今回のシリーズタイトルは、「『時間(時間数)』とは『演算・操作』の回数、周期である…」となっておりますが、(タイトルからして)イマイチ判然としない方もおられると思います。「数概念」に関して、前期ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」では、

 

「論理的形式に、数はない。それ故に、論理学の中には、どのような特権的な数も有り得ない。それ故にまた、哲学上の一元論とか二元論、その他も有り得ない。 論理哲学論考 4.128」

「数とは、演算の冪である。 同 6.021」

「数概念とは、あらゆる数に共通なもの、つまり、数の一般形式にほかならない。数概念は、可変的な数である。そして、数の同一性という概念は、特殊な、数の同一性すべての一般形式である。 同 6.022」

 

とあります。(ネットで見つけた)三笠俊哉氏の論文「二つの自然数概念~フレーゲと前期ウィトゲンシュタイン~」によれば、

 

「フレーゲの数の定義は、数学を論理学に還元するという論理主義プログラムの中核をなすものであった。そこでフレーゲは二階の概念として数を定義しようとしたが、これはラッセルのパラドクスを回避できない。また、パラドクスを避けるためには、無限公理を用いなければならないが、これについては論理的概念とみなすのは無理がある。つまり、『アプリオリで分析的な』数学という立場に固執すると、自然数を論理学から導出できないのである。

 これに対して、ウィトゲンシュタインは、数とは操作を繰り返すことであると考える。このような数からなる数学は集合などの抽象的対象やましてや物理的対象を扱う学ではない。

 こうした対照的な二種類の数の定義を前にして、私たちは何を得ることができるだろう。前者によって得られる数は、現代数学を展開するのに十分なほど強力であろう。他方で、後者の立場をとれば、現代数学の多くの部分を不確かなものとして犠牲にしなければならないかもしれない。だがそのかわり、後者は前者が陥ったようなパラドクスとは無縁であるだろう。また後者は古典数学に異議を唱えるという点で急進派であり、数学に大きな変革を迫るだろう。それに対して前者は古典数学の多くをそのまま保持しようとする意味で保守派である。こうした数学における保守派vs.急進派の対立は舞台を数学の他の分野に移して今なお見られる。私たちは未だにプラトニズムと構成主義の『蛙と鼠の戦い』のまっただなかにいるのである。」

 

と、非常に重要な指摘をされています。この論文で指摘されている、後者(ウィトゲンシュタイン・急進派の数概念)と前者(フレーゲ・保守派の数概念)は、下のように「演算概念式」で図式化すると、非常に分かり易いと思います。

 

  恒真命題

   ⇧時間の流れ

   Ⅱ(縦のイコール記号)              空間の拡がり

  内側(内包的意味…)    =   外側(外延的意味…)⇨ 矛盾命題

  演算(過程)過程     (⇔)   結果(演算自身の基)

  一次的数(時間数)          二次的数(空間数)

  絶対(一次元)的・継次的       相対的・階層型

   急進的数概念(!?)           保守的数概念

 

という感じになります。ウィトゲンシュタインも、「~演算の結果は演算自身の基でありうる~論理哲学論考 5.251」としているように、自分としては、「内側(左辺)」と「外側(右辺)」の「=(横のイコール記号)」を介した「コミュニケーション」である…と考えます。つまり、「=(横のイコール記号)」を、単方向的な「(左辺から右辺への)式の変容(過程⇒結果)」ではなくて、「双方向型(⇔)のコミュニケーション」と考えてしまう訳です。そして、単方向的に「=(横のイコール記号)」が進展していった場合は、どんどん「矛盾命題」的になっていく…と考える訳です。(上記の論文で)三笠俊哉氏は「~後者(ウィトゲンシュタイン)の立場をとれば、現代数学の多くの部分を不確かなものとして犠牲にしなければならないかもしれない。だがそのかわり、後者は前者が陥ったパラドクスとは無縁であろう~」としますが、ここで「~不確かなもの~」が多いとされる現代数学とは、その実「~矛盾命題に直面してしまっている~」のではないだろうか…。つまり、(あくまでも、私個人の素人雑感としてですが…)現代数学の多くの不確かな部分(数学上の未解決問題)とは、最早「矛盾・パラドクス回避の為の問題(それこそ矛盾命題的)なのではないか…⁉」と考えてしまうのです。「~矛盾命題は、諸命題の最外端である~ 論理哲学論考 5.143」とあるように、言語や論理性、我々の理解や想像力、現実性等をも含めて「最外端(外的な極限)」まで来てしまっているのではないでしょうか。ある意味、「(敢えて)解く必要のない(どうでもいい)問題」でもあり、(この期に及んで)「~世界の果て(最外端)まで行く必要はあるのか~」と思うのだが…。

 このところ、「AI(人工知能)」関連の話題を耳にしない日はありません。…ですが、途方もない電力と設備を必要とし、研究開発費用も桁違い…というのは、”手放しで賞賛していい”ものなのでしょうか…。これも素人雑感ナンですが…、AI(人工知能)が処理・代行できる問題(仕事)も含めて、今現在の(我々の)一般的な仕事の殆ども、「矛盾命題(最外端…)」化してしまっている…とは考えられないでしょうか。経済用語の「インフレーション(物価上昇・通貨膨張)」も、経済活動自体が「矛盾命題化」している…ということではないでしょうか。単なる「商品価格が上がった/通貨価値が下がった」の話しではなく、経済活動自体が「~訳が分からなくなってしまった(矛盾命題化してしまった)~」ようにも思えるのです。

 思い付くまま…アレコレ述べてしまいました…。保守派フレーゲ(空間数・横のベクトル・矛盾命題⁉)と急進派ウィトゲンシュタイン(時間数・縦のベクトル・恒真命題⁉)の数概念の違いも含めて、当ブログ謹製の「演算概念式」での、「(縦のベクトル)時間数概念」と「(横のベクトル)空間数概念」を、ある程度説明出来たようには思います…。既存の数学では、横のベクトルである「=(横のイコール記号)」しかありませんが、このような考え方では、「(命題の)矛盾命題化」は避けられない…と思うのです。現代数学は(現代社会も…)どんどん発展している…ように見えて、その実「矛盾命題化」してしまっている…のではないでしょうか。それが、今の現状ではないでしょうか。上の「演算概念式」のように図式化すれば、前期ウィトゲンシュタインが、「同一性(=横のイコール記号)」、”師匠ラッセル”の「階型理論(タイプ理論・階層型論理)」を執拗に批判する一方で、「恒真命題(縦のイコール記号⁉)の重要性」を繰り返していたのも、一目瞭然(!?)のように思えるのです。