大事には至らなかったのだが、
前に記事にも載せたように、息子は産まれてすぐ、新生児黄疸で入院している。
母子同室の2日目のことだった。
助産師さんから説明があった。
黄疸の数値が少し高い。
様子を見るが、もし数値が高くなるようだったら、治療が必要になるかもしれない。
でもよくあることだから気にしなくていい。
確か、こんな内容だったと思う。
確かに息子は少し黄色い気もしたが、元気に泣くし、おっぱいの吸い付きも良いし、
何より初めて新生児の世話をするので、ふーん、そういうものなのかなー。よくあることなんだー。と思っていた。
次の日、黄疸の数値は少し下がった。
一安心。
赤ちゃんは元気そうに見えた。
それよりも、夜中一晩中泣き続ける息子のおかげで寝不足。
自分の方がフラフラしていた。
ところが、3日目の朝、思わぬことを言われた。
数値が基準より上がってしまった。先生と相談して、GCUで治療しましょう。
今日から赤ちゃんは入院になります。
と。
ここで母、初めて黄疸のことを調べ始める。
黄疸というものが、ただ黄色いだけのように誤解していたが、中には怖い病気もあるらしい。
助産師さんは私の質問に対して、とても丁寧に説明をしてくれたが、私は例に漏れず検索魔になった。
その日から、光線療法が開始された。
最初は同室で母のベットの隣で全身ライトに当てられていたが、もっと強い装置みたいなものに変わり、
呼吸が不安定になったこともあって、お医者さんがつきっきりで見てくれるGCUに運ばれた。
何となく元気がないように見える我が子。
たまに泣き叫ぶ声がする。笑
やっと息子と離れて一人の部屋になったのに、心配でぜんぜん寝れず。
消灯したベットの中でも、検索しては不安になって、というのを繰り返した。
授乳のため、夜中呼ばれ見に行くたびに、
息子はやっぱり泣いていて、幾分か疲れてグッタリしているようにも見える。
母、動揺。
何とも言えないつらさ。
不安とか、恐怖とか、切なさとか、色んなものがごちゃ混ぜになった気持ち。
寝不足や身体の痛みで、精神的にも身体的にも弱っていたからかもしれない。
泣きそうになった。
真夜中のGCU、NICUにはスタッフさんが3、4人くらい慌ただしく出入りしていて、
テキパキしたその動きに、少し冷静を取り戻しつつあった。
お母さんなのだから、しっかりしてほしい。
そんな空気も、若干感じ取れたからかもしれない。
息子の隣には小さな未熟児の赤ちゃんや、点滴をたくさん受けている子もいて、
何か言葉にはできない感情がぐっと心に流れてきた。
みんな一生懸命、生きている。
あまり不躾に見ては失礼な気がして、ささっとオムツを変え、おっぱいをあげ、
息子にまたすぐ来るからねと言い、部屋を出た。
ここは一番始まりの命を守る場所。
スタッフさんたちを心から尊敬したし、たくさんの小さな命に、
私の方が、
何か強い、母親として育児する勇気と覚悟のようなものを与えられてしまった。
その後、息子の黄疸の数値は下がり、無事に退院となった。
まだ黄色いし、また再発するかもしれないから、何かあったらすぐに電話するようにと言われ、
それはそれで不安で、完全に治るまで入院させてほしいと思ったくらいだが、笑
帰宅してからも、毎日細かく息子の様子を観察して過ごしているうちに、
一ヶ月になる頃には、すっかり黄疸の症状は消えていた。
私は妊娠中からトラブルだらけだったので、入院は2回したし、
引っ越しもあって産院を2回も変わったのだが(個人産院→大学病院→総合病院)、
どこの先生も助産師さんも、頼りになる人ばかりで、本当に助けられた。
厳しくも的確な人、優しく不安を取り除いてくれる人、いろんな人がいたが、
みんな赤ちゃんのこと、母体のことを一番に考えてくれていた。
特に出産した病院には、本当に感謝している。
今もまだ息子には、吐き戻しなどでハラハラさせられるし、
ギャン泣きで泣き止まない時には病気を疑ったり、抱っこに疲れて途方にくれる時もあるけれど、
試行錯誤でなんとかやっと、ここまでこれた。
まだ二ヶ月半。
これからだが。
これは息子が新生児黄疸で、GCUに入院した時の話。
あの時湧き上がった感情が、今の私の育児を支えてくれている。