「やあ」
学校の廊下を歩いていた終は、ふいに後ろから誰かに向けられた言葉が聞こえた。それは誰にかけられたものか判断が付かず、終は自分への言葉だった時を考えて、とりあえずといった感じで振り返る。が、視界に言葉を発したであろう人間を確認できない。時間は放課後、一の家の送迎車に一を連れて行き、学校で一の護衛という仕事を終わらせ、終自身は教室に自分の荷物を取りにいく最中だった。
「怖っ! 誰もいないのに声が聞こえた」
終は多少の身震いをして、再び自分の荷物が置いてある教室へと向かう。太陽がコの字型の校舎向かい側に隠れ、蛍光灯の光が必要な程度に暗い時間帯だ。
「やあってば! 居るから! 私を見つけられなかっただけだから!」
聞き覚えのある声だと再び振り返るがやはり声の主を確認できない。
「もう少し視線を下げろ」
言われた通りに終は視線を下げると、小学生と見間違えるほど背が低く、顔の印象が幼い生徒がいた。
「あぁ、お前か」
幼い生徒、黒井花火と終はよくこのコントをする。
花火のツーサイドアップの髪がフラフラと揺れる。
「お前とはなんだ。私たちの仲じゃないか。ちゃんと名前で呼べ」
花火は一の金を狙って事件を起こした。そんなこんなで終と花火は殺し合いをした仲であるが、七転八転あって普通に冗談が言える仲に落ち着いた。
「うるさいぞ自称天才科学者」
「まぁまぁ、天才とはいつの時代も凡人には理解されないものだよ」
「凡人には解りませんよ。嘘吐きの言葉なんて」
「嘘吐きではない。私はホント付きだ」
無い胸を張る。広大な大地がえっへんと張られる。
「じゃあ、何度も聞いた質問だがもう一度聞いてやろう。どこまでが本当なんだ?」
「どこまでとは何の事やら、私の口にする言葉の全てが本当だから、どこまでも本当の事だよ。私は天才科学者。世界で一番初めにタイムマシンを開発し、世界で一番初めのタイムマシンで、世界で一番初めの人体実験の被験者になり、世界で一番初めのタイムマシンで時間移動をした科学者だ」
「それだよそれ。何度言えばいいんだ。そのタイムマシンとやらを見せてみろ!」
「何度言えばいいのやら。もしや、タヌキ型ロボットのようなタイムマシンを想像していないか? 私の作ったタイムマシンは装置の中のモノを過去へと飛ばすという装置だよ」
「つまり?」
「つまり、タイムマシンは私がこの時代に来る前に居た時代に存在する。私をこの時代に送り飛ばしてね」
「じゃあ、仮に花火が未来からタイムマシンを使って来たとしよう。で、花火は今高校二年生だろ? その未来でタイムマシンを開発して時間移動してきましたって設定は間違いじゃないか? 前に聞いた話だとタイムマシンが完成したのは七十歳を超えた辺りだと言っていたじゃないか」
「あぁ、その通りだが、設定とか言うな。……まず、タイムマシンを使えば無生物を現在から過去へと送る事に成功した。その次にやるべき事と言えば、長時間の移動と人体移動だった。しかし、長時間の移動をさせるとそれを確認する事ができない。なので長時間の移動よりも先に人体移動を成功させる事を目標とした。まずは、数分前に人間を送ろうと考えたが、今の時間に未来からの人体移動が発生しないという事は人体移動は成功しない、もしくは実験すらしていないという事になる。私たちは時間軸というものが一本しか存在しないと考えていたから、タイムマシンが登場するような平行世界に行くような事はない。となれば、現在未来からの人体移動を確認できないのならば、未来から現在への移動はあり得ない事になる。それを現在の私がしてしまうと、そもそも仮説としいて持っていた時間軸が一つしか存在しないという箇所が瓦解してしまう。だから、長時間移動と人体移動はセットで行うべきだと、……つまり私たちがタイムマシンを考える事すらする前以前に移動する必要があると考えたわけだ。そして、未来から私は移動してきたという事になるわけさ。で、この幼い身体の説明に入るわけだが、未来から移動して来た際に私は時間的調整の発散……、つまりその時間には存在しない七十歳の私をこの時間に存在させる為に、この時間に生きていた私の状態に近づけさせられたというわけさ。だから、この容姿だし、装置は未来にある。こういった要因によって未来から来た事を証明する事はできない。完成するのは私が再び七十歳となり、タイムマシンを完成させるしかない。だがそこでは再び過去へと私は飛ぶ事だろう」
