多くの人は、何かをする際、できない理由、やらない理由を振りかざす。
やらないことを自信満々に正当化する。
まるで、それが正しいことのあるように、唯一無二の絶対的な答えのように堂々と言う。
すっごくもったいない。
だって、どんなに力があろうとやらなければ、何もならないから。
行動なしに、どうにかなることはないから。
なのに、当たり前のようにできない理由、やらない理由を語る人は多い。
これは、自分自身を低く見ているから。
自分の心が傷ついているから。
過去、心に傷を負い、その傷を癒すことができないまま今に至っているから。
心に傷を負うと、再び、傷を負いたくない、という力が働く。
だから、心に傷を負う可能性があるものを避けるようになる。
ゆえに、心に傷を負う可能性を秘めている行動を危険なものとして避けようとする。
本来、行動したってどうってことない。
だが、心に傷があるだけで、行動することは危険なことと思いこんでいる、刷りこまれている。
よって、行動することを遠ざける。
ただ、行動を遠ざける理由は欲しいんよね。
理由がないと、単に逃げているだけになってしまうから。
逃げているとはいえ、理由がなく逃げるのは嫌なんよね。
どちらかというと、逃げているのではなく、正当な理由があってやらないことにしたいんよね。
そのため、できない理由、やらない理由を並べ、行動しないことを正当化しようとする。
自分では、逃げているのではなく、真っ当な理由に基づいてやらないことにしている。
どんな理由を並べたって言い訳の領域を出ることはないというのに…
けど、理由もなく逃げるのは嫌だから、もっともそうな理由を用意する。
多くの人が用いている常套手段。
たくさんの人が、くだらない理由を並べて、自分を守っている。
行動しないことを正当化して、行動することによって傷つくことから自分を守っている。
確かに、行動しなければ、直接ダメージを負うことはないだろう。
直接ダメージを負わないことだけを考えると、自分を守っているのかもしれない。
でも、全体を見ると、全然自分を守ることはできていないんよね。
だって、直接ダメージは負わなくても、自分がいる環境はドンドン悪化していくものだから。
行動しないことを続けていると、環境が良くなる、ということはない。
むしろ、時の流れと共に悪化していくばかり。
直接的なダメージを避け、自分がいる環境が悪化していれば、意味がない。
行動せずに自分を守っている人は、イメージが乏しい。
直接ダメージを負わなければ、自分を守ることができる、と勘違いしている。
本当に重要なのは、自分がいる環境を守ること。
環境を守ることができて初めて、自分を守ることができるようになる。
自分の身体だけ守ろうとしても、環境が崩れると、それと同時に自分自身を守ることができなくなる。
よって、守る上で最優先にするのは、自分がいる環境なんよね。
直接ダメージを受けようと、自分がいる環境の整備をすることが大事。
ただ、自分がいる環境の整備には、どうしても行動が必要。
行動なしに、環境を整備することなんてできやしない。
だから、行動することを受け入れなよ。
それが、自分の環境を整備することになり、強いては自分を守ることになるんやから。
行動せずに直接ダメージを負わないことで、自分を守ることができているように感じるのは錯覚にすぎない。
そんなので自分を守ることができると思うのは甚だしい。
その思考は、一刻も早く手放しなよ。
歪んだ思考に基づいて生きるのは、自分自身が苦しむだけ、自分が損をするだけ。
今までは、行動しないことを当たり前ととらえていたかもしれない。
それで、どうにかなっていたのかもしれない。
だが、考え直しなよ。
行動なしに自分を守ることなんてできやしないんやから。
確かに、直接ダメージを受けることを避けることはできるかもしれないが、行動なしに、自分の環境を守ることができるものではない。
もっと、自分がいる環境を整備することに意識を向けなよ。
自分がいる環境を整備し、守ることができて初めて自分を守ることができるんやから。
行動せずに自分を守ることが、できるという考えは時代錯誤。
その思考に固執し、縛られていると、結局、自分が多くを失うことになる。
自分を守る、というのは自分の身体を守ることを言うのではない。
それ以上に、自分がいる環境を守ることの方が大事。
環境というのは、例えるなら家。
家がないところで自分を守るより、まずは、しっかりとした家を用意して自分を守った方が効果的に効率的に自分を守ることができる。
ただ、自分で整備し、自分で守っていくもの。
そして、行動によって、整備することができるもので、守ることができるもの。
行動する自分を受け入れなよ。
くだらない理由で、行動することを否定するのではなく…
行動することを否定することって、自分で自分の首を絞めることを意味するんやから。
自分で自分の首を絞める生き方はどこか寂しい。
ゆえに、行動しなよ。
行動することで、自分がいる環境を整えなよ。
それが、自分を守ることにつながるんやから。
もっと大きな視点で、自分を守ることを考え、実際に動きなよ。
そういう視点を持つからこそ、行動することへのとらえ方が変わり、行動しやすくなるんやから。
とにかく、行動する自分でありなよ。
自分の環境は、自分で守ることができる人でありなよ。
こうやって意識して過ごしていると、ちゃんと行動する人になることができるから。
今までがどうであろうと…
なんにせよ、くだらない理由をを並べて、自分で自分を苦しめることは止めなよ。
そんなことしても、誰も喜ばないから。
むしろ、皆が損するだけだから。
皆が得するように、自分がいる環境を行動することによって整えなよ。
それが、自分のため、皆のためになるんやから。
案外、そんなもの。
サコヤンの独り言
「くだらない理湯を並べ行動しないのはすっごくもったいない」