side M
嫌だよ翔さん。
最悪の状況が脳裏を掠め、泣きそうになる。
だけど考えてる暇なんて一瞬だってなくて、躊躇うことなくまっすぐに腕を伸ばした。
「…え?潤?」
無理矢理引き上げられた翔さんが俺を見てびっくりしている。
い、生きてる。
良かった…。
膝から頽れながら思わず掻き抱いた体は当たり前だけどびっしょびしょに濡れてて、でも温かくて、心臓は力強く鼓動を打っている。
「じゅん…?」
「良かったぁ…。1時間経ってもあがってこないから何かあったのかと思って」
戸惑いがちに離れようとするから、離されないように更に背中に回した腕に力を込める。
「え。1時間も経ってんの!?…全然気づかなかった」
自分のくちびるに触れながら呟く。翔さんの無意識の癖。
「もー、変な心配かけんなよなぁ…」
人の気も知らないで…。
こっちの心配なんてお構いなしに呑気なもんだよ、まったく。
「ごめんごめん。ちょっと考え事してた」
がっくり項垂れる俺の背中を宥めるようにぽんぽんと叩く。
考え事して沈んでる人なんて見たことないよ。
…こんな翔さん、みんな知らないんだよなぁ。
顔をあげてまじまじと見ながら思うのは、どうして今回ファンのみんなが翔さんにこれほどまでに辛辣なのかってこと。
みんなの中にはそれぞれ理想の翔さん像があって、そこから少し外れると、途端に嫌になってしまう。
こんなのは櫻井翔じゃないと否定してしまう。
だけど、本気で嫌いになれないから嫌いになる理由を探してるんだ。
そこで生まれる矛盾とか不条理なんかは問題じゃなくて、そもそもが好きな人を嫌いになろうとするところから無理が生じる。
それを無理矢理納得させるために攻撃できる対象が必要なんだ。
そこがきっと今は俺たちには禁じられているとされている、熱愛報道に向けられていると言ったところじゃないだろうか。
そこに見出した理由に自己保身のためのやむなき正当性を主張して安心するんだ。
いつの頃からかアイドルの恋愛禁止がルールとして暗黙の了解に存在し、それを破れば何らかの罰が待っている。
そうして自分は悪くないって安心したいんだ。
悪いのは、自分たちじゃない。
アイドルなのに恋愛する翔さんなんだって。
相手が誰であろうと関係ない。
今をときめくアイドルだろうと、俳優だろうと、キャスターだろうと、どこかの国の王女さまだろうと。
職業や身分の問題じゃない。
問題の本質は相手が自分じゃない、もしくは自分が認めた相手ではないということにある。
だからここで俺が相手だと公表したとしても、それはそれでバッシングにあうんだ。
同性であること、なぜか世の中の風潮は翔さんの相手に相葉さんやリーダーを好む傾向があるということ。
結局、この問題はどんなに考えたところで根本的には解決しないんだ。
絶対に誰かには認められない。
どんなに努力しても。
びしょ濡れの手で翔さんに触れる。
髪に触れ、額に触れ、耳に触れ、伏せられた睫毛をなぞり、頬をなぞり、くちびるに触れ、ゆっくり指を離し、もう一度頬を撫でる。
翔さん。
しょうさん。
しょおくん。
どうしてだろうね。
ゆっくり触れるだけのキスをして、離れる。
どうして、ただすきなだけじゃいられないんだろう。
どんなあなたも全部あなたなのにね。
あなたの中にある一つすきじゃないところがあるだけで全てを嫌いになる必要なんてないのにね。
俺が離れたことでゆっくりと瞼を上げる翔さんの姿がじんわり滲んでいくのはなんでかな。
「しょおくん…」
俺の声が震えてるのはなんでかな。
「うん…」
とてつもない優しい笑顔で俺を見ているのはなんでかな。
「しょおくん。俺、しょおくんがすき…。どんなしょおくんも、しょおくんだから、嫌なところだってあるけど、それでも、しょおくんがすきなんだ…」
だって、全部あなただから。
「…うん」
涙を零す姿がとても綺麗で。
「なんで、泣いてんの?」
翔さんの涙は透き通っていて綺麗で。
頬を流れるそれを俺の指はそっと吸い取る。
「なんでかな…?」
そう言いながら傾げて笑う翔さんは美しくて。
「そういう潤もなんで泣いてんの?」
翔さんの指の感触が俺の頬にあって。
「なんでかな?」
大の男が二人して風呂場で泣いてるなんておかしな絵面だな、なんて言いながら、泣いた。