こんにちは、三連休最終日☆いかがお過ごしですか^^
我が家は掃除・洗濯・畑仕事・犬のシャンプー・冷蔵庫の中の整理・息子君庭でビニールプール・・・いろいろ地味~に楽しくやってます。
どう考えても食べきれない量のミニトマトで野菜庫がいっぱいだったので、頑張ってケチャップにしました♪。面倒だったので種は濾さずツブツブザラザラですが(苦笑)味は好みに作れたしそれもいいかなと思ってます。(シナモンやクローブを入れて甘め&スパイシーに仕上げたのでホットドッグのバンズにたっぷり塗っておいしいソーセージを挟んで食べたいです!)
おかげで4ℓの鍋にいっぱいだったトマトがガラスの小瓶いくつかにまとまってくれました。ほっ・・・。
********************************************************
さて。
昨日の記事の続きです。
幸せってなんだろう どこにあるんだろう?
まとめ下手ですが、なるべく冗長にならないよう、私が読んで強く印象に残ったところをピックアップして書いていきますね^^;。
(詳しくは、ぜひ本を読んでみてくださいね)
◎幸せの価値観
「草食系」と呼ばれる若者や北欧諸国の人々の価値観について。
・物を欲しがらない・お金を使わない「草食系」と呼ばれる若者たちは、もはや物やお金では幸せを感じられないことを感覚的に知っているのではないだろうか。
・幸福度の高いとされる北欧諸国の人々もまた、お金やモノに重きを置かず、日頃とても質素な生活をしているが、強いられているわけではなく個々が選択的にそうしている。
↓このインタビュイーの言葉が印象的でした。
「浪費しようと思えば、おいしいものを食べに行ったり、すごいシャンパンを買うこともできる。でもする必要がないし、人に見せることもない。お金があるからと言って、それを自分の表札に書いておく必要はないんです」デンマーク/製薬会社勤務の男性
”お金やモノが幸せを測る尺度にはなっていない”という2つの世界の価値観ですね。
買えるから買う ではなく 買えるけど、必要ないものは買わないよ っていうスタンス。
彼らはモノに対してではなく、体験や経験、居心地のいい住まいに対して幸せを求める、という特徴についても述べられてました。
モノから得られる幸せ⇒経験から得られることも幸せ ・・・幸せの価値観のシフト
◎幸せとは「選択の自由がある」こと。
欲しいものがあったら買える・やりたいことがあったらやれる、と”思っている”ことが重要。
実際買う・やることとはまた違って、それを選択できる金銭的・時間的な余裕を持っているという自覚が、幸せを感じさせてくれる。
私もお金がなかったころや、今の会社を手伝う前別の仕事をしていたずっと昔は時間の制約も多く、
そのためにできないことや買えないものはたくさんあったけど
今は、いざというときには自由にできる時間も確保できるし、それをできるだけのお金もある、「そう思えていること」は私の幸せにとって重要なことだと思ってます。
◎シンプルなコストで暮らすこと
節約を「選択」して楽しむ。
状況に強いられてすると苦痛だけれど、ここも「選択の自由」としての節約ライフ。
そして目先のお金のために何かをするというのではなく、
面白いと思えること、自分の成長のためにこそ仕事をする。
・・・節約を楽しみ、ライフコストを低くコントロールできれば、お金のため・ではない生活を手に入れやすくなると感じました^^。
◎自分にとって大事なものを絞り込む。
・自分にとって大事なもの以外を”あえて”捨てることで、自分の幸せが何なのかが見えてくる。あれもこれも欲しい、では幸せになれない。
・やりたいことより、やらないことを決める・・・やらないことリストを作って自分のスタンダードを作る
・たくさんのものより、持たない生活 ・・・いつか使うかも と思ってるものは恐らくもう永遠に必要ない。 家の中に余計なものを置かなければ、どうでもいいものを買い求めることもなくなる。
このあたりは断捨離をしたことがあるとするっと入ってきますね。
絞り込む作業って能動的で自分で考えないといけない。
何が大事なのか考え、それ以外を捨てていくことで自分の幸せがクリアに見えるようになりますよね。
「やらないことを決める」というのも大事なものを決めるのと同様にとても有効そう。
◎まわりはまわり、自分は自分
自分の価値観を他人と比較することには何の意味もない。
会社や地域など、同じような方向ばかりを向いた「小さなコミュニティ」の価値観に飲まれて周りが見えなくならないように。
◎満足の閾値を下げる
向上心を持つことはいいことだけれど、満足の閾値を挙げてしまうと常に不満足で「もっともっと」となってしまい、ひいては幸福度を下げる原因にもなってしまう。
小さなことで満足できる心をもっていると日々幸せをかみしめられる。
満足・幸せを感じられる度合いは人それぞれ違うけれど、
バブル時代を過ごしてきた人はこの満足・幸せの閾値が不必要に上がってしまっているのではないか、という記述にドキッとしました。
私自身はバブル期まだ子供でしたが、バブルを経験している周囲の大人から得た価値観をまだ引きずって自分の幸せと勘違いしているのかもしれないと。
それに対して今の若い世代は幸せの閾値が下がっているんですね。
時代によって人々の価値観が変わっていくように、幸せの形もまた変わっていくんですね。
刷り込まれた価値観ではなく、自分の頭で自分の幸せを考えることが大事なんだと感じました。
☆まとめ☆
(後で読み直したらまとまってなかったので改めて③の記事を起こして、そこにまとめ直します、汗)