つまり、今の時点では嘘か本当か解らない。終ができる判断は、嘘に騙されて真実として話を進めるか、嘘を信じて真実として話を進めるかという二つだろう。いや、もっと沢山あるだろうが僕が素直にできる行動はこのくらいだろう。まぁ、今はどちらとも判断しないという第三の答えで進めていこうと思う。
「真実の追及はしない事にする」
「そうか。それは私としてはあまり面白くないが終君がそう言うならそれでいい」
むふっ、と鼻息を一つ鳴らす花火。
「ただ、今後その矛盾は突いていこうとは思う」
「矛盾?」
小首をかしげた花火は、そのままよたよたと歩いていき、近くの教室の椅子に腰かけた。終もそれに習い、花火の座った近くの机に座った。自分の利用する教室では無い教室。どうも落ち着かないと終は辺りを見回すが、花火はあまり気にならない様子だった。
「花火の話だと、今の花火は未来から来た花火という事だろう?」
コクリと首を振り、花火は終の話を肯定する。
「後、未来の花火は時間の軸は一つしかないと考えていた。で、その仮説は今も変わらないと?」
「いえす」
そうでなければ、この身体に変化した事を説明できない。と花火は続けた。
「花火が七十歳の時の未来から今の高校二年生の今に移動してきた。だから、今の時代に見合った年齢へと若返った」
「いえす」
「なら、今、この時代に元々いた花火はどうなったんだ?」
花火の話だと時間的調整の発散が行われた、それは未来の花火が今の花火になる為の変化。ならこの時代に居た花火はどうなる? 消える? 吸収する? なんにせよ未来にタイムマシンの製作を夢見る少女はこの世から居なくなってしまうのではないか? と終は思考を巡らせた。
「さあな」
花火の返事は終の想像とは裏腹に軽薄なものだった。
「きっとだが現在の私、つまりこの私ではない私はこの世界から居なくなった……入れ替わったと考えるのが自然ではないだろうか? こうして私は昔住んでいた家に家族と共に過ごしている。それが何よりも証拠だ」
終はやはり真偽の判断を保留にする。
向かいの教室には沈んだが、地平線には沈んでいない太陽の光が、どこからか反射して教室の照度をほのかにあげる。赤色に上塗りされた色彩が、現実とはかけ離れた世界に迷い込んだような錯覚さえ感じる。そんな中でも花火の横顔は抜けない幼さと七十年以上生きたという空気が漂っているような気がしなくもない。
言葉の無い時間がゆっくりと流れ、二人は薄まっていく反射の光を眺め、そのまま月の光へとたすきが渡される様子に見惚れていた。
「夜だねぇ」
花火は何の気なしに口にした。終もそうだなと首を動かす。
こつん。こつん。
音の在処を確かめようと花火は顔を右往左往させる。そこには、暗い中庭を照らす明かりとその明かりへと体当たりを繰り返す昆虫の音だった。それをしばらく眺めていると、終も気づいたようで一緒に眺める。
「虫ってさぁ、なんでぶつかるって分かっていて明かりに向かって飛ぶんだろうね」
興味があるのかないのか判断しづらい声のトーンで花火が言った。視線は今だに明かりへと体当たりを繰り返す昆虫をとらえている。
「さぁな。むしろ僕よりも天才と自称する花火の方が知っていそうだがな」
「知らない」
「不鮮明な箇所があると仮定して物語を補正して話を進めたりしないのか? 虫が明かりへと向かう理由に仮説を立ててみたらどうだ?」
「仮説ねぇ」
終自身、何故仮説を立てるのか分からないが、学者への偏見として何事にも仮説もしくは持論を持って物事を見ているような印象があるという所からきているのかもしれない。
「仮説を立てるにはデータが足りなすぎるかな。もう少し有効なデータが無いとなんとも」
「それは天才補正で何とかできないのか」
