saku-meijiさんのブログ

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Gファンタジー8月号
pandora hearts感想 ネタバレ多聞


















ぎいいやあああああああああああああああああああああああああああああ
ぶぶぶ、ぶれえええええいく!!!!!!!


ロッティ女史の

今の帽子屋は私たちの脅威ではない

からみるに、マッドハッターは契約解除。。。。ってこと???
 
シャロンあたりのブレイクを思った末の破壊とか???
或いはバル公(発音はエテ公と同じで)の指示でレイムさんが動いたか。。。。
でもここでブレイクがまた表舞台に立つとすると、ブレイクは誰のまがつみなのか。
ヴィンスはギル、レイシーはオズワルド。。。。。
はたまたまがつみの定義が明かされるのか。。。。。

もう8月まで待てない。
ブレイクが気になって、仕事も手に付かない。
流石ドS望月ティーチャー
もうどうしよう。どうしよう。
 
ここでエイダが出るか。
ザイがくるか。
べザリウスの根底が暴かれるのか。。。。。


いやだああああ
もう2巻あたりの余裕綽々のブレイクよカムバック!!!!!!!!
いやまじで!!!!
彼に平穏は訪れるの???
レインズワースはまだ解明されないのか!!!!どS!!!このどS!!!!!どSにもげんどってものがくあせふじこにfヴぃjdんljkfsんcjんlkvc

そんなつもりじゃなかったけど、19・20の特装版予約しちゃったよ。。。。
gファンも買うつもりなんか微塵もなかったのに。。。。
そしてこれから、18.5も予約するんだ。。。。しちゃうよ。ブレイクのために。。。




本日6月15日は、大鳥圭介の命日であります。
 わたし、彼を専門的に調べているんですが、どうしても解せないんです。
彼の自虐的な部分が。。。。どうにもこうにも解せない。
 大鳥の著書として有名なものに

南柯紀行

がある。

 この人、かなり優秀な人物なんです。

維新後、榎本と共に箱舘戦争を戦い抜き、その後の明治期初期に自らが設計した牢獄へぶち込まれ。

自力で蚊帳を作り、反古紙から墨を作り、獄中生活を綴りました。

そんな悲惨な経験なのに。なのに上記の南柯紀行は笑いすら誘う。いや、あえて言うなら、本人は笑って欲しいのではないか、そんな思いすら抱く著作です。


 もうね、大鳥圭介を一言で言表わそうとすると難しいのですが、強いて言うのならば「しぶとい人」

ただひたすらしぶとい。その反面、驚くほど自虐的であったりもします。

 けして自らを誇張しなかった彼にとって、朝鮮公使としての周りの反応はひどく辛辣なものだったろうと思ったりするのです。


彼を語るときにきってもも切れない関係にある戊辰戦争ですが、私が思うに彼の本質は、その以前に如実にあらわれてぃる。

 中島意庵の塾はもちろんのこと、特に有名な緒方塾。

これこそが彼の基盤を作り、坪井塾が彼を導き、江川塾が彼を支えたのではないだろうか。

 桂との交流も気になる。

なぜ両者とも、一言たりともお互いに口にしなかったのか。

関わりはあったはずなのに。。。


 ただの一主婦の憶測に過ぎないが、いつか真相に近づけたら、そう思う梅雨空である。



2月8日の記事です。
こちらは読売さんです。解釈によっては、悪意のあるタイトルかとも思いますが。。。
以下詳細。



西南戦争を追っている私としては、非常に重い。
そしてこの方は評価が真っ二つに分かれるので、飽くまで私個人の見解として。

この方は時代的に、幕末に活躍していた人物とかなり繋がりがあります。
長州藩で生まれ、慶応2年、小倉戦争時、奇兵隊山県有朋指揮下において、小倉城一番乗りの武功を上げています。
また、陸軍少佐任官時も黒田清隆の後押しがあったといわれています。
 そして西南戦争時、西郷軍に連隊旗を奪われてしまいました。
自軍の象徴を奪われ、晒される。
そんな経験が、彼の今後に深い影を落としたともいえるでしょう。
その後放蕩癖が始まったとする説もありますが、以前より遊び癖があったようです。
祝言の直前まで遊び歩き、遅刻までしていた彼ですが、後にドイツ留学を経て、遊びをぱったりとやめるようになりました。
復命書(軍人のあり方を説いたもの)を提出するに当たり、自らがそれを進んで実践したようです。
以降、質素な生活を続け、休職するたびに農業に従事していました。
このあたりなんかもう桐野とかぶってしまいます。
その後日清・日露戦争へ従軍。長男を喪います。
大本営と満州司令部に振り回された形となった乃木は、多くの戦死者を出し、司令官から更迭されかけたり、邸宅に投石されたりと、内からも外からも非難を浴びます。
そんな折、次男の戦死報告が届けられます。乃木は「良くぞ戦死してくれた。これで世間に申し訳が立つ。」と話したようです。その後日露戦争は勝利のうちに幕を閉じます。
 明治40年、山県有朋が乃木を参謀総長にとする人事案を明治天皇に内奏しますが認められませんでした。
後の昭和天皇が学習院に上がることから、乃木に養育を託すべく学習院院長に任命されたのです。
乃木は第十代、大鳥圭介が第三代、その前が第二代谷干城と、学習院院長は私のつぼです。
 そして明治45年9月13日、妻の静子と共に自害します。
いくつか残っている遺言には、連隊旗を奪われたことを償うための死だと述べています。


とwikiからの抜粋です。
こんな時代で、乃木の真意を都合よくねじまげて掲げる団体もあります。
ただの愚将であると言ってのける人もいます。
私のように、興味本位で調べているだけの人もいる。

子供の死を喜ぶ人がいる訳がないけれど、そう発言せざるを得なかった時代が二度と来ないように。
そう改めて思い直した一日でした。