からだのなかにできた、おっきな塊、腫瘍さん。
私たちの血液は循環と言う役割をもち、脈々と流れる。
脳にできた転移は、コミュニケーションを難しくする。
いままでと同じように、わかってくれるものだと、言葉を発すると、その言葉は宙を彷徨い消えていく。
言葉を発することが難しくなられた、患者さまのお部屋に伺いました。
いっしょに音楽お聴きしたときに、涙をぽろぽろと流されて。
わたしたちのひとつの仕事は「きづくこと」。
大切なおじょうさんがとなりにおられました。
「もっと一緒にいたいのに。長くはいられないように感じて不安なんですか?」とお聞きすると、その言葉は届いたようで、ぽろぽろぽろ美しい瞳をじっとこちらにむけて。
「わかりましたよ、伝えますよ。」という言葉に、満面の笑顔でお嬢様をご覧になられました。
ふくろうさん(*^。^*)
おひとりのときにも寂しくないように。
お部屋にお届けにあがりました。
じーーーーーーーーーーーーー。
あれ?
じーーーーーーーーーーーーーーーーーーーって。目で私の顔を追う、彼女。
あいぼうさんも、あまりの注視に気が付き、
「お嬢さんと雰囲気似てるもんねぇ」と。
患者さん、まばたき、大きく、ぱちり。
以前、看護師さんと一緒訪問したときに、看護師さんが工夫をして「はい、だったら ぱちり。いいえだったら、ぱちり・ぱちり。」まばたきで教えてくださいね、とお伝えしたのを覚えてくださっていたよう。
おかん、久しぶりに思い出しました^^。
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3年まえ、母の余命告知をうけたときに、書いたコラムです。
(葛藤だらけだなぁ(笑))
愛は、感じたときに、表現する![]()
って、できたら、もっと、人生は素敵になるのかな(*^_^*) 恥ずかし!!
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側にいたい。
そんな風に、このひとに対して感じたのは、いったい何年ぶりだろうか。
愛おしく、優しい。
こんな気持ちを持つことも、もう、ないと考えていた。
昨年末、母は入院し、今年になって自宅に戻る。
親不孝な娘は、彼女に向き合った時に感じる自分の罪悪感を嫌い、めったに母に顔を見せない。
気持ちの上でわだかまりがある時は、永遠にこの塊は溶けるはずもなく、分断された川岸の向こうにいる‘敵’とは橋をかける術もないと感じるもの。
永遠と感じる時間は、全く動かぬ、つまりは止まっているのと同じなのだろうか。
ふと、そんな事を思い、状況を動かそうと、モチベーションのあがらぬまま、あまり役に立ちそうにない「おやこーこー」を考えるが、実行に移すことは滅多にない。
かくしてわだかまりは、やはりまた、永遠のときを刻み始める。
母の入院は毎度のことであり、あまり驚くに値しない。
そう判断している私の親不孝度は年々アップしていた。
既にアラフォーまっただなかだというのに。
そしていまに至るのだ。
今回ばかりは、少し様相が違うらしい。
いわゆる「治療」はしないらしい。
一時、食を摂ることができない状態のため、毎日点滴をするがそのまま自宅療養となるらしい。
友人に手伝ってもらって、いまできる最善の環境整備を父とともにした。
週2回の訪問看護師さんの手配と、在宅医の手配、そしてヘルパーさん。
この土地だからこそ準備できる環境に、感謝しそして、胸をなでおろす。
7年前から「高次脳機能障害」である母は、判断も理解もできるが、5分前のことも悪気なく忘れてしまう。忘れることに自覚があるので、忘れているよ、と指摘すれば問題はないが。
その状態でも、私の事は心配する。
仕事のこと、収入のこと、結婚のこと、健康のこと。
心配されると、罪悪感を感じ、冒頭のわだかまりは、動かぬものとなっていた。
かたちあるモノ、それは人間の人体であっても、それは永遠ではないんだな。
時間の長短はともかくとして。
自然の摂理を自分のものとして目の当たりにして、自分が逃げていた事に気づく。
それは、愛したい人を愛することから。
愛したいと思ってくれている人から、愛されることから。
言い訳は、なんだってつく。
忙しかったんだ、私にしかできない仕事なんだ、休めないんだ、予定が先にあるんだ。
そうはいっても、ほんとうのところ、世間はそれほど狭量ばかりではない。
(狭量な場合もあるのはわかるが・・・。)
私の場合は、言い訳である。
選択は、できる。
そして、時間も贈り物であることに、気づく。
側にいたい。
側にいたい。
愛おしい、愛しています。
彼女のいのちの輝きは、私の中に自然な愛を引き出した。
永遠だと思われたわだかまりは、あっさりと溶けた。
彼女は「生産的」な事は、もう何年も前から、ほとんど何ひとつしていない。
努力すら、忘れ去っている。
私が「生産性」を求め続けていた頃、ただ車椅子に乗り、食すら誰かの世話になり、そんな状態は心から恐怖の対象であった。もしも、自分が、いや家族であってもそんなことになったなら、私は心情として耐えられる自信は全くなかった。
でも、いまは「ひとときの穏やかさ」が、どれほど人を癒し、豊かであるのかを知った。
身をもって母が教えてくれたといっても、過言ではないと思う。
昨年相次いで、大切な友人が愛へと旅立った。
彼女らは目には見えない愛を今も送り続けてくれており、私の感じ方の変化をサポートしてくれているように思う。
映画「パッチアダムス」のモデルである、「ハンターアダムス氏」が来日し、講
演会を東京で行っていた。それでも、まだ、親不孝な娘はこの期に及んで東京までハンター氏に会いに行く☆
自分の人生は、とめない。
それも、大切なこと。
ゲズンハイトインスティチュート、無償診療所の構想のため、東奔西走する60代の少年。
ホスピタルクラウン、彼の突飛な衣装は、世の中からバイオレンスを無くすため。
そういう彼は、戦争孤児だそうだ。
質問者達の質問に、ユーモアと愛と、そして勇気をもって、答え、少なからず傷ついた医療従事者・介護者・聴衆たちを鼓舞し、そして、時にただ抱きしめる。
‘私たちに壁は存在しない。できないと思ったところがただ、壁になるのだ。’
彼は、そう静かに語る。
人と人との関係も、わだかまりは‘心の壁’なのだろう。
リアルに感じる、不可能さ・・・、一生埋まらないと思う溝・・・。
愛によって、いのちの輝きによって、押し流され、溶けることもあるのなら。
わたしたちの、こころは思うよりも、柔軟で、強く、しなやかで、ダイナミックな現実を作り出すこともできるのかもしれない、と、いまは感じている。
愛おしい、という、人間らしい感情は、豊かな泉のように私の胸を満たす。
不自然な生きかたのほうが、まだ、しっくりくることもあるけれど、
側にいたい、こころのままにあることを、今日は少し、自分に許してみようと思う。

