う役割をもち、脈々と流れる。

脳にできた転移は、コミュニケーションを難しくする。


いままでと同じように、わかってくれるものだと、言葉を発すると、その言葉は宙を彷徨い消えていく。


言葉を発することが難しくなられた、患者さまのお部屋に伺いました。


いっしょに音楽お聴きしたときに、涙をぽろぽろと流されて。

わたしたちのひとつの仕事は「きづくこと」。

大切なおじょうさんがとなりにおられました。


「もっと一緒にいたいのに。長くはいられないように感じて不安なんですか?」とお聞きすると、その言葉は届いたようで、ぽろぽろぽろ美しい瞳をじっとこちらにむけて。


「わかりましたよ、伝えますよ。」という言葉に、満面の笑顔でお嬢様をご覧になられました。



なおみのブログ

ふくろうさん(*^。^*)


おひとりのときにも寂しくないように。


お部屋にお届けにあがりました。


じーーーーーーーーーーーーー。

あれ?

じーーーーーーーーーーーーーーーーーーーって。目で私の顔を追う、彼女。


あいぼうさんも、あまりの注視に気が付き、

「お嬢さんと雰囲気似てるもんねぇ」と。


患者さん、まばたき、大きく、ぱちり。


以前、看護師さんと一緒訪問したときに、看護師さんが工夫をして「はい、だったら ぱちり。いいえだったら、ぱちり・ぱちり。」まばたきで教えてくださいね、とお伝えしたのを覚えてくださっていたよう。


おかん、久しぶりに思い出しました^^。


* * * * * * * * *


3年まえ、母の余命告知をうけたときに、書いたコラムです。
(葛藤だらけだなぁ(笑))


愛は、感じたときに、表現する虹


って、できたら、もっと、人生は素敵になるのかな(*^_^*) 恥ずかし!!


* * * * * * * * * *


側にいたい。
そんな風に、このひとに対して感じたのは、いったい何年ぶりだろうか。
愛おしく、優しい。
こんな気持ちを持つことも、もう、ないと考えていた。

昨年末、母は入院し、今年になって自宅に戻る。


親不孝な娘は、彼女に向き合った時に感じる自分の罪悪感を嫌い、めったに母に顔を見せない。
気持ちの上でわだかまりがある時は、永遠にこの塊は溶けるはずもなく、分断された川岸の向こうにいる‘敵’とは橋をかける術もないと感じるもの。
永遠と感じる時間は、全く動かぬ、つまりは止まっているのと同じなのだろうか。


ふと、そんな事を思い、状況を動かそうと、モチベーションのあがらぬまま、あまり役に立ちそうにない「おやこーこー」を考えるが、実行に移すことは滅多にない。


かくしてわだかまりは、やはりまた、永遠のときを刻み始める。

母の入院は毎度のことであり、あまり驚くに値しない。
そう判断している私の親不孝度は年々アップしていた。
既にアラフォーまっただなかだというのに。

そしていまに至るのだ。


今回ばかりは、少し様相が違うらしい。
いわゆる「治療」はしないらしい。
一時、食を摂ることができない状態のため、毎日点滴をするがそのまま自宅療養となるらしい。

友人に手伝ってもらって、いまできる最善の環境整備を父とともにした。
週2回の訪問看護師さんの手配と、在宅医の手配、そしてヘルパーさん。
この土地だからこそ準備できる環境に、感謝しそして、胸をなでおろす。

7年前から「高次脳機能障害」である母は、判断も理解もできるが、5分前のことも悪気なく忘れてしまう。忘れることに自覚があるので、忘れているよ、と指摘すれば問題はないが。

その状態でも、私の事は心配する。
仕事のこと、収入のこと、結婚のこと、健康のこと。
心配されると、罪悪感を感じ、冒頭のわだかまりは、動かぬものとなっていた。

かたちあるモノ、それは人間の人体であっても、それは永遠ではないんだな。
時間の長短はともかくとして。
自然の摂理を自分のものとして目の当たりにして、自分が逃げていた事に気づく。

