今日から長男くんの新盆です。


1年前、お腹の中にいた長男くんが、まさか1年後に新盆を迎えるだなんて、全く想像していませんでした。


胎動も激しくて、お腹の中では元気いっぱいだった長男くん。

非現実的な話ですが、私の臍帯と繋がってさえいれば、まだ元気にしていられたのかな。。。


以前にも書いた通り、長男は妊娠中に重度の先天性心疾患があることがわかっていたのですが、主治医からは手術が成功して問題なく進めば、約半分の子は普通に成長して普通に大人になって普通に社会人になれる、普通の子と同じように成長する可能性が十分に期待できる病気だと聞いていました。

運動制限がかかる可能性はあるけれど、知的障害を伴う病気ではないので(手術等の後遺症で障害が出る可能性はありますが)もしも女の子でも、出産もできると。


疾患が分かった時はショックだったけれど、当然助かる方の半分になると信じていたし、まさかこんなに早くお別れすることになるだなんて想定していませんでしたが、残念なことに、長男君は難しい方の半分になってしまいました。

現代の医学をもっても、助けること、手術することさえできない部分の循環器に問題があることが出生後にわかり、手術が出来なかった。


手術できない=救命できない ということ。


目の前にいる長男くんが受けていた治療、たくさん繋がれたチューブは、全て延命の為のものとなってしまいました。


手術ができないと分かった時のこと、医師からの説明、あのときの会話はいまでも鮮明に覚えています。


これが十分なスタッフ・設備の整っていない病院だったら、納得できなかったかもしれませんが、私が長男を出産した病院は、主に心臓に疾患のある小児の治療・手術を扱うPICUを備えた国内でもトップレベルの大学病院でした。


後でわかったことではありますが、普通であればやらないような標準を超えた検査もしていただき、先生たちも最後まで何かできないかと長男のことを考え、行動してくださったのだと思います。


私も主人も医療に関する知識はないので、すぐに理解することができないこともありましたが、産科主治医の先生、小児科主治医の先生、心臓・血管の手術を執刀する予定であった先生をはじめ、病院のスタッフの方たちには本当に良くしていただきました。

今でも、病院の前を通ると胸がいっぱいになります。


長男くんと一緒に退院し、葬儀等を終えた後、

どうしてこんなことになってしまったんだろう、

私が健康に産んであげたらこんなことにならなかったのに、

妊娠初期にインフルエンザになったことが原因ではないか、

あの時、インフルエンザにならなければ、こんなことにならなかったのではないか、

そんなことばかり考えていました。

(私の親族にも、主人の親族にも心疾患のある人はいませんので、遺伝の可能性は低いと思います。)

また、生まれてからわかった手術が難しい循環器の異常も、もしもお腹の中にいる時にわかっていれば、何かできたのではないかとも思い、気持ちが抑えきれずに病院に連絡をして、先生と対面でお話させてもらいました。

産科の先生にそこまでの診断を求めることは難しいかもしれませんが、循環器科の先生にも診てもらっていただいていましたので、どうしても見落とされたのではないかという気持ちが出てしまい、とても辛かったです。


先生とお話して、理解できたことは

長男の疾患は妊娠初期のインフルエンザと因果関係があるとは言われていない病気であること、私の場合は遺伝的要素がないので現段階では1/10,000の確立でおきてしまったこととしかいえないし、何が原因かはわからないけれど、日本産婦人科学会では妊婦がインフルエンザに罹患した場合、タミフル等の服用を勧めている(詳細はこちら にも記載がありました)こと、インフルエンザになってしまったことは仕方がないし、ママが苦しいと赤ちゃんも苦しいから、当時のタミフル投与・服薬は間違った判断ではなかったとのこと。

また、もしも生まれる前に出生後に判明した循環器の異常が分かっていれば、助かる見込みがないと考え、並行して帝王切開の準備はしなかった、もしも分娩中に赤ちゃんの心拍が下がることがあっても、お腹の中でお見送りすることになったと教えてくださいました。

(計画分娩でしたが、もしもに備えてすぐに帝王切開ができる準備をしてくださっていたとのことでした)


私は医療に関しては素人なので、十分な理解ができずに懐疑的にとらえてしまっている部分もあると思います。

心に蓋をしていますが、今でも、もしも予め分かっていれば何かできたかもしれないという気持ちは残っています。また、妊娠初期のインフルエンザが原因ではないかと考える気持ちも消えてはいません。


時を戻すことはできないし、戻したところで対処のしようがないことだってあると思いますが、長男くんは、お腹の中にいるときにわざと血管の異常を見せないように、見つからないようにしてくれていたのではないかと思うようにもなりました。

私が希望を持って出産に臨めるように、、、、。


長男くんを授かったこと、長男くんに会えたことにはとても感謝しています。

産声を聴かせてくれたこと、最後を迎えるまで可能な限り一緒にいられたこと、とても幸せでした。


でも、結果が同じであれば、希望を持って出産できて良かった。

予め助からないとわかっていながらあの陣痛を乗り越えることを考えると、想像を絶します。


天使ママさんの中には、お腹の中で亡くなってしまった赤ちゃんを出産するための陣痛や帝王切開を経験された方、また、分娩中に赤ちゃんが亡くなってしまった方もいらっしゃって、お伺いしてとても胸が痛くなりました。

私には想像しかできないけれど、絶望の中の出産は、どんなことよりも辛いことではないでしょうか。

子供を亡くした悲しみは同じなのに、死産だと出生届を出すこともできない、役所での各種手続きもとてもご負担のかかることだったと思います。


妊娠さえすれば、健康な子が生まれて当然。

恥ずかしながら、私も昔はそう思っていました。

でも、当たり前なんかじゃないんですよね。


命を授かることも、生きていることも、奇跡の連続からなるもの。

それに気づけたことも、長男くんのおかげだと思います。


私たち家族に何の迷惑をかけることもなく、幸せだけを置いて旅立っていった長男くんは、とても親思いの良い子でした。


ずっと一緒にいたかった、成長を見届けたかったけれど、いつかきっと会える日がくるから、その日を楽しみにして生きていきたい。


子供を亡くした哀しみや悼みは時間が経っても減ることはないし、褪せることもないけれど、私がこうして普通に生活できていることは、きっと長男くんのおかげ。

私たち家族を護ってくれていると思うし、長男くんの為にも、私は幸せなお母さんでありたいと思います。


この記事は予約投稿なので、書いている現在、まだ新盆を迎えていません。

今日、この日を、どんな気持ちで迎えるか、自分でもわかりませんが、きっといつもより長男くんが近くに来てくれていると思いますので、いつもよりたくさん長男くんのことを想いながら静かに過ごしていきたいと思います。


*最後までお読みいただきありがとうございます*


※本日はブログ村ランキングへの参加をお休みします。