人は、誰もが、自分だけのルールを設けている。


自分独自のルールに基づいて生きている。


なんせ、その方が、生きるのが楽だから。


ルールを設けていれば、そのルールに則って生きていたら良い。


考える手間が省け、すっごく楽。


ただ、自分に設けたルールって、いつしか、しなければならないものに、やってはいけないものになっていることは多い。


そのため、自分が守っているルールを他者が破るとイライラしちゃうんよね。


しかも、許せなくなり、相手に、自分が守っているルールを強要しちゃうんよね。


例えば、嘘をついてはいけない、というルールを自分に設けていると、他者が嘘をつくことに過剰に反応する。


約束を破ってはいけない、というルールを自分に設けていると、約束を破る人に対して過剰に反応する。


人は、嘘をついた方が良い場面もあるし、約束を破る必要性がある場面もある。


なのに、柔軟性がなかったり、融通が利かなかったりすると嘘をつく人を、約束を破る人を批判しちゃう。


相手が悪いと決めつけ、なんやかんや言いまくる。


相手が悪くて、自分が正しいという関係性を築いて責めたてる。


こういう人は意外と多いもの。


確かに、嘘をつかれることも約束を破られることも嫌と感じること。


でも、なぜ、嫌と感じるかというと、嘘をついてはいけないもの、約束を破ってはいけないもの、という思考に支配されているから。


嘘をついてはいけないというルールを設けている自分が、嘘をつく人を認めてしまうと、嘘をつかない自分を否定することにつながる。


自分の正しさを正当化するためにも、嘘をつく人を否定せずにはいられなくなる。


責めずにはいられなくなる。


よくよく考えると、自分の正しさを貫くための行為なんよね。


自分のルールの正当性を保つための行為なんよね。


自分が嘘をつかないと決めているのなら、それは、自分だけに当てはめていたら良い。


わざわざ他者にまで範囲を広げる必要はない。


他者に、嘘をつかないことを強要をする必要はない。


嘘をつかれたらつかれたで、約束を破られたら破られたで、それを素直に受け入れたら良い。


その上で、嘘をつく必要があった相手のことを、約束を破る必要があった相手のことを思いやったら良い。


そうするしかなかった相手のことを思いやれば良い。


相手を責めるのではなく、相手を思いやる。


この心の余裕はすごく大事なもの。


自分にとって都合が悪いと思うことをされたからといって、相手を責めるのであれば、それは幼稚な考え。


相手を責めたって、自分のためにはならない。


むしろ、自分の品格の低さを露呈することになる。


しかも、嘘をつかれる原因も、約束を破られる原因も、実は、自分の中にあるものなんやから。


嘘をつかれる人や約束を破られる人って、高い確率で、過去、自分自身が嘘をついているし、約束を破っている。


単に、過去にした言動が、めぐりめぐって返ってきたに過ぎない。


与えたら与えられる、といった循環の法則が世の中には存在する。


ただ、循環によって返ってくる際には、立場が逆になるものなんよね。


与える立場で与えた人は、循環によって返ってくる際には受け手となる。


嘘をつくという加害者の立場であれば、循環によって返ってくる際には、嘘をつかれるという被害者となる。


よって、自分のためになるものを得ることを望むなら、自ら率先して与えること。


嘘をつかれないことを求めるなら、正直に接すること。


約束を破られないことを求めるなら、約束を守り続けること。


一方、嘘をついていると、嘘をつかれちゃう。


約束を破っていると、約束を破られちゃう。


このことから分かることは、自分の都合ばかり考えていると、自分自身は悪化の道をたどることになること。


だからこそ、どんなことが返ってきてほしいかを考えなよ。


すると、今の自分が何をしたら良いかが分かるから。


ただ、何をしたら良いかが分かったところで、良いことが返ってくるには、時間を要する。


これまでの自分が、どれ程の膿を溜めていたかによって、かかる時間が変わってくる。


膿をたくさん溜めていた人は、それを出し切るまでには膨大な時間が必要となる。


そして、自分の都合ばかり考えていた人は要注意。


そういう人って、心に膨大な膿を抱えているもの。


過去にしてきたことに対しての清算ができていないもの。


嫌なことが起きる場合、大概、過去の自分がその要因を作っている。


でも、嫌なことが起きた時というのは、過去の自分がしてきたことを清算する大チャンス。


ゆえに、嫌なことは起きても良いんやで。


そこで、清算して、少し良くなれば良い。


それを根気よく積み重ねていく。


膿の量には限りがあり、次第に膿がなくなり、終いには出し切ることができる。


そこまでやるかどうか、それは自分にかかっている。


自分の人生をより良いものにしたいのであれば、膿を出し切りなよ。


こういう意識があれば、自ずと膿は減っていくから。


なんたって、嫌なことが起きたり、過去してきたことを清算する機会にたくさん恵まれるから。


その度に清算していくと、必ずといって、人生が上向きになる。


これは、まちがいない。


多くの人が、知らず知らずの内に、膿を溜める人生を送っている。


そのため、人生が好転していかない。


よって、今後は、膿を出し切る人生を送りなよ。


心が軽くなり、より良い人生になるような日々を送りなよ。


自分の意識次第でできるから。


そもそも、都合が悪いことが起きた時こそ、自分のルールを知るチャンスだし、自分が過去にしてきたことを清算する大チャンス。


このチャンスを活かしなよ。


活かせば活かすほど、人生が好転していくから。


案外、そういうものなんやで。



サコヤンの独り言

「都合が悪いことが起きた時こそ自分を知る大チャンス」