それは、愛したい人を愛することから。
愛したいと思ってくれている人から、愛されることから。
言い訳は、なんだってつく。

忙しかったんだ、私にしかできない仕事なんだ、休めないんだ、予定が先にあるんだ。


そうはいっても、ほんとうのところ、世間はそれほど狭量ばかりではない。
(狭量な場合もあるのはわかるが・・・。)
私の場合は、言い訳である。
選択は、できる。


そして、時間も贈り物であることに、気づく。

側にいたい。
側にいたい。
愛おしい、愛しています。


彼女のいのちの輝きは、私の中に自然な愛を引き出した。
永遠だと思われたわだかまりは、あっさりと溶けた。
彼女は「生産的」な事は、もう何年も前から、ほとんど何ひとつしていない。
努力すら、忘れ去っている。


私が「生産性」を求め続けていた頃、ただ車椅子に乗り、食すら誰かの世話になり、そんな状態は心から恐怖の対象であった。もしも、自分が、いや家族であってもそんなことになったなら、私は心情として耐えられる自信は全くなかった。

でも、いまは「ひとときの穏やかさ」が、どれほど人を癒し、豊かであるのかを知った。


身をもって母が教えてくれたといっても、過言ではないと思う。


昨年相次いで、大切な友人が愛へと旅立った。
彼女らは目には見えない愛を今も送り続けてくれており、私の感じ方の変化をサポートしてくれているように思う。


映画「パッチアダムス」のモデルである、「ハンターアダムス氏」が来日し、講
演会を東京で行っていた。それでも、まだ、親不孝な娘はこの期に及んで東京までハンター氏に会いに行く☆



自分の人生は、とめない。


それも、大切なこと。



ゲズンハイトインスティチュート、無償診療所の構想のため、東奔西走する60代の少年。
ホスピタルクラウン、彼の突飛な衣装は、世の中からバイオレンスを無くすため。
そういう彼は、戦争孤児だそうだ。
質問者達の質問に、ユーモアと愛と、そして勇気をもって、答え、少なからず傷ついた医療従事者・介護者・聴衆たちを鼓舞し、そして、時にただ抱きしめる。

‘私たちに壁は存在しない。できないと思ったところがただ、壁になるのだ。’


彼は、そう静かに語る。

人と人との関係も、わだかまりは‘心の壁’なのだろう。
リアルに感じる、不可能さ・・・、一生埋まらないと思う溝・・・。


愛によって、いのちの輝きによって、押し流され、溶けることもあるのなら。


わたしたちの、こころは思うよりも、柔軟で、強く、しなやかで、ダイナミックな現実を作り出すこともできるのかもしれない、と、いまは感じている。

愛おしい、という、人間らしい感情は、豊かな泉のように私の胸を満たす。

不自然な生きかたのほうが、まだ、しっくりくることもあるけれど、



側にいたい、こころのままにあることを、今日は少し、自分に許してみようと思う。

先日の記事に書きました。

そう、安全のため、閉ざされた病棟にいるねいさんのためのミッション、その壱。


「預金残高を調べ、紛失しているかもしれない直近に使用していた預金通帳を再発行していただく恋の矢


いや。

ミッションっていうほどでも・・・。

思われるかと存じますが。

これ、他人がしなきゃいけないとなると、かなり大変。


確かにだれでも出来ちゃうと、困る。かなり、困る。

ということで、すでに1親等がいなくなってしまったねいさんのため、挫けそうなハートブレイクこころをなんとかなんとか、もたせて(事情はのちほど)2カ月がかりで新通帳ゲットしたわたくしたち。