「無責任な事を言うね。たぶんだけど、終は学者への偏見か何かで「仮説」って言葉を使ったんだろう? あながち間違ってないかもしれないけど、合ってはいないからね」
終は心の中を覗かれたようでゾクリと背筋を震わせた。
花火は終の顔を覗くように見る。花火は幼い顔立ちだが、終を見るその視線は子供をあやすかのような印象を受ける。
「じゃあね、ここに仮説を立てるよ。昆虫は……、というとくくりが広すぎるけど私はあまり昆虫に詳しくは無いから、各々で勝手に絞り込んで考えてくれ。で、その昆虫は暗闇が怖いんだ」
「怖い?」
「そうだ。昆虫は暗闇が怖い。だから、明るい所へ明るい所へと飛んでいく。結果夜になると街灯の光へと向かっていきぶつかるというわけさ」
正直に言うとかなり花火の仮説はテキトウだと終は思った。というか、花火が未来から来たという話程度には信じていない。とはいっても、花火の仮説を打ち砕くものを終が持っているというわけではない。
終は色々と考えながら、でもやっぱり花火の視線だけは大人びていると思った。
「理由は別にして明るい所へ飛んでいくという事にはならないのか?」
「それはない。今終の言わんとしている事は、光量が多い方に向かって行くという事だろう?」
終は花火の言葉に肯定の意を示す。
「だが、それだと羽のある昆虫は昼間に太陽へと向かって行き燃え尽きてしまうな、さながらイカロスのように」
くつくつと笑う花火に、太陽まで飛んで行けるほど昆虫は凄くないし、太陽に近づくという点しかイカロスとかけれてないと言いたかったが、花火の笑い声につられて笑ってしまったので、口にするのを止めた。
「で、本当はなんなんだ? 知っていなくてもこれだけ時間があればもう分かってるんじゃないのか?」
天才。天才とは名前だけではない。花火は本当の意味での天才なのだ。花火はタイムマシンを製作した最初の人間だ。考えてみて欲しい。時間を移動する。これはアニメや漫画、創作の世界に飛び込めば大作名作迷作短編長編いずれにしても、作り話の域を出ず、現実では推論と理想を持って作りたいと願う代物だろう。だが、彼女は作ってしまった。今世界にあふれている発明は積み重ねた業績だ。それをばらしていくと昔の偉人達の一歩目がある。彼女が遂げたのはそのレベルの一歩だ。本当の意味での最初の一歩。積み重ねられる一番下の土台。どれだけ、推測仮説検証を行ってきたのだろうか。そんな彼女にかかれば、昆虫の生態なんて、いや、他の人間が解けた答えなんて問題にもならないだろう。
「……、正解かどうかはわからない。だが、きっと昼間と夜間の違いは太陽が出ているかどうかだ。それが原因だと考える。太陽が出ているかいないかで違うのはなんだ?」
「明るさ?」
「そうだ。なら、光の量が関係してくる。例えば均等に光が必要なのかもしれない」
「均等に光が必要……」
「昆虫が飛行するにあたって、いや、極限まで言うならば、歩いている時ですら、まっすぐに進むには均等に光が視界に入らないと保てないのかもしれない」
「なるほど。だから、昼間は普通に飛べる。夜間は街灯が無い所では普通に飛べる。でも、街灯なんかがあったりすると、不自然に強い光があるから、視界に入る光を左右均等に保てない。だからどうにかして保とうとした結果、街灯の方向に向かってしまいぶつかるということか」
「そういうことだ」
終と花火は揃って街灯にぶつかる昆虫を眺め、
「でも、それは実験することができないから、本当かどうかを判断することはできないけどね」
どちらが言ったかわからないが、どちらかが言った帰ろうかという言葉を聞いて、暗い教室から二人で出て行った。
きっと花火はまだ一の事を狙っている。きっと終もまだ花火が一を狙っている事を知っている。だから、一緒に教室を出ようと一緒に帰る事は無い。それはお互いがお互いを知っているからだろう。
「ホント終君は疑り深いなぁ」
花火の言葉は誰の耳にも届かずに、世界に消えて行った。
携帯のディスプレイに表示された天気予報には、降水確率零パーセントが示されていた。そんな感じだった。
