生きる上で不正解は一つもない。
何を選ぼうと、どの道を進もうと、それがその人の正解。
選んだものが正解で、進んだ道が正解。
よって、正解というのは、その人の数だけ存在する。
その人だけの正解を各々が持っている。
なのに、人は、自分が選んだものだけを正解だと思い込む傾向がある。
自分が選ばなかったものは、不正解だと決めつける傾向がある。
だから、他者が選んだものについて、ヤイヤイ言っちゃうんよね。
それは間違っているから、直しなよ、という優しさのつもりであれこれ言っちゃう。
どの人も、その人にとっての正解を選んでいるにもかかわらず。
自分にとっては不正解と思っていても、それを正解ととらえている人もいる。
自分の価値観がすべてではない。
ゆえに、他者の人生に対して、自分がとやかく言う権利はないんよね。
他者のためになると思っていても、それは自分の価値観でそう見える場合が多く、自分のエゴである場合が多いから。
各々が独自の価値観を持ち、その人だけの正解を持っている。
ゆえに、好きなようにやらせておけば良い。
自分が他者の人生に踏み込む必要はない。
踏み込む時は、相手から何らかのアクションがあった時だけで良い。
自分勝手な都合で相手を変えようとする必要はない。
たとえ、何かを言った方が良い場合であっても…
単に、自分自身を正解と思いたいから、他者を不正解と思い込もうとしているだけ。
自分を正解とし、他者を不正解とすることで自分自身を正当化する。
そうやって、自分を保とうとしちゃうんよね。
なんたって、多くの人は小さい時から正解が良いことで、不正解は悪いこと、といったように刷りこまれるから。
親は子にそうやって教えるし、学校はテストの良し悪しで成績をつけるため、正解が良いものという思考ができあがっている。
そして、正解を選ばなければならない、不正解を選んではいけない、といったことを思いこんでいる。
そのため、何をするにしても正解を選ぼうとする人は山ほどいる。
普通と言えば普通なのかもしれない。
だが、この思考は、どこかおかしい。
なぜなら、何をするにしても、すでに正解と不正解の両方が存在していることありきで考えているから。
複数の選択肢があったからといって、必ずしも、正解と不正解があるわけではない。
大概の場合、どの選択肢を選ぼうと正解なんよね。
明らかな不正解、というのは滅多にない。
だって、仮に、都合が悪いことが起きても、そこから何かを学べば、それはそれで正解となる。
決して、不正解というわけではない。
確かに、瞬間だけを切り取れば、都合が悪いことは不正解になるだろう。
だが、人生は、瞬間だけを見て決めつけるものではない。
都合が悪いことが起きても、その後に素晴らしいことにつながれば、一連において素晴らしいものとなる。
すべてをひっくるめて正解となる。
よって、より良いものにつなげる意識さえあれば、何をしようと正解になる。
不正解なんてものはないんよね。
不正解が存在するのは、自分自身が諦めているから。
投げやりになっているから。
次につなげることなく今に留まっているから。
自分の愚かな行動が不正解を作り上げる。
本来、不正解なんてものは存在しない。
だから、存在しないものを存在させている自分に大きな問題があるんやで。
そのことを自覚しなよ。
すると、何をしても、何を選んでも正解と思えるようになるから。
自分の人生において、何を選ぼうと正解でしかない。
どの道に進もうと正解でしかない。
ゆえに、自分の生き方に自信を持てば良い。
堂々としていたら良い。
なんせ、今の自分の生き方が自分にとって正解なんやから。
これから何をしようと、それが自分にとって正解なんやで。
こういう思考を取り入れなよ。
すっごく、心が楽になるから。
とはいえ、本来は存在しない不正解を存在するものととらえ、怖れている人は山ほどいる。
不正解を選んではいけない、と無意識の内にとらえている人はたくさんいる。
なんたって、こうした人は、世間の常識を正解だと決めつけているから。
しかも、世間の常識から外れたものを不正解とみなしているから。
世間の常識に合う自分を正解とするから、かえって、自分の世界が狭くなる上に、視野が狭くなり、やれることが限られる。
これぞ本末転倒。
世間の常識が正しいのではなく、自分が選んだものが、自分が進んだ道が正しいんやで。
たとえ、世間の常識から外れていても、それが自分にとっての正解。
世間の常識を基準にすると、自分自身は生きづらくなるものなんやで。
決して、世間の常識が正解ではない。
世間の常識に支配されんなよ。
支配され続けんなよ。
すると、常に正解と不正解に苛まれることになるから。
良いことにつなげる意識さえあれば、何をしようと、どんなことが起きようとそれが正解。
不正解、というもの自体存在できなくなる。
そういう意識を持ちなよ。
だって、何もかもが正解なら、どんなことだってやれるようになるから。
行動に対するハードルがグンッと下がるから。
どの選択肢を選んでも正解。
何をしようと正解。
どの道に進もうと正解。
自分が生きる上で、不正解の選択肢なんてないんやで。
よって、ビビる必要はない。
自信を持って何でもやれば良い。
やりさえすれば、自分だけの正解を選ぶことができるんやから。
案外、そんなもの。
サコヤンの独り言
「何をしようと正解だから、何だって堂々と気楽にやれば良い」