多かれ少なかれ、大概の人は劣等感を抱えている。
小さい時に抱いた劣等感を抱いている。
ただ、その劣等感を受け入れることができていない人は山ほどいる。
単に、それだけ。
なんたって、自分が抱えている劣等感って、真正面から向き合うことってほとんどないから。
劣等感を抱えているにもかかわらず、それを認めようとしないもの。
なんせ、劣等感って、大概、その人の核心を突くものだから。
受け入れるとすごく楽になるのだが、受け入れることができないと、その劣等感に苛まれる。
自分が気づかいないうちに、自分が抱えている劣等感が、ゆがんだ世界を構築してしまう。
劣等感に基づいた世界を構築してしまう。
例えば、優秀な兄や姉を持っている人は、その人と比較され続けて育つことが多い。
そういう人って、兄もしくは姉は、上手くいくが、自分は上手くいかない。
兄、または姉は、優秀であって、自分は劣等といったことを思い込んでしまう。
すると、不思議と上手くいかない現象を引き寄せてしまう。
無意識のうちに、上手くいかない結果を導いてしまう。
なんせ、上手くいかない、上手くいくわけがない、といったことを強く思ってしまっているから。
自分の心の底で何度も何度も。
ゆえに、その強い想いが現実化する。
上手くいかない結果が、どうしても出ちゃう。
上手くいかない結果を望み、上手くいかない自分を正当化しちゃう。
「そんなバカなことあるわけがない」
と思う人がいるかもしれない。
でも、実際のところ、そうなっているんよね。
このことに気づかなきゃ、いつまで経っても、自分の中にある劣等感に基づいた世界に生きることになる。
劣等感に基づいてゆがんだ世界で生きることになる。
だからこそ、自分の中にある劣等感は、しっかりと受け入れなよ。
受け入れることができるよう、ちゃんと意識を向けなよ。
じゃなきゃ、今と同じ環境、世界で生きることになるから。
本当に素晴らしい世界で生きることができるにもかかわらず、自分の中にある劣等感がそれを阻んでいる。
よって、自分は、どんな劣等感を抱いているのかを、自覚できるようにしなよ。
自覚できれば、ちゃんと受け入れることができるようになるから。
気づかないものは、どうにもできないが、気づいてしまえば、意外とどうにかできるもの。
それに、劣等感を抱いた自分も、自分の一部分。
これを否定していては、なぜか、上手くいかないもの。
だから、自分の劣等感は、受け入れにくいことだがしっかりと受け入れることが大事。
ちなみに、どうして、受け入れにくいものなのか。
それは、小さい時に心に傷を負い、劣等感を抱いていることが多いから。
家族との関係の中で、劣等感を抱いていることが多いから。
劣等感を抱いている状態が当たり前になっていることが多いから。
劣等感と向き合う時、自分の家族との関係を見直す必要性が出てくる。
どうして劣等感を抱いたのかを家族との関係の中で見つけていく必要性が出てくる。
これって、やっている人は少ない。
だって、家族と自分との関係を照らし合わせる作業を必要と感じていないから。
家族の言動と自分の反応などを一つ一つ照らし合わせる作業を必要と感じていないから。
当たり前にいる家族に対して、一つ一つ照らし合わせる人って滅多にいない。
近くにいるがゆえに、そんな発想が抱きにくい。
また、向き合うこと自体、自分にとっては辛いことになる人だっている。
人は、辛いと感じているものは、意識できないようにできている。
ゆえに、意識できない人が多い。
ただ、ここを乗り越えて、意識できるようになると、自分に変化が生じるもの。
なんたって、自分が抱えていた劣等感を受け入れ、素晴らしい想いに基づいた世界を構築できるから。
上手くいく、という想いに基づいた世界を生きることができるようになるから。
どうせなら、そんな世界で生きるよう努めなよ。
それは、確実に自分のためになるから。
サコヤンの独り言
「自分が抱いている劣等感を受け入れよう」