学校の廊下を歩いていた終は、ふいに後ろから誰かに向けられた言葉が聞こえた。それは誰にかけられたものか判断が付かず、終は自分への言葉だった時を考えて、とりあえずといった感じで振り返る。が、視界に言葉を発したであろう人間を確認できない。時間は放課後、一の家の送迎車に一を連れて行き、学校で一の護衛という仕事を終わらせ、終自身は教室に自分の荷物を取りにいく最中だった。
「怖っ! 誰もいないのに声が聞こえた」
終は多少の身震いをして、再び自分の荷物が置いてある教室へと向かう。太陽がコの字型の校舎向かい側に隠れ、蛍光灯の光が必要な程度に暗い時間帯だ。
「やあってば! 居るから! 私を見つけられなかっただけだから!」
聞き覚えのある声だと再び振り返るがやはり声の主を確認できない。
「もう少し視線を下げろ」
言われた通りに終は視線を下げると、小学生と見間違えるほど背が低く、顔の印象が幼い生徒がいた。
「あぁ、お前か」
幼い生徒、黒井花火と終はよくこのコントをする。
花火のツーサイドアップの髪がフラフラと揺れる。
「お前とはなんだ。私たちの仲じゃないか。ちゃんと名前で呼べ」
花火は一の金を狙って事件を起こした。そんなこんなで終と花火は殺し合いをした仲であるが、七転八転あって普通に冗談が言える仲に落ち着いた。
「うるさいぞ自称天才科学者」
「まぁまぁ、天才とはいつの時代も凡人には理解されないものだよ」
「凡人には解りませんよ。嘘吐きの言葉なんて」
「嘘吐きではない。私はホント付きだ」
無い胸を張る。広大な大地がえっへんと張られる。
「じゃあ、何度も聞いた質問だがもう一度聞いてやろう。どこまでが本当なんだ?」
「どこまでとは何の事やら、私の口にする言葉の全てが本当だから、どこまでも本当の事だよ。私は天才科学者。世界で一番初めにタイムマシンを開発し、世界で一番初めのタイムマシンで、世界で一番初めの人体実験の被験者になり、世界で一番初めのタイムマシンで時間移動をした科学者だ」
「それだよそれ。何度言えばいいんだ。そのタイムマシンとやらを見せてみろ!」
「何度言えばいいのやら。もしや、タヌキ型ロボットのようなタイムマシンを想像していないか? 私の作ったタイムマシンは装置の中のモノを過去へと飛ばすという装置だよ」
「つまり?」
「つまり、タイムマシンは私がこの時代に来る前に居た時代に存在する。私をこの時代に送り飛ばしてね」
「じゃあ、仮に花火が未来からタイムマシンを使って来たとしよう。で、花火は今高校二年生だろ? その未来でタイムマシンを開発して時間移動してきましたって設定は間違いじゃないか? 前に聞いた話だとタイムマシンが完成したのは七十歳を超えた辺りだと言っていたじゃないか」
「あぁ、その通りだが、設定とか言うな。……まず、タイムマシンを使えば無生物を現在から過去へと送る事に成功した。その次にやるべき事と言えば、長時間の移動と人体移動だった。しかし、長時間の移動をさせるとそれを確認する事ができない。なので長時間の移動よりも先に人体移動を成功させる事を目標とした。まずは、数分前に人間を送ろうと考えたが、今の時間に未来からの人体移動が発生しないという事は人体移動は成功しない、もしくは実験すらしていないという事になる。私たちは時間軸というものが一本しか存在しないと考えていたから、タイムマシンが登場するような平行世界に行くような事はない。となれば、現在未来からの人体移動を確認できないのならば、未来から現在への移動はあり得ない事になる。それを現在の私がしてしまうと、そもそも仮説としいて持っていた時間軸が一つしか存在しないという箇所が瓦解してしまう。だから、長時間移動と人体移動はセットで行うべきだと、……つまり私たちがタイムマシンを考える事すらする前以前に移動する必要があると考えたわけだ。そして、未来から私は移動してきたという事になるわけさ。で、この幼い身体の説明に入るわけだが、未来から移動して来た際に私は時間的調整の発散……、つまりその時間には存在しない七十歳の私をこの時間に存在させる為に、この時間に生きていた私の状態に近づけさせられたというわけさ。だから、この容姿だし、装置は未来にある。こういった要因によって未来から来た事を証明する事はできない。完成するのは私が再び七十歳となり、タイムマシンを完成させるしかない。だがそこでは再び過去へと私は飛ぶ事だろう」