その報告とお誕生日のお祝いを兼ねて、ひさしぶりにねいさんの待つ病院へ昨日行って来ました。

ぶっちゃけ、ドナドナ。

あいぼうさんに、お尻ぴしぴし(されてないけど)。


実は前回あったのは、銀行への提出のために「姉の委任状」をもらいに行ったときでした。

委任状をもらう前に、不安のために「ファンタジー」という病状に身を隠したねいさんへ、お手紙を書きました。


現実を受け入れてもらうため。

そして、不安が募る気持ちも分かりながら、こちらの生活もあるので全てのニーズをかなえてあげられない事。

・・・親がしてくれていたらいいのにって恨み言とともに。


ねいさんは、とっても深い恐怖心を感じたときに、キレちゃいますドンッ

わかってるんだけどね・・・。

でも、だれも、ちゃんとそこに向き合えるんだって、扱わないんだもん。

信頼しないんだもん。


面会時に、感情はもちろん、妹であるわたくしへプンプン

わかってるけど、もうカウンセラーでなく、ただの姉妹喧嘩(泣)。



で。

ドナドナだったのですよ。

「どうせ会いたくないでしょう?」って思いと、病状が悪化している悲しみに目を向けたくなくて。


ほらほら、と促されて、ケーキを持って姉のお見舞い。


逢ってみたら。

「この間ごめんね、もう2度と来てくれないかと思った。」と、姉は泣きべそをかきそうに。


・・・。

ほんまは私も。

もう、2度と会えないかと思った。

優しくて、思いやり深い姉に。


妄想や幻聴のほうが、こんどはすっかりと、影を潜めた様子。


10年前、彼女は一度、保護入院を体験しています。

そのときには、薬剤があってきたときに、見違えるようにお姉ちゃんは落ち着きました。

今回は、症状も慢性化しているように見えた。


もう、2度と私もムリかと思ってた。


また、大好きなおねえちゃんに出会えた喜びと。

自分の状況をはっきりと把握し、先の見通しを淡々と受け入れている様子が少しばかり悲しくて。


私もまた、親と同様に、姉がいまの現状を向き合う事を避けようとしていた事に気がつく。




それから、たくさん泣いた。


おねえちゃん、お誕生日おめでとう。



生まれてきてくれて、ありがとう。


追伸:ここまでつきおうてくれた、あいぼうさん。

ほんま、さんきゅ。


追伸その2:みっしょん いんぽっしぶる、通帳大作戦(そんなに大袈裟か?)は、続くのだ!












こんにちは。

「こんな時なんだけど。。。」


父が亡くなって、やっと2か月が断とうとしています。

この頃、「落ち着きましたか」というお声をよくかけてくださいます。

ありがとうございます。


はい、お陰さまでクローバー



と、にっこりお返事したいところなのですがあせる


なんせ、初めてのことばかり。

いや、実はわたくしだけでなく、結局のところ、父の周辺にとっても。


例えば、父の兄弟に連絡をすること、多くはね、それがストレスになることなんてないと思うのですが。

なんせ、最後に私がその人たちを見たのは母の葬儀の3年前。

んでもって、あんまり、こちらに良い感情をお持ちでない様子でしたので。


「なんですぐに言わない?!」って怒られちゃうんかなぁ、ああ、めんどくさいなぁと思いつつ。

状況を説明すると、だんだん、相手が言葉少なになって、

「取敢えず、手を合わせにいこうと思うけど、どうしたらいい?」


普通なら、すぐにできること、も、ひとつひとつストレスかつ、連絡をし状況を説明するにすると「で、どうしよう?どうしたらいい?」・・・。

ああ、やっぱり、答えないんだよねー。

そだよねー。

知ってたけどねー(哀愁)。




父が亡くなった→保護者が居ない姉を医療保護入院、生活保護申請、等々。

身の周りを整えねばなりません。


先日、遭遇したのが。


「姉の紛失しているであろう預金通帳を再発行してもらう。」というミッション。


父の借りていたマンションの1室に、住んでいた姉ですが、今回病院へお引越し。

いや、本人さんがどこになにがあって、どうしたらいいのかって説明してくれて、諸手続きの主導権を取れれば、そんなに面倒でないことなんですよね。


区役所の福祉課の担当さん、それから、病院のケースワーカーさん、姉の主治医、銀行の方々。

それぞれの立ち位置から大変お世話になりました。

<(_ _)>


さてさて、顛末は、この後のブログに書かせていただきたく存じます。



たまにしかないことだから、お困りになることも多い、非常時のこと。

自分自身の体験を記すことで。」

どうか、みなさまの生活の一助となりますように。