あまり気にもしませんが、人はそこに居る、そこに存在する、在るというだけで力を持ちます。
力と言っても勿論腕力的な力ではありませんけれど。
ただ、そこに在るというだけで、影響力という力が発生します。
ただ、言葉にするだけで様々な力に変わります。
在る、というだけで、喜怒哀楽のいずれかを感じられたりすることも。
けど、自分が在るだけで影響を与えているとか考える事って余りないですよね。
”あの人がいると場が明るくなるよね”
”あの人がいるとどうも雰囲気が暗くなる。。。”
と、誰かの事を指す言葉なんかは誉め言葉や陰口だったりと良し悪しは別として聞きますが
自分の事となると、あまり考えないように思えます。
思い詰めている人に
君がいてくれてよかった
とか
君が居たから頑張れたんだよ
なんて言葉を投げて励まそうとすることもありますね
その言葉が本心なのか建前なのかは私の知る所ではありませんが。
思い詰めている人に掛ける言葉としてはそれは無難な言葉でもあると思うのですが
思い詰めている人の心に届くかどうかは掛ける人次第
その言葉を受け取った側次第でもあるのでしょう。
けど、よくよく考えてみてください
思い詰めているあなたは、そこの言葉を投げかけてくれる人に
自分がそこに在ったというだけでその言葉を引き出せた存在でもあると思うのです。
それでも
”自分が居なければそんな気遣いさえさせずに済んだのに”
なんて考えさえしてしまう人もいるのでしょうね。
”君が居なければ、この気持ちを伝える事さえできなかった”
なんて言葉で返すことできそうに思えますが。
ところで、君が在っただけで他の人から言葉を引き出すという力を発揮していた。
そんな事に気付けたりはしましたか?
人は在るだけで力を持つのですよ。
死してなお、影響を残すように。
死してなお影響を残すのであるなら、生前はそれ以上に影響を与えてるんじゃないか?
なんて考えたりしませんか?
だからどうした?何が言いたいんだ?と言われればそれで終わってしまう。
今回はそんな程度の私の落書きなんですけれどね。