つまり、今の時点では嘘か本当か解らない。終ができる判断は、嘘に騙されて真実として話を進めるか、嘘を信じて真実として話を進めるかという二つだろう。いや、もっと沢山あるだろうが僕が素直にできる行動はこのくらいだろう。まぁ、今はどちらとも判断しないという第三の答えで進めていこうと思う。
「真実の追及はしない事にする」
「そうか。それは私としてはあまり面白くないが終君がそう言うならそれでいい」
むふっ、と鼻息を一つ鳴らす花火。
「ただ、今後その矛盾は突いていこうとは思う」
「矛盾?」
小首をかしげた花火は、そのままよたよたと歩いていき、近くの教室の椅子に腰かけた。終もそれに習い、花火の座った近くの机に座った。自分の利用する教室では無い教室。どうも落ち着かないと終は辺りを見回すが、花火はあまり気にならない様子だった。
「花火の話だと、今の花火は未来から来た花火という事だろう?」
コクリと首を振り、花火は終の話を肯定する。
「後、未来の花火は時間の軸は一つしかないと考えていた。で、その仮説は今も変わらないと?」
「いえす」
そうでなければ、この身体に変化した事を説明できない。と花火は続けた。
「花火が七十歳の時の未来から今の高校二年生の今に移動してきた。だから、今の時代に見合った年齢へと若返った」
「いえす」
「なら、今、この時代に元々いた花火はどうなったんだ?」
花火の話だと時間的調整の発散が行われた、それは未来の花火が今の花火になる為の変化。ならこの時代に居た花火はどうなる? 消える? 吸収する? なんにせよ未来にタイムマシンの製作を夢見る少女はこの世から居なくなってしまうのではないか? と終は思考を巡らせた。
「さあな」
花火の返事は終の想像とは裏腹に軽薄なものだった。
「きっとだが現在の私、つまりこの私ではない私はこの世界から居なくなった……入れ替わったと考えるのが自然ではないだろうか? こうして私は昔住んでいた家に家族と共に過ごしている。それが何よりも証拠だ」
終はやはり真偽の判断を保留にする。
向かいの教室には沈んだが、地平線には沈んでいない太陽の光が、どこからか反射して教室の照度をほのかにあげる。赤色に上塗りされた色彩が、現実とはかけ離れた世界に迷い込んだような錯覚さえ感じる。そんな中でも花火の横顔は抜けない幼さと七十年以上生きたという空気が漂っているような気がしなくもない。
言葉の無い時間がゆっくりと流れ、二人は薄まっていく反射の光を眺め、そのまま月の光へとたすきが渡される様子に見惚れていた。
「夜だねぇ」
花火は何の気なしに口にした。終もそうだなと首を動かす。
こつん。こつん。
音の在処を確かめようと花火は顔を右往左往させる。そこには、暗い中庭を照らす明かりとその明かりへと体当たりを繰り返す昆虫の音だった。それをしばらく眺めていると、終も気づいたようで一緒に眺める。
「虫ってさぁ、なんでぶつかるって分かっていて明かりに向かって飛ぶんだろうね」
興味があるのかないのか判断しづらい声のトーンで花火が言った。視線は今だに明かりへと体当たりを繰り返す昆虫をとらえている。
「さぁな。むしろ僕よりも天才と自称する花火の方が知っていそうだがな」
「知らない」
「不鮮明な箇所があると仮定して物語を補正して話を進めたりしないのか? 虫が明かりへと向かう理由に仮説を立ててみたらどうだ?」
「仮説ねぇ」
終自身、何故仮説を立てるのか分からないが、学者への偏見として何事にも仮説もしくは持論を持って物事を見ているような印象があるという所からきているのかもしれない。
「仮説を立てるにはデータが足りなすぎるかな。もう少し有効なデータが無いとなんとも」
「それは天才補正で何とかできないのか」
