部屋に戻って荷解きをして、スケッチブックを手に取る。
ああ、そうだ。今週東京行くならそれまでに絵を描かなきゃ。
二宮さんと約束したことを思い出した。
家に泊める代わりに俺は絵を描くこと。
何を描こう。
目を瞑り、頭の中を空っぽにして何が降ってくるか待つ。
ふと浮かんだのは、宿泊と交換条件の絵を贈ると決まった時のあの笑顔。
いやいやいや・・・!
ないから。
頭を振って、二宮さんの笑顔を脳裏から消し去る。
けれど結局、その日は何も降ってこなくて朝を迎えた。
翌日、上にあがる准さんに途中にある湖まで運んでもらい、帰りも時間があえば
一緒に乗せてもらう事にして別れた。
まばらな木立ちの中に静かに佇む湖は、今日も穏やかな顔を見せていた。
澄んだ湖面は空を綺麗に映し返している。
ここは、准さんと初めて会った日の翌日に連れて来てもらった俺にとって思い出深い場所。
ダイヤモンドダストを初めて見て、まっさらな雪面のように何も知らなかったあの時とはもう違う。
俺たちを家族と史歩さんは呼ぶ。
目を瞑って思い起こせば、あの日の雪面に今はたくさんの足跡が見える。
再び目を開けて、湖のほとりに腰を下ろして、スケッチブックに写し取って行く。
湖の青を手にして塗りながら、無心で、ひたすら指を動かす。
時折、上空を飛ぶ鳥が鳴き、風の音が聞こえる以外、何も聞こえない。
澄んだ湖の色を描くうちに二宮さんの綺麗な茶色い瞳を思い出した。
彼の目も澄んでいて、美しいと思った。
鉛筆を置いて、そっと立ち上がり湖面に自分の姿を映す。
何十年と見慣れ続けた自分がそこにいる。
目を閉じると浮かんで来るのは、やっぱりあの時の二宮さんの笑顔。
「・・・・・・・・・・・・」
ときどき、言葉はなく、じっとあの目が俺を見ていた。
彼の瞳こそ、語らずして何もかもを見透かしているように思えた。
きっと、彼の前で嘘は意味をなさないだろう。
あの聡明な瞳にすべてを暴かれてしまう。
そうしてやっと気づいた。
俺の中にある彼への気持ちはそういうことなんだろう。
彼の一挙手一投足に惹きつけられる瞬間があったこと。
彼と共にある櫻井さんや松本さんに感じる複雑な思い。
それらはすべて、彼へ繋がる、羨望であり、俺にも向けて欲しいと思う渇望。
俺は、
二宮さんが、
すきなんだ。