長男の心音がなくなったことを確認してからすぐ、
当直の小児科の先生から、病理解剖のお話がありました。
病理解剖を受けるか受けないかは遺族の判断であり、
私たち夫婦の希望で決めることができます。
病理解剖をすることによって
今回の診断が正しかったかどうかを検証できること、
長男の場合、今の医学では助からない状態ではあったが、
長男を病理解剖することによって得られた情報があれば
これから同じ病気の赤ちゃんが同じ状態で生まれたとき
助かる道がみつかるかもしれないとのこと。
解剖をする場合、臓器が傷む前に開始しなければいけない為、
早めに決断しなければいけません。
時間は待ってはくれないことはわかっていますが、その場で即答できませんでした。
手術ができなかったので、長男の体は傷がついていない状態でした。
ただすやすやと眠っているだけにしか見えない長男・・・
病理解剖をすれば、開胸し臓器が摘出されることになり、当然傷が残ります。
失礼な表現で申し訳ないのですが、たまたまこの日当直であった初対面の先生からお話を聞いても判断できず、私は産科の主治医から話を聞きたいとお願いして、医局長に来ていただきました。
長男のことについて、医局長とお話をしました。
長男の病気について、残念な結果になったことに対して、
医局長は「ずっと主治医として診てきたのにもかかわらず、力及ばず申し訳ない」と仰っていました。
私はこれまで主治医として診てくださったこと、長男にも手を尽くしていただいたことにお礼をして、
病理解剖についてのお考えを伺いました。
医局長は、医師としての立場からすれば医学の発展の為にも病理解剖をお受けいただけるとありがたいが、同じ親として考えると、解剖をしたところで子供は戻らない、子供の身体に傷をのこすことにもなるので、親としてのメリットはない、無理をして病院にそこまで恩義を返す必要なないと言ってくれました。
医師としてではなく、同じ親として「無理をしなくていい」と言ってくださった医局長の言葉に胸がいっぱいになりました。
医局長と話をする前に、主人と話していたことがありました。
それは「献体」という選択です。
(新生児の献体は行っていないとのことが後でわかりました)
長男の心臓は止まってしまったけれど、まだ身体はここにあるわけで、この病気(合併症)が助かる病気になる為に、何かお役に立てることはないかと主人と話していました。
妊娠中、長女に「赤ちゃんは心臓の病気があるから生まれてもしばらくおうちにかえれないの」と話していたら、長女が「将来お医者さんになって弟の心臓を治してあげる」と言うようになりました。
長女が将来どんな職業につくか、本当にお医者さんになるのかはわかりませんが、もしも医師や医療に従事する仕事を目指すことになった時、長男のことを長女も誇りに思うことでしょう。
病理解剖をして、医学の進歩のきっかけになれば、助かる病気が多くなれば(長男ひとりの体でそこまでわかるようになるかはわかりませんが)、私達夫婦のように哀しい思いをする親が減ることでしょう。
長男の体を解剖することにより、助かる病気になるヒントがもしみつかれば、長男の生まれてきた意味があるかもしれない、そう思いました。
主人と相談し、病理解剖を受けることにしました。
霊安室に移動した長男に会いに行きました。
長男の体は冷たくなっていました。
たくさんの先生や看護師さんが献花をしてくださいました。
お一人お一人にご挨拶させていただき、お礼を言いました。
遺族になったことを実感した瞬間でした。
病理解剖を受ける前の長男に、
「よく頑張ったね」
「生まれてきてくれてありがとう」
「会えてうれしかったよ」
「もう一仕事頑張ってきてね」
そう言って、霊安室を後にしました。
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病理解剖を終えたのは、深夜でした。
解剖が終わったという知らせを聞き、看護師さんと一緒に霊安室で眠る長男に会いに行きました。
きれいなお顔のままの長男・・・
解剖前と変わらないお顔のままでした。
長男は新しい産着に着替えていました。
私が退院用に用意していたものでした。
「解剖お疲れ様でした」
「良く頑張ったね、偉かったね」
たくさんたくさん長男を褒めました。
解剖前後、長男は先生や看護師さんにもたくさん抱っこしてもらったと聞き、嬉しくて涙があふれました。
先生たちにとって長男は単なる1患者にしかすぎないのに、ここまで手を尽くしていただき、最後までかわいがっていただき、感謝の言葉しかありません。
病理解剖の正式な報告は数カ月~半年後になるそうですが、解剖結果について小児科の(長男の)主治医からお話がありました。
詳細の内容は伏せますが、解剖結果を聞き、長男は生きよう生きようと頑張ってくれていたことがよくわかり、胸がいっぱいになりました。
病理解剖を受けて良かった、今はそう思っています。