「無責任な事を言うね。たぶんだけど、終は学者への偏見か何かで「仮説」って言葉を使ったんだろう? あながち間違ってないかもしれないけど、合ってはいないからね」
終は心の中を覗かれたようでゾクリと背筋を震わせた。
花火は終の顔を覗くように見る。花火は幼い顔立ちだが、終を見るその視線は子供をあやすかのような印象を受ける。
「じゃあね、ここに仮説を立てるよ。昆虫は……、というとくくりが広すぎるけど私はあまり昆虫に詳しくは無いから、各々で勝手に絞り込んで考えてくれ。で、その昆虫は暗闇が怖いんだ」
「怖い?」
「そうだ。昆虫は暗闇が怖い。だから、明るい所へ明るい所へと飛んでいく。結果夜になると街灯の光へと向かっていきぶつかるというわけさ」
正直に言うとかなり花火の仮説はテキトウだと終は思った。というか、花火が未来から来たという話程度には信じていない。とはいっても、花火の仮説を打ち砕くものを終が持っているというわけではない。
終は色々と考えながら、でもやっぱり花火の視線だけは大人びていると思った。
「理由は別にして明るい所へ飛んでいくという事にはならないのか?」
「それはない。今終の言わんとしている事は、光量が多い方に向かって行くという事だろう?」
終は花火の言葉に肯定の意を示す。
「だが、それだと羽のある昆虫は昼間に太陽へと向かって行き燃え尽きてしまうな、さながらイカロスのように」
くつくつと笑う花火に、太陽まで飛んで行けるほど昆虫は凄くないし、太陽に近づくという点しかイカロスとかけれてないと言いたかったが、花火の笑い声につられて笑ってしまったので、口にするのを止めた。
「で、本当はなんなんだ? 知っていなくてもこれだけ時間があればもう分かってるんじゃないのか?」
天才。天才とは名前だけではない。花火は本当の意味での天才なのだ。花火はタイムマシンを製作した最初の人間だ。考えてみて欲しい。時間を移動する。これはアニメや漫画、創作の世界に飛び込めば大作名作迷作短編長編いずれにしても、作り話の域を出ず、現実では推論と理想を持って作りたいと願う代物だろう。だが、彼女は作ってしまった。今世界にあふれている発明は積み重ねた業績だ。それをばらしていくと昔の偉人達の一歩目がある。彼女が遂げたのはそのレベルの一歩だ。本当の意味での最初の一歩。積み重ねられる一番下の土台。どれだけ、推測仮説検証を行ってきたのだろうか。そんな彼女にかかれば、昆虫の生態なんて、いや、他の人間が解けた答えなんて問題にもならないだろう。
「……、正解かどうかはわからない。だが、きっと昼間と夜間の違いは太陽が出ているかどうかだ。それが原因だと考える。太陽が出ているかいないかで違うのはなんだ?」
「明るさ?」
「そうだ。なら、光の量が関係してくる。例えば均等に光が必要なのかもしれない」
「均等に光が必要……」
「昆虫が飛行するにあたって、いや、極限まで言うならば、歩いている時ですら、まっすぐに進むには均等に光が視界に入らないと保てないのかもしれない」
「なるほど。だから、昼間は普通に飛べる。夜間は街灯が無い所では普通に飛べる。でも、街灯なんかがあったりすると、不自然に強い光があるから、視界に入る光を左右均等に保てない。だからどうにかして保とうとした結果、街灯の方向に向かってしまいぶつかるということか」
「そういうことだ」
終と花火は揃って街灯にぶつかる昆虫を眺め、
「でも、それは実験することができないから、本当かどうかを判断することはできないけどね」
どちらが言ったかわからないが、どちらかが言った帰ろうかという言葉を聞いて、暗い教室から二人で出て行った。
きっと花火はまだ一の事を狙っている。きっと終もまだ花火が一を狙っている事を知っている。だから、一緒に教室を出ようと一緒に帰る事は無い。それはお互いがお互いを知っているからだろう。
「ホント終君は疑り深いなぁ」
花火の言葉は誰の耳にも届かずに、世界に消えて行った。
携帯のディスプレイに表示された天気予報には、降水確率零パーセントが示されていた。そんな感じだった。