はじめて作ったオリジナル曲の楽曲が、手元に届きました^^
いろいろなところで歌っていきたいな。
思いが届いたらいいな。

~スタートラインができるまで~
2016年8月5日、ある「先生」と永遠のお別れがありました。
わたしは、月に一度「先生」にカウンセリングを受けに、広島から徳山まで高速バスで通っていました。
仕事のこと、夢のこと、どんな女性になるべきか、そんなことを教えていただきました。
「もっと敏感になりなさい」「もっと感じなさい」とよく言われましたが、そのときのわたしにはピンときませんでした。
「先生」は歌や口笛が好きな陽気な方で、「口笛のコンサートを開くからな」とおっしゃっておられました。
65歳を過ぎておられましたが、70歳まで現役でカウンセリングされる、とはりきっておられました。
2016年4月、わたしはとある事務所の新人声優オーディションを受けました。オーディションには合格し、仕事を辞め、事務所付属の学校に通いながら、タレントの道を目指すかどうか、悩んでいました。
小さいころからの夢だし、仕事を辞めるのもアリかもしれない、と思いながら、「先生」に相談すると、厳しく叱られました。
自分の人生だから、好きにしたらいい、だけど、タレントの仕事はそんなに甘いもんじゃない、お前にはタレントに必要なオーラのようなものはない、お前には足りないものがある、と真剣に言われました。
「先生」は以前、「声優をやりたいなら、やればいい」とおっしゃってくださったことがあり、そこまでに厳しいことを言われ、わたしはどうしていいか分からず、とまどってしまいました。
「先生」はどうして応援してくれないんだろう? 足りないところばかり言われても、どうしたらいいんだろう? と悩みました。応援してくれると思ったのに、と少し恨めしく思う気持ちもありました。
わたしは、「先生」に対し、ぎくしゃくした態度をとってしまいました。「どうしたらいいんですか!?」と泣いて八つ当たりしてしまいました。やりたい思いが強いのに、できない現実に苦しくなっていました。
このままではいけない、と思い、自分の気持ちの整理がつくまで、カウンセリングをお休みしよう、と思い、ひと月、まったく「先生」に会わずにいました。
6月に入って、右脳活性を身に付ける速読教室に通い始めました。
「どうしよう、どうすべきか」と左脳で考えていた頭のクセを、右脳の「感じる」優位にするレッスンを受けて、わたしは「声優になるかどうか決断するには、頭でっかちで考えるばかりではなく、自分がどうありたいか感じることが大事だったのかな」と思いました。
「先生」がおっしゃっていた、「敏感になる」「感じる」ということが、少しわかった気がしました。
ぜひ「先生」に報告しようと思い、8月12日にカウンセリングの予約を入れました。
「先生」が体調を崩されているという話を聞きましたが、「70歳まで現役で頑張られるとおっしゃってたし、ただの夏風邪だろう」と思っていました。
8月5日、「先生」は急逝されました。
もう、「先生」にわたしの思いを聞いていただく機会が永遠になくなってしまいました。
安らかに目を閉じた「先生」に、何度も「ありがとうございました」、と呟きました。
ぎくしゃくして、「先生」に甘えて、あたり散らしてしまったカウンセリングが、生前、「先生」との最後の機会になりました。
スタートラインは、「先生」との最後のカウンセリングの日、「このまま甘えてばかりじゃだめだ」という思いで、徳山から広島に帰る高速バスの中で、歌詞を書いたものです。
そのときわたしは、自分の苦しさばかりで、厳しく叱ってくれた「先生」の愛情を感じることができませんでした。
いつが最後になるか分からない、と心底思い知りました。
時間は戻らない、という当たり前のことを、心底思い知りました。
わたしは、「声」を通して、聞いてくださった方に元気を届けたいと思っています。「声」を通して「ストーリー」を語って、わくわく楽しい時間を共有したいと思っています。
わたしのスタートラインは不安でいっぱいだけど、いまできることをひとつずつやりながら、「夢」に向かって一歩踏み出したいと思っています。